親父はどうしてくつろぐのか? | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

 

男は、椅子に座ってボーッとしたい。

 

海辺に行っても、釣りという建て前で、海を眺めてボーッとしていたい。

 

なぜ孤独を好むのだろうか?

 

かくいうそう願う私も、その一人だ。

 

 

 

目の前の景色の奥にある何かを見つめているのだろう。

 

それは人によって違い、過去の振り返りであったり、

 

先日の失敗を反芻してみたり、

 

未来への希望を膨らませて、想像しているのかもしれない。

 

 

そうではない人も居るかもしれない。

 

 

今晩のおかずをどうしても獲りたいと切実な生活の切迫感で

 

青空や波間などを見ずして、足元の波打ち際ばかりを覗いて

 

釣り竿の先にくぎ付けになっている輩も中に居る事だろう。

 

 

爽やかな風が頬を撫で、太陽の日差しが降り注ぐ穏やかな一日に

 

人々は防波堤へと足を運び、きっかけは魚をゲットするぞという気持ちではあるが

 

北風と太陽のように、あまりの日差しの良さに気持ちはやわらぎ

 

チルモードへと誘われてしまい、ついぞ

 

漁師モードから哲学者モードへと切り替えさせられるのだ。

 

 

そして遠くを見つめ、眩しくきらめく海面に目を細めるのだろう。

 

 

対して、女性たちを見てみると、

 

最近は漁港にもミニバンを横付けにして

 

子供連れで糸を垂らすお母さん方も増えてきた。

 

 

必死に今晩のおかずを得たいらしい。

 

がしかし、やはりと言っては失礼だが、子供たちに竿を各々預けて

 

3倍の漁獲量を目指そうとするのは女性らしい欲深さだ。

 

 

というか、生きていく為のたくましさを見せつけられる。

 

 

女性は現実的な人が多い。

 

先の未来よりも今が大事。

 

男性は、今よりも先が大事

 

とばかりに漁港での釣りをしている風景を見渡してみると

 

何だかそのように私の目には映るのだ。

 

 

最近気がついたのだが、未来を予測する思考というのは、

 

良い面と悪い面とが存在すると思うのだ。

 

 

良い面は、希望を叶えるための道筋を描く最短コースはどれか

 

を模索・選択することが出来るという点だ。

 

悪い面は、いつも最悪なシナリオを考えて、それを回避する事ばかりに思考を巡らせてしまい

 

その結果、不安しか描けない事だ。

 

 

悪い面のウェイトを多く考えがちな人は、不安になってしまい

 

自分で鬱病を形成してしまう事が最大のデメリットでもあろう。

 

 

そういう類の頭でっかちの人は、やはり未来を考えず

 

肉体労働で汗を流し、今を生きる生き方が向いているのだろう。

 

 

もしも、良い面である希望に向かって思考を巡らすことが出来たなら

 

くつろぎには、心の栄養補充という効果があるのだろう。

 

 

 

最近、巷でキャンプが流行っているが、これにもコツがいる。

 

ソロでひろしのボッチキャンプが出来る人は、相当に慣れている人だろう。

 

熊が出没してもおかしくない昨今に於いて、怖くは無いのだから・・。

 

大方は森の静寂に不安になり、

 

酒を飲んで友人知人たちと語り合うという事に

 

安心と安堵を見出すに違いない。

 

それは、東京砂漠と云われて久しい日本の特殊事情にもよるのだろう。

 

 

キャンプで独りの時間を楽しむことが出来る人は、

 

やはり未来の不安などを考えない人で、

 

明日の希望ばかりで頭がいっぱいにならなければ、

 

気持ちの良い朝を迎えられないだろう。

 

 

 

自分は今年の夏に北海道へとキャンプツーリングに出かけたが、

 

振り返ってみると、自分の脳みそはお花畑だったと笑えてしまう。

 

 

先日まで、ヒグマが出没して閉鎖していて、ようやく再開したばかりの

 

キャンプ場に早めに着いて、風呂にのんびりと入って汗を出し

 

その後は、ビールをたらふく飲んで、

 

千鳥足で浜辺の波音の聞こえる我が家へとたどり着き

 

1分とも記憶がなく就寝してしまうのだ。

 

 

唯一トイレへと起きる時に夜空の美しさに感動するが

 

歳のせいか、それよりも寝床が恋しくなってシュラフに潜り、

 

辺りの物音に気がつき、あー朝が来たのかと知るのだ。

 

 

ヒグマの出るかもしれないキャンプに不安など無く、

 

慌てて今日の行き先を決めなければ、撤収さえ出来ないという体たらくな始末。

 

私にとってのキャンプツーリングは、酒を飲んで時間を潰してしまったが故に

 

くつろぐどころの時間はもはや無く

 

朝飯は菓子パンを主食として、取り敢えずレギュラーコーヒーぐらいは飲もうと決めて

 

急いで登山バーナーを取り出し、お湯を沸かし、ドリップコーヒーにお湯を注ぎ入れる。

 

辺りのキャンパーは撤収を始め、次なる目的地に一人また一人と出ていく。

 

 

あー俺は今日も出遅れたかと二日酔いの頭を揺り動かし

 

カフェインでシャキッとさせようと躍起だ。

 

まさにキャンプは酒で熟睡すると、慌ててやることが多くなり、全く忙しいのだ。

 

 

北海道まで来れば、ゆっくりと出来る。

 

物事をのんびりと考えられると思っていたが、そうではなかった。

 

 

天翔ける一筋の煌めきの如く、慌ただしく一週間が過ぎた。

 

 

タバコを止めてから、10年は経つが、あの時が懐かしい。

 

タバコを吸っている時間は、一種の行事のようなもので

 

タバコの煙の揺らめきに、シャーマニズムのように意識が妄想モードに入って

 

今現在を離れ、過去や未来を自由に一瞬で行き来できたのだった。

 

 

もはやそこには相対性理論などと云う方程式は当てはまらない

 

人間独自の意識の世界観であって、

 

現実世界でのストレスに拮抗するかのような時間があって

 

それによって心の均衡が計られているのではないかと思う程だった。

 

 

人は何故くつろぎの時間を求めるのだろうか?

 

今日もそんな答えの出ない質問を自分にしてみては

 

またお蔵へと質問を引っ込めるのだった。

 

 

何となく、こんなことを考えていたら、

 

今年の北海道キャンプツーリングの写真の整理をしようと考え始めた。

 

明日はキャンプツーリングをネタとしよう。

 

 

本日も、何気ない独り言にお付き合いいただきましてありがとうございました。