線状降水帯を伴った前線は、
梅雨前線とも秋雨前線ともいえるハイブリッドな性格を持ち
東日本を次から次へと水に沈めました。
空の世界でも、地上の世界と同様に戦争が起こっていて、
神様が大粒の涙を大量に流してこの地上に降り注いでいるのかもしれないと
ハッピーな我が頭は・・勝手に思っているところです。
その神様の冷たい涙の影響なのか最近は最低気温が20度まで下がり、
夜に窓を開けっぱなしで寝る事に不安があるほどです。
人一倍暑がりの私はエアコンを22度に設定しているのですが、
それよりも今日は涼しく感じました。
今朝は何やら深夜なのか早朝になるのか分からない微妙な時間に目が覚めました。
目覚めと共に秋さんのいい匂いを感じ、満月が輝く薄ら明るくなってきた外を見渡したのです。
秋の匂いと言って通じないかもしれませんが、
私は雨上がりの匂いだけではなく、春の匂いやパリピな匂いや
行ってはいけない危険な臭いや希望の匂いも感じたりします・・・www。
いわゆるHSPとも捉えられかねない感性を、アラカンになったにも関わらず、
胃直腸反射のように、淘汰されずに未だに持ち合わせているのです。
梅干しは苦手な人や成人になってから食べられるようになった人
カキ貝は昔好きだったが、当たった以来食べられない人など・・・さまざまですが
そんな中で、私も昔は食べられなかったものが多かったけれども、
いやいや
蛇のマムシ焼きやイナゴの佃煮、どじょう汁、山羊の乳で幼少育った私は、
おそらく誰よりも食べられないものは無いはずですが、山育ちの私には
海のホヤ、ウニ、カキは以前は食べられませんでした・・・
というより接触が皆無だったと云っても過言ではありませんが、
今では観光で訪れた広島県宮島で食べた、お祭りの際の美味しいカキ幾多を食べ歩き
すっかり虜になって以来、
今では年間500個ほどは消費しているのではないだろうかと云うほどです。
11月後半になるとスーパーで生食用のカキを6粒を毎度購入し、
酢醤油で磯の香りを堪能した後に、ビールで流し込む。
春になれば旬が過ぎ、次第に出荷量の減少と共に
カキの姿は店頭から消えるから・・・今度はココイチのカレー屋に赴き
カキフライ6個入りの辛いカレーを食べに通う。
これを3回ほど繰り返すと満足したかのように一旦・・・牡蠣熱は冷めるのだ。
何故なら8月に入ると、我が山形県の鳥海山からの伏流水が海の中の夏牡蠣を育み
1粒800円もの特大の大きさとなったカキを食べられる他にないからなのです。
夏牡蠣は広島や気仙沼の牡蠣とは味が違います。
特大の爽やかな実を2粒ほど欲張って、意地汚く頬張りに、
はるばる山形県南部より北部へと2時間も掛けて出向くのです。
それほどまでに人の感性というものは変わり得ます。
そんな中で、社会で生き残っていく為には
人間の思惑には鈍感でいたいという思いから、
人間関係では好き嫌いの判断は苦手であり、どんな人でもウェルカムですが、
その分の力配分が、自然というものにおいては
非常に細かく見つめてしまう目に注がれて、未だ衰えを知らず敏感な様子なのです。
暑中お見舞い申し上げる為に、夜のとばりさんのもとを訪れていたのでしょうか?
↓ふらいんぐうぃっちの夜の帳さん
秋さんが来た名残りの匂いをしばし感じた後から、
ふと静かな夜に、外界の僅かな人の躍動を感じ始めて
意識はスケジュールの世界へと引き戻されて、
そのスキにひっそりと帰っていたのでしょう、秋の香りを感じなくなってしまいました。
小さい秋見つけたという言葉が有名ですが、楓の色づきや秋の雨の冷たさにも気が付かないほど
人間社会に目や皮膚まで毒されて、視力・温度覚を失って
資本主義経済の歯車となって働く現代人は
やはり、いつか心が元に戻らないほどに壊れてしまうでしょう。
それをポンコツと呼びますが、
八掛けに産んでもらったのでなければ、敢えてポンコツとなり得るような生き方は
やはり止めたほうが良いと思うのです。
そういう意味でも、秋を感じる感性はポンコツにはなっていないことを証明する
心の反応でも有り、それをもって今日も安堵するのでした。
話は変わりますが
ちなみに私と似たような感性をお持ちの方もいらっしゃるというアニメの紹介です。
↓ こちらは、ふらいんぐうぃっち で登場の春の運び屋さんです
暑中お見舞申し上げます
本日もご覧いただきましてありがとうございました