1974年に制作された山田洋二監督による映画「砂の器」
ハンセン病によって追いやられた時代背景も見所だ。
「かめだ」というキーワード以外何も情報の手がかりの無い事件を初動捜査する捜査員。
まるで全国の砂浜のどこかに埋もれる大切な何かを捜し巡り、日々砂を拾い上げ
そして指の隙間から零れ落ちて何も残らないような日々を繰り広げる流れに
俳優の人柄から溢れ出る緊張感やユーモラスに共感を感じつつ
一向に事件の展開が見えないように思われつつも
しつこいまでの偏執傾向思考を持った丹波哲郎という捜査員が
様々な角度から事件を見つめ続け、少しずつ展開していく流れは
刑事がどれほどこだわりを持った人間しか向いていないのだろうと思わせる部分でもあり
これはあくまでも映画であるから、一生を掛けて一つの事件を解決へ導くという
人間がその為に生まれてきたのだと思わせんばかりの情熱のやり場に心打たれ、
また警察官や刑事を目指すには充分なきっかけを与えてくれることだろう。
更に、今更ながらだからこそ気づかせてくれる部分も多い。
例えば映画で使用されているレンズの画角(ズームレンズ)と
当時としては高価であっただろうレンズの抜けの良さだ。
そして、駅や自動車、ファッション、街並みなど、
1974年映画での出雲三成駅
現在の出雲三成駅
そして今とは違った緑の町はずれの美しさなどは、
もはや歴史的遺産価値であり望郷を思い出し、心に涙を流して見る事が出来る。
一つ一つのシーンが緻密に考えられ、織りなされて作品は一つの織物として形を成し
それがいつ完成し、と同時に事件が動いて解決していくのか?
そう云った映画の作り込みの無駄のない一コマが、終始私を惹きつけてくれる。
観方に偏見を無くして、賞賛するならば背景に時折サブリミナル効果で使用される
砂の器の音楽使用法は、今で云う所の鬼滅の刃第19話の炭次郎の歌のように
一度目では感動が薄いが、何度も映像と共に刷り込み聞かせられているうちに
エンディングでは、人間の適度な緊張感と安堵感を経て
聴衆者全員に感動の波に溺れさせてしまう。
そういう効果もあるから、この山田洋二という人はとんでもなく凄いと思った。
私は岡本喜八監督の作品好きだが、最近は歳を重ねてきたせいか、この手の
感動作品に弱くなってきた感が否めない。
50年も前の作品を今見て、つくづく一コマ一コマに言い知れない感動を感じながら
最後を見守っているのである。
しかし、思うのには・・・・人は自分が思い描く答えと全く違う答えが返ってきた時に・・・
「宿命」!?というように語尾の発音が極端に上がり、
相手に確認するように
また自分に納得させるように言葉を発音するという言い方は、
おそらくこの映画の丹波哲郎の一言が広がって
我々日本人のスタンダードな発音表現になったのではないだろうか?
・・・と思わせてくれるほど、印象的なシーンでもあり、
私にはそうとしか思えないのだwww。(思い込み)
そして、やはりこの映画でも出てくるエッセンスは悲しみであり
棟方志功も言っている、感動や喜びの表現のベースには必ず悲しみという感情があって・・・・
という様に砂の器の、事件の首謀者にも幼少期の言い知れない深い悲しみという傷があって
それは、自分の人生を成り行き任せにそのままにしないで、
自分の力でもって切り開いて絶対に幸せになってやるという
いくつもの努力を垣間見る原動力にもなっているのである。
乞食の幼少期時代を経て、第2次世界大戦時の法務局の戸籍が焼け、
自己申告によって戸籍回復をする時を一つのチャンスととらえ
新たなる戸籍を我が新しき人生として手に入れ、また努力も重なって作曲家へと伸し上がり
また政財界のドンの娘との結婚をも企み、日本一貧しかった幼少期の過去から
今、正に日本一幸せな男になろうとしている人生物語が
事件と幼少期の点と養子になってからの線で結び合う
一瞬を見逃さない、偏執傾向の刑事丹波哲郎が見抜く。
幸せは、人の死を踏み台には成し得ないのだと言っている切り口には舌を巻く。
人は幼少期の思い出がとても大切だ。
心は目には見えない。そして複雑怪奇だ。
心に受けた様々な傷は大方、幸せな思い出によって穴埋めされて
補完されて成長していくが
その傷という黒い大小の点はそのまま残されて埋もれて記憶から消え去っていく。
しかし、時折大きな黒い点だった場合には、補完されずに空虚な部分となって
時折大人になった時、寒さで古傷が痛むように思い出すこともあるだろう。
今ではカウンセリングやコミニティー・サロンが出来て、傷を舐めあう会によって
知識や経験則による癒しが得られるが、僅か30年前まではそう云った概念もなく、
ただ一人抱えながら生きていく他はなかった。
唯一の解決策は伴侶を求める事やペットを買って心の拠り所を作り、
意識を捉われるという形で忘れている時間を多く作る他はなかったかもしれない。
心の傷が形を変えて、その心の有り様が実態となり、
目立ちたがり屋の有名人へと成る場合もあるかもしれない。
1977年リメイク版
2004年リメイク版
2019年リメイク版
私の知る限り4本の砂の器が作られている。
1974年初盤では、エンディングが尻切れトンボに作られており、
限りなく黒に近い白という状況まで追い込んでのエンディングを迎えている。
当時の結果と結末は分かっているのだから、その犯人の掴んだ幸せを・・・
警察官である養父に引き取られ、その後実の父が死ぬ前に絶対に死に目に遭えと、
一度引き離しておいて、また会えと勝手な善意を押し付けられて、
他人の善意に翻弄されて逆上して養父を殺した俺を、
警察が真実を暴いて壊さないで欲しいという、まさに警察に翻弄されて
結果を見ない形で終焉する演出は、まさに歴史的傑作作品であり、
後にインスパイアされて三本も同じタイトルで出る理由に値すると思うのです。
今日は3時の起床後より、ネットフリックスで砂の器を見てしまい、
結局ジョギングに出かけぬまま
ブログを書いて朝を終えてしまいました。www
久々の筋肉休日も必要ですから、心の感動を補給して仕事に入りたいと思います。
本日もご覧いただきましてありがとうございました