私は、以前にも幼少期の音楽概念形成時期の創成期の中で、
冨田勲のレコードが私を作ったと云っても過言ではないと書いています。
冨田勲のシンセサウンド・・・・それは昭和の歌謡音楽界においては異端者とされ、
様々な音楽業界からは距離を置かれて見られていましたが、それも束の間であり
いつしか時代とともに、日本の音楽界を牽引する役割を担うまでになり
冨田勲無しには、テレビ業界は番組を作れないというほどまでに浸透していきました。
興味を持って注視しなければ、その行いが何であったかは知らぬ人が多い中で
楽曲のタイトルを見れば明らかなように、挑戦です。
トリスタンとイゾルデの伝記をイメージしてみたり、
ニーチェに影響を受けたホルストが惑星を描き、それをリスペクトするあたりは、先見性がありました。
イスラム世界のアラベスクをイメージして作られたドビュッシーのアラベスク第1番をリスペクトして
口笛風のキザな広大なゆとりを演出し、独自の世界観を作り上げ、冨田ワールドが炸裂していきます。
タイトル一つ一つが、単に音符を真似するのではなく、
新たなる100年後の世界を創造インスパイアするようにつくりかえられているのです。
この感性が、古ぼけたものになるのは、
いつ頃になるのだろうと、聞けば聴くほど豊かな感性に舌を巻くのです。
月の光などは有名ですが、
光が斯くもゆっくりと地上に降り注ぐ様は、初っ端から期待を裏切られ
サンピラーに乗って歩けるだろう架空の橋が形成されて、地球と月に道しるべが生まれるイメージは
未来の大気圏重力エレベーターを創造させられて、大気圏に誘われると曲調も変わり
無重力を味わいながら月まで到達するという・・・・まったくもって未来想像図を思わせる作りです。
これはあくまでも私が冨田勲のレコードを生まれて初めて買って影響された私の感性が
冨田押しするのであって、一般的にそう感じるのかは分かりません。
これからも、自分の心を落ち着けて、幽体離脱を行う際には冨田勲の音楽を聴きながら
しばしの・・数十分間は地上を離れ、鳥瞰図で云うところの俯瞰的高さから地上を眺めるとしましょう。
これを聞くのに、そして幽体離脱を果たすためには、没入感が必須なのです。
臨場感や迫力、ドルビーや3D立体音響などの5.1chサラウンドではない、
ステレオの大きなスピーカーとアンプ、そして、十分な音響に包まれるだけの空間が必要なのです。
あとは静かにオットマンに足を乗せてリクライニングして耳をすませば良いだけなのです。
感性がリンクして、スピーカから流れる振動と音楽と心が謎の共鳴をし合った時(傾眠?)、
意識は身体を離れ、広い空へと飛び立ち俯瞰できるのです。
昨今、アイポッド、イヤホン、CD音質、ノイズキャンセラー、サブスク・・・と、
音楽を聞く便利さは広がりましたが、
それでは幽体離脱はできないのです。
静かな広い空間、大きなスピーカー、マランツなどの優しいアンプ、リクライニングチェアーと
冨田勲のレコードがあれば、クリッピングノイズが唯一現実に縛り付けてはいますが
クリッピングノイズが消えた瞬間に飛び立つことができるのです。
少し、間違ったワールドに誘ってしまいそうな宗教的雰囲気が漂いますが、
昭和生まれの、レコード世代は、私の言葉が十分に理解してもらえるはずです。
そんな感じで、今さら冨田勲ワールドのような世界観を持った音楽というのは、
しばらくは現れないだろうなぁ~・・・・と思いながら今回を締めたいと思います。
最近は幽体離脱して、心のクリーンナップ化はされていますか?
そんなん( ´ー`)シラネーヨという言葉ありがとうございます
本日もアラカンおやじのとんでもつぶやきに、お付き合いいただきましてありがとうございました