たまたまネットサーフィンして居たら、結婚願望と対象などと云う記事を見つけました
内容はこうです。
友人であるうp主(ウプヌシと呼ぶ、情報をアップしたという意味)が、
40代の女性友達に男性を紹介したいのだ
けれども、
彼女の希望が20代後半の男性と付き合いたいというものなのです。
その20代後半という希望を、
30代後半や40代などに変えられないだろうかと云うものです。
私は、一瞬考えました。
最後まで記事を読んでみると、どうも相談者の当事者も50歳を迎えるまでには
結婚したいと考えている様子なのです。
子供を作りたいというものでもなさそうな雰囲気で、
あくまでも老後の晩年を夫婦で暮らしていきたいという安心感が欲しいものなのか?
もしくは、親を安心させるために一度くらいは結婚してみたいという願望があるのか?
どういった了見でそういった言葉が出てくるのかは分かりません。
世の中の流れは二分しつつあると思います。
一つは、熟年離婚をして、旦那から解き放たれて自由になりたいというもの。
もう一つは、夫婦で老後はゆっくり支えあいながら幸せに暮らしていきたいというもの。
先日、サイエンスゼロの番組でも放送されていましたが、現代は性の中性化が進み
決して、男性、女性と性差が色濃いものではなく、草食男子と肉食女子が多く存在し、
その中性人は相手を求めなくなってきている。
という世界的風潮なのだそうです。
つまり煩わしくない、一人での暮らしを選ぶ傾向があります。
もしも、女性が本気で男性を求めるなら、とっくに何度も結婚して離婚している事でしょう。
その上での再婚話なら、ピチピチ精力満タンな年下希望という理屈には納得がいきます。
しかし、初婚であり20歳も年下の男性を求めるというのは、何か裏がありそうなのです。
もう少し、自他共に志向への深堀りをしてみて、好みの明確化や理由をはっきりと進めない事には
結婚するという行為までは遠い道のりかも知れないと思うのです。
この性の嗜好・志向・思考という問題は、本人しか解かり得ないものだからなかなかに難しいものです。
ハッピーエンドを刷り込まれてきた日本人だからこそ、
幸せが善、夫婦が当たり前、独身は問題児であるという考え方が植え付けられていると思います。
確かに、世の中には、幸せだったと結論ありきで道筋を作っていく人生もあるかもしれません
しかし、現実にはそう簡単にはいかないでしょう。
私は、若干キリスト教が好きなところがあり、フランダースの犬の例をよく持ち出すのですが、
天国界に居る我々は、幸せの中に居ると喜びを感じなく不感症になるのですが、
地上の地獄界より、時折喜びの声が、風に乗って静かな天国界にも聞こえるのだそうです。
なにやら、その声に惹かれて、地獄を見てみたいという人が現れ、地上の飼い馬桶という場所に
裸で現れ、星を見た聖人がそこに集まり服を寄付してくれたり、食べ物を与えてくれたりと、
みんなに育てられて成長していくという物語からキリスト教は始まるのですが、
我々はその地獄を味わう為に生きているのだから、幸せを感じるために生きているのではなく、
次から次へとプレゼント・フォー・ユーという形で試練がプレゼントされるのを、
こなしていかなければならないと、私の知っているキリストは教えているのです。
そういう意味で、相手を見つけて幸せを最初から求めるのではなく、苦労をした上で、
その中での喜びの積み重ねが、幸せという形で、
一つ・・・二つと記憶に残れば、それでいいという
少し、ストイックな人生観を持っているのならば、結婚は是非すべきことだと思うし、
そういった覚悟なら、喜んで一肌を脱いで、後押しをしようじゃないかと思えてきます。
なかなか、当たりの宝くじがそこら辺に落ちている訳はなく、
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ギャンブル依存症の私が断言する!!!
苦労してハズレを数千枚買っているうちに、400円程度当たるのが普通であり、
喜びや幸せと云うものは、転がってはいません。
いくつもの失敗と挫折や苦しみの中で、時折見つかるものが幸せなのだと、
最近アラカンになって富に感じるのです。
そういう事で、40代というのは、夢や希望に満ち溢れ、
まだ俺には・・・私には・・・未来があると思うかもしれませんが
そんなに歳をとってから、体力的に生きることは簡単な事ではないと感じてきています。
日々登山に明け暮れている私ですらそう感じるのだから、やはり子育てや
真面目な結婚生活は20代から始めるのが妥当であり、
40代から始めるのならば、私ならば無理をしない、
精神的依存としての安らぎの相手を求めることをおススメしたいところです。
(財産分与の相手というほどの財力があれば別だが・・・)
そういう目線で、この記事を見てみると、こう云った問題というのは、
これから多分に現れてくる星屑の一つなんだろうな~なんて思うのです。
子育ては大変です。
体力のあるうちでなければスキー授業や親子マラソン大会なんて出来ません。
あくまでも私の意見。
もう少し包容力のある、多様性の意見もあるのは重々の上で、一つの意見。
という事で、昔はシンプルだった問題解決でも、
これからの世の中、サードフェミニズムの潮流の中で、
多様化し過ぎて難しい問題になっていきそうですね。と思った記事でした。
本日も偏見にお付き合いいただきましてありがとうございました。