豊かさへの欲望 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

誰でも、豊かになりたいラブ

 

どこまでそれを追い求めていくのでしょうか?ポーン

 

 

今回は、ふっと我に返った時、欲望を止められずにいる自分が居る事に気が付いたのです。ゲッソリ

 

 

ベンツやロールスロイスとまではいかなくてもいいですが、クラウンを乗っていたい。チーン

 

 

のんびりとお金に困らず、仕事もせずに窓を見て何もせずに暮らしてみたい。お願い

 

 

そんなことを夢見て、毎日過ごしますが、

 

現実には軽トラック1台と50ccのバイクであるカブがあれば、十分事足りるはずなのに・・・・。

 

 

更には

 

カメラを買ったり、ちょこまかと散財していては、溜まるお金も溜まらずに

 

明日死んでも満足なようにと、仕事の合間を縫って登山、写真撮影と遊びほろけておりますが

 

 

どこまで豊かになったら自分は満足するのだろう?と思うのです。絶望

 

 

 

 

新しいものが出れば欲しくなり、

 

本来は必要最低限のものがあって、食べ物でも菜っ葉とダイコンとみそ汁、コメで十分なはず・・・

 

なのにも関わらず、

 

 

やれ、お取り寄せ品の、高野山ゴマ豆腐だの、富山金沢のゴリ料理だの、

 

北海道に行ってのジンギスカンや標津町の牛乳や礼文島のウニが食べたいというように、

 

贅沢を夢見て。

 

 

衣類は登山服を好んで購入し、ワークマンで購入すれば800円のものに

 

登山で有名なブランド品の9800円もするTシャツを着て、衣類は全て10倍高いお金を払い・・・

 

それでも

 

益々欲望が膨らみ、豊かさはまだまだ享受されていないとばかりに錯覚し笑ううさぎ

 

現実のありがたさと満足に気付きもせずにいる自分が居るのです。えー

 

 

そんな思いから今回の記事を書くことにしたのです。

 

 

確かに豊かさを求める気持ちはみんな同じでしょう。

 

 

しかし、ある程度の限度を決めておかないと、どこまでも果てしなく欲望は膨らみ

 

仕舞には、自分の稼ぎのお金だけでは不足して、盗みに走ってしまうかもしれません。

 

 

その限度という一線を越えてしまった結果が、万引き、窃盗、着服、横領などという言葉で

 

世間様にあからさまにされるのではないでしょうか?

 

 

病気をすると、ベットの上では、生きてさえいれば良いという謙虚さが現れてきて、

 

今までの幸せを振り返ることも出来、

 

その結果として断捨離のように、

 

全ての欲望の結果とお別れを果たすことが出来る決心がつくのですが

 

日頃にそれに気が付くことは・・・なかなかに難しい事です。ニヤニヤ

 

 

 

最低限の生活で・そこそこの生活で感謝して生きる事。

 

 

 

私の場合は、どこまでを限度にしてこの世界に感謝できるのでしょうか?

 

 

 

そこが問題です上差し

 

 

 

皆様はどのように限度を決めて、ここまでで十分と思っていらっしゃるのでしょうか?

 

 

 

レクサスを日頃運転して、都心に持ち家があり、東大に入れる子供が居て、自分は出世して社長職。

 

 

そして、退職後は老後の充分な年金と貯蓄がある。

 

 

等の条件が揃えば夢のようとしか考えられませんが、

 

 

会社があるのだから、その分のトップの人数は夢のような人生でしょうけれども、

 

それ以外の人たちは、どこを求めて、どこを持って満足なのでしょう。

 

先日、そんな話をしたら、「足るを知る」が分かれば、欲望と決着がつけられるかもと云われ

 

確かに、全ては足りている。十二分に足りているのにも関わらず止められない欲望。

 

キリスト教には「安息日」という

 

単なる休日ではなく、神の言った事に気付き、自分を振り返り、感謝して最低限の活動のみで

 

一日を豊かな気持ちで過ごすことこそが、安息日という事で、設けているにもかかわらず、

 

私は、それを絶好の休日だと勘違いして、

 

欲望のままにお出かけして登山やカメラ、釣りに行ってしまうのです。

 

安息日という概念

 

足るを知るという概念

 

早くそれが出来るようになりたい・・・

 

そんな風に今日は思っています。

 

 

本日もくだらない記事を最後までお読みくださって、ありがとうございますお願い