今日はドライな気分、砂漠のように時折の湿気すらも、日中の日差しに吸い取られ、
どこまで掘ったら湿気を感じることが出来るのか?それともオアシスを探した方が早いのか?
と云った乾ききった心で、書いています。
私のブログを見てくださっているエイタ君のお母さんのコメント見ました。
昨日の佐藤容疑者の発言に納得できないことは、同感です。
子供の命を返して欲しいという気持ちが痛かったです。
そういう気持ちがあるのならば、容疑者は全て私が悪かったと認めて欲しかった。
相容れない思惑と感情。
平行線。
鬼畜野郎に正当な裁きと鉄槌が下りますようにお祈り申し上げます。
さて、そんな風に片隅に気にしながらも、
もう一つ大衆懸念材料の行方も気になります。
いつからそうなってしまったのだろうか?
自分の問題を解決できずに、
カウンセリングや薬に
頼るようになったのは。
諦めを知る。
やり切れない思いと共に過ごす。
諸行無常の響きあり。
当たり前のことを民事解決しようとする努力は高尚だが、
やはり最終的には、時間がかかっても自分が決め、前に向かう事を
一方通行の時間軸は教えてくれているのではないだろうか?
JP7FRMのmy Pick
そう思われてくれる記事がこちら
悩みの本質が分からない。
結局、カウンセリング→処方薬という流れに、無責任に流されていく子供たち。
人が死ぬという事が、自宅ではなく病院死となり久しくなるが、
以前は人の死は、大方・・・自宅であった。
生まれたら死ぬ。
当たり前に思い、だからこそ、その生の時間を精一杯生きようと暗中模索する苦労。
その中で、失踪、不慮の事故死、怨恨トラブルによる岐路の突然の変化、病死
最終的最高の人生の終末の証である自宅での老衰死。
そこにまでたどり着けるかが、最大の人生の旅路と云っても過言ではない時代に
それぞれに心に傷を持ち、傷を持っているからこそ、人に共感して話で盛り上がり
自称被害者の会モドキを、あちらこちらで開いていた若かりし昭和の過去が懐かしい。
しかし今、それが無く、スクールカウンセラーや精神科で話して薬を処方して貰う時代になってしまった。
世知辛い・・・時間的にも窮屈になってしまい・・・
そんな悠長な被害者の会モドキで盛り上がる時間はどこにもなくなってしまった。
生活費を稼ぐことで精一杯の日々。
自分以外に興味などはなく。
全て自分しか見ていない世の中に・・・・平成のいつかしらから成り果ててしまった。
自己解決の最短の道は、相手を殺すこと。
誰もがそれを行えば、世紀末だ。
自己解決の最善の手法は、相手を傷つけずに、自分が抱えている問題をどう解決するかだ。
故に、問題は自分の思考回路と感受性にある。
鈍感であれば、あれだけ言われているのに気が付かないのか?というように思われ、
相手をジーと見つめていれば、どんな些細な事でも気になってしまう。
それって
どれだけ嫌いな相手が好きなんだって話です。
振り向てくれ、俺のこと分かってくれ、何で俺の事分かってくれないのだ、
ふざけんな俺がどれほど思っていると思っているんだ。
コノヤローという流れだろう。
そういった自分を解決できる方法を親が教えてあげなくてはならないし、
友人同士で集まって、ビーバップハイスクールモドキではなく、
お母さんが、ジュースやお菓子を持ってきてくれて、食べながら
俺もそう思うけど・・・忘れようぜ!
といった具合に話の炎が盛り上がって来たところで鎮火させる役が必ず昔は居たものだ。
それがつるむっていう意味じゃなかったのかなぁ~昔は・・・。
↑
連れションっていう言葉もありました。
それがあったからこそ、自暴自棄を防げたように思います。
これからの時代、そういった目には見えない心の傷について、共有しあい
涙話も最終的には笑い話に持っていけるようなミーティングというか
有意義な機会っていうのが必要じゃないかって思うのです。
だから、友人に相談があるんだけど―って言われた時、
カネの事じゃなければいくらでも聞くよ
と言ってあげた方がいいかもしれない
金のことは一番問題の中で簡単だから、銀行に行ってみろ、いくらでも貸してくれるぞ
いや、今日は金の事じゃないんだわ・・・・。www
そんな風に、無責任に言うだけ言って、責任取ってくれないんじゃないですか!?
と言ったら、それは自分に覚悟が無く、どこか人任せであり、擦り付けて安心するタイプの
甘い考えを持っているという証明だとも思うのです。
問題の自己解決の最短距離は、明確化です。
自分の問題を、事細かに成分を分析して細分化していくことで、
問題の本質か見え始め、同時に解決の糸口も見え始めるのです。
カウンセリングは、促し、共感、明確化などを通して、
本人がその問題の本質に気付くことを狙っている訳ですので、
そこに気付きたくない、ごまかして、相手が悪いのだという事にして事なきを得たいのであれば
薬物治療も已む無しですが、
もしも、自己解決力を養いたいと思うならば、
明確化が出来るようになることをお勧めしたいと思うのです。
そして、出来得るなら、・・・だよねー--という共感する友人を持ち
その中で、自分が問題に気づき自己解決できることが望ましいですので
無駄話が出来る友達を持つという事が、スクールカウンセラーや薬が要らなくなる方法ですから
友達って大切ですね、
友達という名の心の処方箋という記事でした。
そんなことを思った本日でした。
ご覧いただきましてありがとうございました