意外と魯山人 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

 

様々な人と会話していて、ふっと思ったことがある。

 

それは味覚だ。上差し

 

日本全国様々な人々が暮らし、毎日食事を食べているが、

 

それは地域性や偏食性、食育による影響が色濃い

 

 

故に、多くは小学校で教わった三角食べを基本に、中学・高校の進学の間に、

 

蛋白質や炭水化物、食物繊維やビタミンと云う概念を知り、バランスよく食べることを実践していく。

 

 

しかしながら、だからと云って日本全国統一の味覚にならないところが、

 

郷土に根付いた料理があるからであって、さらに土着した年寄りによる文化を継承する傾向があるから

 

東北では醬油をベースとした濃い味付けとなり、

 

関西方面ではダシをメインとした薄い味付けになるのであろう。

 

 

 

昭和に入り、贅沢品と云えばステーキや寿司、すき焼きなどに代表されるアミノ酸ベースの食品が

 

高級品となっていくが、それは単に野菜などを基本とした庶民の暮らしの反動によって感じられる

 

対称的贅沢品であった。

 

 

平成に入り、逆に肉や魚などは豊富に出回り、逆に野菜に価値を見出す原点回帰ともいえる

 

現象が起こり、肉のパックよりも野菜が高い事すらあるのが最近の世の中だ。

 

 

現在はサンマが一匹400円もするが、私が住んでいた30年前は神奈川県の小田原市のスーパーでは

 

10円だったこともある。20時のセールでの話。

 

 

そして今、何が一番おいしい食べ物だろうという事で、庶民は心で探求する旅を続け

 

ディズニーランドのチュロスや、那須高原牧場のペロシキや

 

はたまた、北海道の寿司チェーントリトンやら

 

はたまた日本を飛び越え、マクドナルドも飽きたところで

 

韓国フードや台湾タピオカに代表されるものを好んで食べたりしてもいる。

 

 

何故そのように外国フードやジャンクフードに視線が誘導されていくのかと云えば、

 

やはり日本の郷土料理の魅力や継承者不在による食文化荒廃が原因だろうとも思うし

 

同時に、マグロの味を好んだ日本人の味覚が、サーモンを好んで食べるようになった

 

つまり、脂肪分に旨さを見出す味覚に変わったことも、一要因ではないだろうかと思う。

 

 

 

故に、アイスクリームや中トロ、チーズハンバーガーなどのように乳脂肪分を旨いと感じて

 

アミノ酸のダシの味に旨さを見いだせなくなっているのかもしれない。

 

 

私はどちらかと云えば、ヘビのマムシは漢方薬代わりに、よく食べさせらていたし、

 

どじょうも毎週のごとく、ドジョウ汁にして食べていたし

 

鳥類のマガモも自分でさばいて食べるほど大好きだし、イノシシのジビエも大好物だ。

 

そして、野菜は自分で作るし、果樹も作る。魚も釣って捌いて食べるように、

 

いつの時代の人かわからないほどワイルドに育てられてきた。

 

 

その私が考える、旨いものはやはりドジョウで作る柳川鍋と上差し

 

ゴボウで煮るマガモのスープは何と云っても最高だろう。OK

 

 

 

柳川鍋は、体長の長い生きたドジョウを使用し、バケツに真水を入れて、

 

3日から1週間ほど毎日水を変えてやり、泥を吐かせてやる。

 

 

活きの良いうちに、それをまな板の上で、頭と背骨をとることを上手くやって、

 

腹開きもしくは背開きにする。

 

せめて2匹以上は欲しい所だ。

 

そう思いながら、包丁を探すがこればかりは野菜包丁では全く歯が立たない。

 

かといって魚釣り用に購入したアジ捌き用の短いステンレス製の出刃包丁でもイマイチなのだ。

 

ぬめりの伴う魚を捌く時に使うのは、私の好む甘切れする鋼で出来た包丁でなければならない。

 

 

まず塩を振りぬめりをこそぎ落とす。

 

活きのいいドジョウは力が強い、それをこうギュッと頭を押さえて一発で決めなくてはならない。

 

一回決めてしまえばこちらのものだ。作業手間はそれほど多くはない。

 

頭と中骨を取るだけなのだから。

 

数匹捌いたのちに洗い、水分気をとっておく。

 

これを浅めの土鍋に並べて、ささがきにしたゴボウをうまく敷き詰めて、

 

割った生卵をうまく中央に載せる。

 

場合によっては細切りのネギも添える。

 

あとはみりんとしょうゆで十分だ。

 

10分ほどグツグツと煮込んで、ゴボウが固い時はもう少し煮る。

 

もうこの頃になってくると部屋中に暖かい湯気と美味しそうな匂いが充満し、

 

近くにいる人はその匂いを感じて、何を作っているのか覗き見に来ることであろう。

 

 

程よく匂いが美味しそうに変わってきたところで即座に火を止めて、三つ葉を数枚載せて蓋をする。

 

蓋をする時間は3分ほどで良い。グッ

 

 

この3分間は踊っていてもいいし・・・歌ってもいい。

 

私ならアラカンだが、サクラ大戦、帝国歌劇団を口づさみ、うる覚えの振り付けをしているかもしれない。

 

 

この曲は、都合よく3分の踊りなのが笑えてしまう。だって

 

ただ待っているだけなのだから。

 

江南スタイルは4分を超えるから柳川スタイルには合わないであろう。www

 

 

韓国嫌いな場合は、ダンスィングフィッソン族の踊りでもいいかもしれない。

 

 

しかしこれも4分を超えるが、一つのダンソンフィーザキが30秒だから

 

6回やればちょうど良い計算になる。ゲロー

 

 

いや!バイバイ どちらも、そんなのは恥ずかしいと思えるならば、離れても良いのだが・・・

 

だからと云って遠くに離れられないのがドジョウ鍋というやつなのだ。

 

 

この蓋をするだけの作業は余熱でドジョウの身を、膨張熱によってふっくらとさせる為と、

 

三つ葉の香りが鍋いっぱいに広がり、

 

味をなじませる時間でもある。

 

 

初めて食べた人は、ドジョウから出るダシの味は分からないだろうが、

 

私のように幼少期から食べ慣れている人間は、まるで鰹節のダシや昆布のダシのように

 

ドジョウのダシは美味しく感じる。

 

アサリなどの貝類のダシとはまた違うダシの旨さなのだ。パー

 

 

そして完成したものが、私流の柳川鍋となる。グッ

 

 

↓これはネットでお借りした写真で私の作ったものではありません。イメージです。

 

おもむろにアツアツになった蓋を開けて、湯気がはけて視界が開けてきたら・・・・

 

まず箸を伸ばすのは、ゴボウだろう。ウインク

 

何故ならドジョウに手を付けてしまえば、一匹がなくなってしまう。

 

これを食べる為に煮たのだから、なぜにこれを先に食べないのかと自分に問いながら

 

もったいないという意地汚い根性がフッと現れてきて、一番おいしいものは最後にとっておく主義

 

・・・とでも云わんばかりに、ゴボウの硬さを感じながら口に運ぶのだ。

 

 

次に箸を伸ばす先はネギだろう。

 

ダシの浸みたネギの味はどんなものか?

 

シャキシャキ感が残っているうちに食べておかないと、歯に引っかかって仕方なくなる

 

歯の弱い私の中では厄介者の食品でもあるのだ。ゲロー しかしながら無いと寂しい。

 

 

おもむろに口直しに卵を食べながら、ついぞそれに引っかかって一緒に入ってくるドジョウの身。

 

あーいよいよ味わえたかと思い、今度は勢いのついた箸でドジョウの身を

 

数等分に分けながら口へと運ぶ。

 

 

舌に感じる昔ながらの身の感覚と味わいに、舌鼓を打ちながら目線は白米を探すのだ。ポーン

 

白米を探すうちは、まだお子様だが、日本酒を探すようになるならば大人の仲間入りだろう。デレデレ

 

普段は甘口を好むのだが、ドジョウには辛口の二級酒がとても合う。

 

 

一旦箸を置き、日本酒をグイ飲みで口の中をさわやかにする。

 

胃の中までスーッとしたところで、気持ちのひと段落だ。

 

視線は遠く、過去から現在までの思いに耽始めるのだ。

 

 

その繰り返しは3度程しかできない。

 

何故ならドジョウ鍋はあまり大きくなく、すぐに食べ終わってしまうからだ。

 

こんなことに喜びを見出す私の話を同級生が聞くと、俺はドジョウは食べられないな!

 

あんなもののどこが旨いのだといつも云われるが、

 

これはやはり育ちが大きく関わっているとしか云えず、無理強いはできない。

 

マンション育ちと山間部の畑中育ちでは、そもそもの食べ物が違うのだ。

 

 

同級会や芋煮会という山形県独自のみんなが集まるイベントがあるが、

 

俺の煮たイナゴの佃煮を持って行ってやろうかとも思ったのだが、

 

「イナゴが採れず残念ながら持っていけないんだよ」と言ったら、

 

「そんなもん誰も食わないから持ってくるな」とお𠮟りを受けてしまった。チーン

 

 

全く私の感性と現代がマッチングしていなくて、魯山人的味覚の持ち主である私の肩身は

 

ますます狭くなってきているのである。アセアセ

 

 

字数が多くなってしまったので、魯山人的マガモ偏はいつかに譲ることにしたいと思いますが。

 

そういう事で、最近は富に自分の味覚が現代から離れていっていることを感じる

 

今日この頃という記事でした。

 

都会にお住いの方であれば、柳川鍋の店は沢山あると思いますので、

 

私と同様の魯山人的味覚になってみてください。wwwゲラゲラ

 

本日もご覧いただきましてありがとうございましたお願い