単に請け売り的言葉ですが、「謙虚な姿勢は自分の心を豊かにしてくれる」
というカレンダーの文字を毎日見ているのに、何故だか今日だけその言葉が心にスーっと入ってきました
見ていて文字は知っているのと、その言葉が意味することが理解できるのと
では全く違うという現象が今日起こりました。
攻撃的に攻めの掴み取ろうとする豊かさには限界があります。
体力のあるうちはがむしゃらに仕事量を増やせばそれだけ給料も上がる。
金があるそれが豊かさの指標だと思い込みますが、
そういった思考でいれば、
体力も無くなり、仕事量もこなせなくなってきた時、豊かではなくなってくるという事態に陥っていきます。
そんな時、
社会に対して、自分の虚勢を張って生きてきたという皮を脱ぎ捨てて見るならば・・・
もしくは、大病によって半ばリタイヤしなければならなくなった状況の時など、
豊かさの違った側面が見えてくる訳です。
それが、謙虚な姿勢という言葉になって表せるのでしょう・・・かもしれません。
いわゆる攻めの豊かさと、受け身の豊かさ。
相田みつおの言葉に、「降る雨は同じでも受け皿が違う」という言葉があります。
まさにそのように、受け皿が小さいのに、またはザルに豊かさを詰め込んでも、
つかみ取れる部分はそれほど多くはありません。
しかし、受け皿を大きく持つこと、丁寧に受け取ることで、より多くの豊かさを享受することが可能です。
毎日の生活の中で、どの部分をどうやってという、豊かさの受け皿を広げる努力をしていくことが
今後の人生に於いて、豊かに生きられるコツなのではないだろうかと思えてきました。
そんな事、頭では知ってるわいと思いますが、
知っていることと、理解することとは違う訳で
これからは知識的な知っているというのではなく、それを理解して利用できる知恵という部分を
磨き深めていき、豊かさに溺れようと思う訳です。
そんな感じの感性敏感な生活の一コマでした。
秋田県阿仁の道の駅 またたびラーメン 細ちぢれ麺
またたびが麺に練り込まれていて、また旅が出来そう・・・
お後が宜しい様で・・・
本日もご覧いただきましてありがとうございました