胸が苦しくなる | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

胸が苦しくなる18歳恋の矢胸が苦しくなる81歳ハートブレイク

 

そして、一年で一番大きい出費、国保税の支払いに胸が苦しくなる今日この頃。笑い泣き

レンズ買ったから苦しくなっただけでしょ!・・・そうでした。

国保税払ってから考えるんでした叫び

 

いやいやバイバイそういう意味で、狭心症モドキが発症したのではありませんが・・・滝汗

 

 

 

人の事を気にしている場合じゃないんですけども・・・・

 

何だかユーチューブ見ていて路上生活をしている人にインタビューしている動画を見たときに

 

ある程度年齢がいった人の不労者生活を見ていると、世の中というシステムに距離を置きたいと考えて

 

我力によってのみ生きていきたいという意思は・・・・何となく・・・

 

それこそ何となくではありますが、理解できるんですよね。OK

 

でも、そんな流れで流し見していた時に、次の動画が目に留まりました。!

 

2021.02.22

 

なんか・・・涙出てきたんですけど。えーん

 

何でこんなに若いうちから苦労しなくちゃいけないんだろう・・・って。

 

話を聞いていると、ホントに幼少期から両親に育児放棄という虐待を受けて育ってきて

 

逃げ延びる生き方だけは巧みになって、他人をごまかして困っていないふりをすることが得意となって

 

それこそ社会の偽善救済のシステムから外れてしまった・・・本当の受難者にも関わらず

 

助けなくちゃいけない人が、見逃されて、もしくは自ら逃げて生きる方を選んだ結果なのかも

 

しれないけれども、

 

24歳にして逃げることでのみの生きる術をを覚えてしまい、

 

これからの希望を閉ざしてしまっている話し方にも

 

胸が痛み、何とかしてあげたいんだけれども・・・。

 

 

そもそも自分がダメだと自分自身に烙印を押してしまっていては、他人が助けようとも助けられない。

 

 

何とかこの子のマインドをコントロールして、

 

これからの人生に対して前向きにしてあげられないだろうか?

 

それとも、幼少期の傷の深さ故、致し方ないのだろうか?

 

そもそも他人なんて変えることが出来るはずもなく・・・。

 

相方の性格を変えろと言われて、変えられる人は誰もいないのだし、

変えようとしても、私の経験上、精神的にも体力的にも、根気的にも・・・無理でしたえーん

 

自分の性格を変えろと言われても、そもそも無理ゲーだし。

 

そもそも無理なことは分かっているのだけれど・・・・。

 

せめて地方の農業の手伝いとか、短期アルバイトを複数掛け持つとかの仕事をして

 

生活を立て直して、毎日風呂に入れるように、女らしく、せめておしゃれとか出来ないのだろうか?

 

 

彼女の話を聞いていて、私の好きなキムテヨンのRescue Me(レスキューミー)の歌を思い出しました。

 

「助け出して・・・ここにいるよ・・・あなたしか聞こえない

 

声を枯らして叫んでいるのにー

 

怖くて、震えているよ、もう息もできない・・・

 

お願い・・・レスキューミー」

 

 

彼女の歌詞のようにお願い助けてーっていう一言が言えたなら、

 

誰か助けてくれるとは思うのだけれども

 

両親に育児放棄という関りで育ってきた中で、助けを求める相手など世界中に誰もいないと覚え

 

誰か・助けて!という簡単な一言が、簡単に言えないのだと思う。

 

 

そういう意味で、助けて・・・お願い・・・と言えるのは、

 

両親や兄弟などに愛されて育ってきたからに他ならない言葉の甘える心理であり、

 

そうやって人は愛し、愛されるという人間関係が育まれ、次第に絆が太くなっていく。

 

 

そう考えてみたときに、子供の甘えに答える両親の何気ない返答というのは

 

愛をはぐくむ大事な行為なのだと思わされてしまう。

 

子供からのどれだけ大きな甘えに対しても拒否せずに、なるべく叶えてあげるように努力する

 

そういった一見、愛とは無関係の事でも、形を変えて愛情を育むことになろうとは

 

この動画を見るまでは知る由もなかった。

 

 

社会福祉を勉強して、行政システムに関わっている誰かが、この動画を目にして

 

彼女を救済してくれることを祈っています。

 

俺には無理だけど、お願い・・・誰かメルさんを助けてくださいお願い

 

メルさんのその後

 

2021.04.08

 

クラウドファンディングを立ち上げて、金銭的に、または行政も関わっている様子なんですけれども

 

確かに金銭的な部分、労働という部分に関しては

 

人並みにレールに載せられている幸せというのは

 

人から与えられて、明日という希望が見え始めているのは分かるんですけど・・・

 

 

 

そういうんじゃなくて・・ソウル!?って云うんですか?

 

 

 

 

魂の叫びの部分が閉ざされたままなんですよね。ポーン

 

 

 

 

そんなことを言えば俺もかもしれませんし、誰も彼も・・・であって、

 

彼女という人を通して、鏡のように、それが見えてしまうのかもしれませんゲッソリし・・・。

 

よく韓国人は、感情的でとか言いますが、日本人そのものがクールに育てられてきて

 

愛というものが何か?

 

昔は三世代同居の時は、誰か一人くらいは逃げ道の相手(爺さんばあさん)というのが居て、

 

両親に怒られても、心の支え的になってくれたもので、

 

俺は悪くない、勘違いして怒られているんだとか言いながら

 

自分を折らず(曲げずに、押し殺さずに)に立ち直ることが出来ました。グッ

 

しかし今は核家族の中で逃げ道的相手が不在な時代。

 

そこで決着するには、心を閉ざすか、心の置き所を変えるか、

 

無かったことにするしかない選択肢しか選べません。

 

それが日本人の心をクールに道理的に考える道へと進ませて決着し、感情の起伏を表さなくても

 

自己完結させる思考回路へと変えさせて、一見すると感情がないのではないかと思えるほどの

 

冷静な対応を見せるのだとは思いますが、

 

それはそれで良いのですが、彼女のように受難者が同様に、感情のみならず魂までも奥深い所へ

 

押し込めてそれでいいのだという諦め感を持たせるこの社会構造を何とかしなければビックリマーク

 

物質的な豊かさがいくらあっても、生きづらい世の中であることには変わりがなく、しょぼん

 

益々喜びの社会からは遠のいて、誰も子供をそこで産んで育てようとは思わなくなりますブー

 

そういう意味で、社会構造を馬鹿でも楽しく暮らせる世の中。

 

生活保護などなくても回っていく世の中が必要なんじゃないかと、

 

私の怒りとも・・・やるせなさともいえる葛藤は社会システムへと矛先が向くのです。

 

そんなブログの締めで申し訳ありませんが、

 

これ以上書くとグダグダモードになるのを恐れ、締めくくりたいと思います

 

本日もご覧いただきましてありがとうございました。お願い