釣り場で出会った不思議ちゃん | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

いつもの海辺の堤防にコンパクトに収納できる竿を持って、スクーターで釣りに行った時の事です。

 

 

のちに考えれば間違って話しかけてしまった年寄り集団に、

 

今日は釣れましたか?を声をかけて、様子を伺い、最近釣れないねーなどと話をしていて

 

そうですよねーと相槌を打ちながら、何とか一匹でも釣ってやるぞという意気込みを溜めていると

 

少し離れたところにホットパンツを履いた女性が一人で釣竿を出し始めました。びっくり

 

 

愛想が良く、老人たちの集団に何が釣れましたか?と情報収集するあたりは、もはやベテランの域。

 

若いカップルや子供連れのお母さん達とは違う雰囲気です。

 

キェメルのたばこを取り出し、風の強い中、老人の軽トラックの後ろで風をよけて火をつける姿に

 

私もついぞ声をかけてしまいました。爆笑

 

私も若い時からたばこを吸っていたので、気持ちはとてもよく解ります。

 

今ではたばこを止めてから、おそらく7年か8年は経つと思いますが、

 

現在いくらで売っているかさえも分かりません。

 

確か以前は270円くらいだったような?そんな昔の話です。

 

聞くとキャメルが安いんだそうで400円、ニコチンのミリ数表示もないんだとか?へー

 

って話し始めているうちに、老人たちが、もう釣れないから帰って水戸黄門を見るんだと云って

 

竿を仕舞い始めました。

 

そこからが長い・・・・先ほどの女子にイワシやカマスなど、自分ではあまり食べないからと言って

 

彼女に分けてあげるのです。

 

気を良くした彼女は、老人たちの話に乗って身の上話を始めます。

 

何といっても私の釣っている後ろでです。

 

周りで魚釣りをしている人はあまりいなくて、私の竿の動きを皆が監視をしながらなので

 

ある意味でヒヤヒヤものです。

 

 

そして彼女は私の背中側に1ー2メートル間を取って、背中を合わせる形で、話し

 

そして老人たち10人は彼女を取り囲みながら、私の竿の動きを監視しています。

 

 

彼女は33歳で婿取り、子供を3人産んで1年経つが、旦那は大型トラック運転手。

 

2度目の結婚で25歳の年下。

 

彼の竿はデカいらしく、お尻には入らないという話で、ガーン年寄りたちは唖然とした雰囲気。ゲロー

 

もうそれ以上話すなよ!パーと心で思いながら・・・彼女は乗ってきたらしく話は続く。おいで

 

とある葬儀屋の娘で・・・わかる人には分かるらしいが、父との関係が上手くいっていないらしい。

 

 

男性経験数150人以上と豪語し、半ばそういった商売をしてきたのかもしれないが、グラサン

 

男の竿のいろいろの経験話を続けて老人をからかっている。おすましペガサス

 

 

60、70近い年寄りは、悪乗りして、俺の小さいのは中に入るとよく動くよ!ポーン

 

年寄り相手に一回どうだい?とやる気のない誘いをするが、彼女は若いのが好みだから・・・と

 

上手にあしらうが・・・老人と彼女の悪乗りはいつまでも続き・・・・いい加減釣りやめようかなーとも

 

思ってしまったが、その時50m離れた場所で太刀魚が上がった。びっくり

 

彼女はすかさずそちらの釣れた方に声がけをしに行った様子で、ランニング

 

 

そんな感じでいろいろな方を回り、魚をゲットしていた。グッ

 

 

女性の特権かもしれないが、年寄りたちはそれでいいのだと納得していた様子でもあった。

 

 

彼女は3人の子供たちにおっぱいをあげなくてはならないと云いながら、3人も出産すると

 

腹の肉も落ちなくなったのよと、腹をめくって見せている様子だったが、

 

もうその頃になると、半ばキャバクラかなんかの会場にでもいるんじゃないだろうかと思うほど、

 

私の後ろ側には盛り上がりの声や笑い声があった。

 

 

彼女も不思議ちゃんで、恥ずかしさというものがないのか?

 

もしくは、それらの喜んでいる顔を見てほくそ笑むタイプなのか分からないが、

 

私は一度も振り返らずに、事の成り行きを見守って聞いていた。

 

 

いよいよ風も冷たくなり、彼女のホットパンツから出ている白い足も血の気が引いてきたらしく

 

寒い寒いゲホゲホと云って、車に乗って帰って行った。

 

わいせつ話の種が居なくなり、

 

その後老人の一人は、活発でいいが、俺の嫁だったらと思うと・・・・汗

 

自分で小さいのは良く動くよビックリマークとけしかけておいて、よく言うものだと、半ば嫌悪感を感じながら

 

大人の対応でいなし、水戸黄門は何時からですか?ときっかけを作り帰路に勧めた。

 

おしとやかなタイプ、

 

表裏のないさらけ出しタイプ

様々なタイプがあるのはよく分かるが

 

 

私が今回気になった一言は、彼女は3人の子供を育てたら、あとはどうなっていい。

 

という僅か33歳という年齢で、悟りの意識ではないが人生を諦めている、

 

もしくはやり切ったという雰囲気が見えた。

 

老人たちは、それを察してなのか、30歳はまだ若い、脂が乗り頃だとか

 

これからまだまだとかという言葉で客観的に励ましているのだった。

 

男遊びも散々やってきて、生きる目標が子育てのみという表現。

 

女性としてそういう表現者が多いのはよくわかるが、

 

その中で、何とか自分の存在意義や生きる喜びを見出してもらいたいものだななどと

 

自分の事は棚に置き、思ってしまった部分が今回の記事の発端ビックリマーク

 

 

金のために働くとか、老後を夢見て頑張るのだという、馬の前にニンジンをぶら下げるように

 

視線が未来志向なら生きることに張り合いや生々しさが産まれてくるが

 

現状に満足して、欲が満たされてしまうと、先の将来に生きる希望が見出せなくなってしまう。

 

 

彼女は3人の子育てという責任と義務を果たすことによって辛うじて、自分の精神が保たれてはいるが

 

もし、子供がいなかったらと思うとぞっとする生き方と考え方であった。

 

そんな風に心で思いながら・・・

 

果たして本当にそうなのか?もしくはその場の乗りだけで演じた表現だったのか?

 

本人ではないので知る由もないが、

 

そう思った時、夢は叶わぬ大きな夢の方がいい。グッ

 

叶ってしまうと、満足してしまい、もうこれでと諦めてしまいかねないからだ。

 

それ以降、本物?の竿を振り続けるが、一匹もかからず納竿となった。

 

最近、またもやニーチェの哲学の本を購入し読んでいる所なのだが、

 

 

ある程度、満たされた生活をしていると、ニヒリズムに陥りやすい。

 

 


そのニヒリズムとは、虚無主義という言葉で表されるのだが、

 

一言でいえば

 

「人生に意味はない」

 

ということ。

 

例えが悪くてすみませんが、性交渉を持つときに愛は必要なのかということ。

 

愛は愛であって、性交渉とは何の関わりもないのだが、

 

どなたかが、背後世界にこうあるべきという社会的付加価値をつけた人がいる。

 

 

つまり、愛のない性交渉は悪い行為であるかのように云う訳だが、

 

先ほどの不思議ちゃんにもなれば、150人以上の男性経験にいちいち愛は必要ないだろう。

 

一時的、一瞬の、それこそ刹那の愛はあるかもしれない。流れ星

 

 

もしくは相手には愛があり、その愛を感じることが愛であると錯覚しているのかもしれない。もやもや

 

 

なぜ愛がないと言い切れるかは、皆様もご存じのように、愛という絆があるのなら

 

その愛という絆が切れた後味をずっと引きずって、もう二度とあんな間違いはしない、ハートブレイク

 

私は馬鹿じゃないんだから、同じ過ちは犯さないと誓うはずだからだ。お願い

 

もしくは、深堀りと先入観で考えるなら、


性愛エロースを求めているのではなく、親とのストルゲーが満たされずに成長した分を満たそうとする働きが擬似的に働き、エロースに求めたのか


そう考えるならば漁港に来て老人達や見知らぬ他人に語りかけて、肉体や内面を曝け出すという彼女の行動もうなづけてくる。

 

またもや偏見の極みみたいな事を言って失礼申し上げるが、

 

確かに愛と肉体の関わりには関係ない。

 

そこに気が付くと、人生の意味付けを失いやすく、先ほどの子供3人育てればそれで良い

 

、それこそが、私の人生の意味なのだという錯覚をしてしまいがちになる。

 

 

ニーチェで云うところの末人である。

 

 

「何の目標も夢なく、トラブルを避けて、ただひたすら時間を潰すだけの人生を送る人間」

 

末人

 

そこに、生の高揚ともいうべきリアリズムを見失いやすい。

 

彼女に気が付いて欲しい。上差し

 

今ここにいる瞬間の幸せというリアリズムの積み重ねが自分の本当の未来を創るということを

 

ニーチェに洗脳された私が思った、釣り場でのワンシーンでした。

 

本日もめんどくさい記事にお付き合いいただきましてありがとうございましたお願い