ソバ好き談義 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

筆者Aさんは・・蕎麦は、自分で打たれた事はありますか?

 

何をおっしゃいますか!

 

私などは、蕎麦屋に2度もお願いをして、蕎麦打ちを教えていただたので、

 

蕎麦打ち道具一式揃えてありますよ!チョキ

Bさんは、蕎麦打ちはされるんですか?

 

えっ!?(´;д;`)エーーーー私も蕎麦打ちをするんですよ。あせる

 

どこで修業されたんですか?

 

友人が蕎麦屋でして・・・そこで・・・

 

 

いやー自分で、粉から蕎麦を打ってみると、いや、なかなか大変な作業であることは分かりますよねー

 

一枚800円とか、皆さんは高いというけれど、あの大変さを知れば、

 

800円というのは安いという事が理解できると思うんですけど・・・

 

・・・ですよね!。

 

安いですよね。!!

 

 

Bさんは最近は、打ってますか?

 

20人とか集まれば作ってもいいですけど、一人二人分は買って食べたほうがいいですよね。もやもや

 

片付けが大変ですもんね・・(*・∀・*)アハッガーン

 

実は私Aも、道具だけあって、大変なので、店に行って食べる事専門になりまして・・・(∀`*)ゞエヘッ

 

やっぱり・・・・笑い泣き

 

ですよねーwwwゲラゲラ

 

 

でも、上手い蕎麦屋って、探すのが難しいですよね。ビックリマーク

 

皮も丸ごと挽く、茶そばは、香りはいいけど、飽きるし、

 

かといって更科蕎麦は、県人には合わないし、・・・うーん

 

そうするとやはりグレー色のスタンダードなソバになる訳だけれども・・・

 

練る時の力の強さや水やお湯の加減、そして、最後は、水の冷たいのでそばを締め上げないと、

 

ぬめりのあるソバになってしまい、腰のあるパリッとした喉越しが生まれませんもんね。ねー

 

そう考えてみると・・・やはりですか!?

 

雪解け水の伏流水で練って、洗ったソバは格別に舌触りやのど越しが良く、

 

細くても重量感のある食べ応えになり、満足する。ドキドキ

 

水って大事ですよね。ソバは水が命ですね。上差し

 

ですね。グッ

 

 

 

郷土の人間が、安堵するタイミングはいくつかあると思うのですが、

 

とかく山形県民は、福島からの峠を超えた時、

 

「トンネルを抜ければ、そこは雪国だった」という言葉に代表されるように、

 

 

明らかな環境の変化が、厳しい山形県という豪雪地ならではの心の切り替えを瞬時にさせてしまう程の

 

視覚的変化によって、心の引き締めと、と同時に白い雪の景色は安堵を覚えさせる。

 

しかし、それは急激な心の緊張の高ぶりを、ゆっくりと沈めていくという、視覚的慣れによる安堵だろう。

 

そして、実家付近、または実家での食事で本当の安堵を覚えるのは、

 

やはり「東京は人が凄かったか?仕事はひと段落したのか?」などの上辺の会話などではなく

 

出された食事を口にして、決して豪華などではないにしろ、

 

質素でも食べ慣れたタクアンやみそ汁、白米を口にした時であろう。上差し

 

 

そこには、雪解け水や地下水によって、漬物にされたタクアンであったり、みそ汁であったり、

 

白米であるのだから、郷土の緩やかに心が解きほぐされる安堵感とは

 

やはり、飲みなれた水が原点であることは、意外に気が付かないでしまっている。

 

 

同じ人間でも、心が清々しいのは、山の岩肌を通り抜けて、磨かれて出た水を飲むからであって、

 

 

川から汲んで、高度浄水処理をして不純物を取り除いでも、

 

そこに含まれるカルシウム分やマグネシウム分、鉄分などは岩を何度も撫でて、

 

縦横無尽に出口がどこかも分からない程迷走してこなければ

 

味として反映されてこない。

 

人も同様に、見えない出口に向かって縦横無尽に迷走・錯綜した生き方をした人間ほど

 

まるで岩で磨き、鍛え抜かれた水のように、一見すると分からないが、

 

接して味わってみると確かに違う。

 

 

ましてや、蕎麦や白米を焚いたときの水にすれば、

 

尚の事、計り知れない魅惑や魅力を放つように感じるだろう

 

水も人間も同じで、苦労して岩を摺り抜けてきてこそ、味わいのあるものに変貌し、

 

川水のように、出口が見えているものは味わいが薄れるように、

 

 

人は多少は苦労をした方が味わいが増していいのだろう。叫び

 

そんな風に、蕎麦談義からインスピレーションが膨らみ、思うのです。

 

またまた、個人的妄想にお付き合いいただきましてありがとうございましたお願い