以前に、高級登山用品やら、高級バイクなどを売りに出して、断捨離に取り組んだ事2回。
大切に保存していた本なども・・・トン単位で処分。結局2万なにがし?
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売らなきゃ良かった
せっかくベンツ1台分もお金をかけてコツコツと購入した我が財産たちを手放してみて
人生が変わるかと云えば、・・・・何にも変わらず。
また少し・・・買い直してみたりと。
一番堪えたのが・・・薪割り。
将来の国民年金受給生活に向けて、石油ストーブを使わなくて済むようにと、
知り合いの農家さんが剪定した木を軽トラックに無料で頂いてきて、
自宅でチェーンソーで、30cmごとに輪切りにして、薪を割る作業。
軽トラック4往復、薪割り作業10日。
出来上がった量は僅か・・・・
こんなの無理。無理・無理・・・・・・絶対に無理。
薪割りしている最中に、絶対にコレを繰り返していたら血圧が上がって死ぬ!って確信しましたもん。
長生きするには灯油が一番。
アルバイトして灯油代稼いだ方が、全然楽。
生きるってのは本当に大変です。
お金で解決するのがとても楽。
歳が進むごとに、体力は衰えていき、収入も減っていく中で、
生きる事を本当に身をもって考えさせられた瞬間でした。
それ以降、畑を耕し、種を植え、または苗を育てて、多少の口にする食材を、
スーパーという金との引き換え場所以外に、自力で入手する方法としてトライしている訳ですが
自力で生きる事は、
ノコギリやスコップや耕運機や長靴やハサミや・・・・・アレコレ必要であり・・・
それこそシンプルライフとは裏腹に物や道具が増えて行く。
金があればこそ、シンプルな部屋に住んでいられるのだから
結局シンプルライフって金のある人の希望と幻想だろうと思う。
金さえあれば、サンダルとTシャツで南国に住んで、三食全部買って食べられるから
つまり、そう云う事ですよね。
自力で生き切るためには、何から何まで揃えなくちゃならないのだから・・・・
シンプルライフの対義語として、コンプレクスライフという言葉があります(私の造語)。
コンプレックスと聞くと日本人には忌まわしい言葉に聞こえてしまいますが、
人生は様々な部品やパーツ、人との出会いの組み合わせなどによって自分が
奇跡的に生かされている事を知り、
また同じような生き方や同じ土地や関係者というパーツで成り立っていない事も分かってきます。
そういう意味で、部品の複雑さと複合性をコンプレックスと表わされます。
求めるものと必要な物を区別する。
つまり、自宅に包丁もない方は、外食による支出があるのだろうし、
まな板や赤なべ、ザルがあるという事は、山菜などを煮て食べている証拠なのだから
初期投資はかかるものの、長く生きていれば日割り計算で生活費が安くなってくると思われます。
つまり、長寿社会で日割り計算をすると、シンプルライフよりもコンプライフの方が
長生きすればするほどお得になって来る訳です。
シンプルライフという清潔で素朴なイメージを目指したいのか、はたまた
コンプライフという泥臭いイメージでバリューな生き方を目指したいのか?
最近は目が覚めてきて、断捨離したことを後悔している。
あれは寝たきりや老人ホームに入る時になって初めてやる事だ。
一般人はやってはならない。
捨てたものは、今まで生きて来た中で、厳選して購入した大事な仲間たちなのだ。
私が考えるシンプルライフというのは、畑に出て汗を流し、一心に作物が育つことを願い
その作物を自分が口にして、明日への命を繋ぐこと。
そのような毎日を積み重ねてさえいれば、余計な雑念に心が奪われずに済む。
情報化社会だからこそ、ネットを見れば生きることに不必要な情報が過多であり、
ついつい目が行って、心が奪われてしまい、要らない不安に苛まれてしまう。
今日と明日生きる事が続けばそれでいいはずなのに。
心がシンプルであることが、穏やかな生活を送ることができて幸せに繋がっていくのだから、
まずは自活力と自力を付ける。
筋肉をつけて畑を耕し、よく食べて、良く周囲の人たちと馬鹿話をして
よく笑い、そして夜は・・・風呂にゆっくり入り、湿布をして
曲がった腰を伸ばして仰向けに寝る。
このような単調な生き方こそがシンプルライフなのだと思う。
本日も毒舌?へそ曲がり論にお付き合いいただきましてありがとうございました