ルサンチマンとは逆恨みのこと
ローマ時代より、人は階級社会によって位置を決められ、
また富める者と貧しい物の差も生まれてしまった。
あれから2021年間経つというのに、世の中の構造は全く変わらないよね。
当然、富める者はお金があり、それに伴い権力も名誉も伴い、生に対する充実度も増してくる。
それに対して貧しいものは、対照的にそれらが充実せずに恨めしく思ったりする感情が生まれてくる。
生まれた時の裸のスタートはみんな一緒だったはずなのに・・・何故だか?
おおよそに於いて、世の中はピラミッド構造のように、
貧しい者の上に中流階級、上流階級と階層化されて、より富や権力が集中する。
つまり、下層階級は中流階級に憧れという目線が生まれ、
また同時に中流階級も上流階級へとその羨望は注がれ、
結果的に、多くの人間は、ごく一部の上の豊かさを見つめる目線を自ずと持ってしまう。
川に泳ぐヤマメが、水面に落ちる餌を今か今かと待ち構えるようなイメージだ。
純粋にそのように憧れのみを持っていれば、単なる向上心という言葉で収束し、
貧困より脱することも可能だが、
そこには努力せず、欲張りな感情が膨らんでくる輩も出てくる。
↑
俺!?か
つまり現状に満足できず、何とか現状に満足できる感情を持つことによって安心して、
今と云う立場を保持したいのである。
その為にはどうするのか、二つの選択肢がある。
一つは、諦める事である。
諦める事によって、現状に於ける価値を見出し、足るを知る精神から、今を生きている喜びを見出し、
生に対する肯定を行いながら、やるべきことをやっていくという生き方
.二つ目は、精神的に勝利する事である。
つまり、相手は悪であり、悪い事をしてお金を儲けて、口八丁手八丁によって権力者にすり寄り
権力を手に入れたのだから、相手は悪であり、
私はそういうことをしていない清廉潔白の善の者である。
と思い込み、金持ちや権力者の事を悪人であり、自分は善人なのだといった対比法などによって
精神的優位を作り上げ、安心感を得る事によって、将来善人は勝つのだ。
いつか自分の方が上になるのだという希望を持って、自分の欲をなだめているのである。
つまり、このように精神的に相手を悪者扱いに仕立て上げ、自分は善人であるという風に思い込み
逆恨みとも云える感情を作り出す行為をルサンチマンという。
ベンツを乗っているのは、医者かその奥様だろう、
金の使い処がないのだからベンツを乗っているのだろうとか?
私は経済観念があり、税金も安く済み家計にも貢献している、家族思いの孝行者だ。
などと思ってはいないだろうか?
そう思うのならばルサンチマンが心に存在するのだろう。
本来は、ベンツに憧れがあるのならば、ローンをしてでも新車の軽自動車150万よりも
中古のベンツの方120万が買えるはずなのに、社会的・世間的体裁を気にして
更には税金が安い、消耗品が安い、車検が安いというメリットを持ち出して、優先して
軽自動車を購入したはずなのに、ベンツに対しての対抗意識、ルサンチマンが生じてしまうのは、
自分にウソをついて生きているからに他ならない。
自分の事を例にしてみると、誠に自分の中にはいくつものルサンチマンの種が存在し
表には出さないが、いくらでも例が出せるという事は
まさにニーチェさんに出会って、心のゆがみを修正する機会が得られたんだと思うと
本当にありがたく思い、これをきっかけにルサンチマンの昇華に努めたいと思っています。
さて皆様の心には、どのくらいルサンチマンが存在していますか?
などとちょっかいを出しつつ、本日はこれにて終了です。
ご覧いただきましてありがとうございました