ニーチェ思想の理解 ニヒリズム | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

おはこんばんにちはですパー

 

ニーチェさんは、いくつかの言葉を残しているので、一度に語ることは出来ず、

 

一つ一つ自分なりに解釈して整理しながら理解しようと思っています。

 

ここで、一種の貧しい人間性が露呈してしまい、

 

理解の仕方から、まるで底辺人間で軽蔑されそうな考え方を書いてしまう事は、忍びないのですが、

 

まぁ~これが私ですので、偽善ぶって美化する事も今更ながらできませんので

 

・・・トホホ・・・致し方ありません。お付き合いくださいませ。ガーン

 

 


それでは、ニーチェさんの名言をリストアップしてみると。

 

1 ニヒリズム  

2 ルサンチマン

3 奴隷道徳  

4 力への意志

5 遠近法主義

6 永劫回帰  

7 超人     

8 運命愛   

 

という言葉が有名処でしょう。

 

しかしながら、私はそこまでの理解力を持ち合わせていないので、

 

一般的に認識して知れ渡っている所の、ニヒリズムやルサンチマン、永劫回帰や超人という言葉

 

あたりを調べて理解してみようと思います。グー

 

まず今日は、ニヒリズムとは何か?についてです

 

それは「既成の価値を否定する立場」という意味で

 

虚無主義」という言葉に訳されるらしいのです。

???

 

チンプンカンプンで、アブラカタブラ、油揚げでも出てこいや!パンチ!という感じの意味不明さです。笑い泣き

 

最初からノミの脳みそは嫌になって、丸めて放り投げたくなるような言い方には腹が立ちます。ムキーッ

 

プンプン!もう少し分かりやすく言えねーのか!オイこらと恫喝でもしたくなる出だしです。アセアセ

 

 

おいで 致し方なく頭を使いましょう。

 

 

解釈としては「人間の存在に意義や本質的な価値などは無い

 

「 人生に重要なものなんてないんだ…… 私の人生は、一体なんなんだ…… 」

 

「 人生に重要なものなんてないんだ!だったら人生を楽しもう! 」というように

 

すべては意味がないビックリマーク

 

という立ち位置に立ってから、人生について考えてみたり、物事を見つめる考え方を虚無主義という。

 

 

 

つまり「 あなたが今死んだとしても、大局的に見れば何も変わりません。

 

もしあなたが生まれなかったとしても、誰も気づきません 」という

 

消極的なニヒリズムである 『人生は無意味』であるというのが、

 

従来の既成価値の否定であり、ニーチェのアンチテーゼなのです。

 

 

 

それが次第に変化していき、言い方としては、

 

人生に意味がないということは、悲しいことではありません

 

もし私たちの人生に価値がないとするならば、意識の一瞬一瞬において

 

幸せを見出す方法を探すというのが私たちにできる唯一のことなんです 」といった

 

積極的なニヒリズムの『あらゆることの意味を自分自身で見出す』という観念に

 

変化していくのですが、あまりにも追及を深め、情報過多となり、知り過ぎていくと今度は、

 

楽観的ニヒリズムという概念が新たに生まれてくるということなのだそうです。??

 

いろんなことを知り過ぎて人生や生きる意味が分からなくなった時に

 

「よく分からなくなって恐ろしさを感じてしまう実存的恐怖を、

 

非科学的主観的な見方によって、その恐怖に立ち向かおうとする考え

 

つまり科学的な見方をして、すべて無意味というように悲観するよりも、

 

その悲観の人生という時間の中で、人間として、自分としてどうやって生きがいを見つけて

 

楽しさを見つけて無意味を生きて行くかの方に力点を置いていく考え方に価値観を見出すことが

 

楽観的ニヒリズムと云う概念だとの事です。

 

ん-わからんはてなマーク

 

では具体的にどういう事が楽観的ニヒリズムなのか?

 

コンドームを鼻から吸って口から出すという行為は、どう思われますか?

 

( ゚Д゚)ハァ?-ーーーーー!?

 

哲学とキチガイは表裏一体なのか?叫び

 

 

哲学者にコンドームを渡すと・・・使う所が・・・鼻になるのか?

 

確かにコンドームのアンチテーゼではある・・・・ワ・カ・ラ・ナ・イ・・・・うずまき

つまり、もし私たちの人生に価値がないとするならば、

 

意識の一瞬一瞬において幸せを見出す方法を探すというのが私たちにできる唯一の事なのではという

 

考え方から、コンドームを鼻から吸って口から出す競技という、面白さや笑いという

 

そういった時間を産みだし共有する一瞬こそが、

 

人生の唯一の意味と捉えるのが楽観的ニヒリズムの実践という事なのだ。

 

 

日本流に解釈すれば、最近のお笑い、またはイっテQなどのデヴィ―婦人と出川哲郎のやり取りなどは、

 

これに近いエンターテイメント性を提供しているように思えてくる。

 

また江頭2:50分も最近人気を博しているが、何故人気なのかと云えば、

 

こんな事をやって何の役に立つの?と考えずに、今この一瞬に幸せや喜びを求めようとする

 

楽観的ニヒリズムがこの時代のニーズにマッチしているからであり、ファンの多くは

 

社会的に意味のある事よりも人生を楽しむという上で、自分では出来ないニヒリズムという

 

その考え方や実践について、役者を通して、視聴者は共感して、彼らが支持を得ているという訳だ。

 

つまり、一瞬一瞬人々を喜ばせ、その時間が幸福となるならば、楽観的ニヒリズムは意味があり、

 

従来型の悲観的ニヒリズム(人生に意味はない)、そして進化した積極的ニヒリズム(だったら楽しもう)

 

の思考を超えて、

 

現在では楽観的ニヒリズム(一瞬一瞬の幸福が意味なのだ)の

 

時代が到来していると考えてみると面白い。

 

私の表現がヘタクソなので、そこの部分で歪曲されて、

 

本来ニーチェが意図するところの意味とは離れている理解なのかもしれないが

 

ノミの脳みそにはそれ位しか思い浮かばない。えーん

 

まだモノに出来ていないのだろうな~もやもやという本音。

 

本日は、個人的理解によるニヒリズムについて考察してみましたパーという記事でした。チョキ

 

長らく屁理屈にお付き合いいただきましてありがとうございました。お願い