最近、武田鉄矢の三枚おろしのラジオ番組を聞いている中で、いくつか気になる本を力説していたので、
ついつい購入し読んでいる所です。
宗教の本から、修辞学から、キリがないほどに購入して、届いた・・・本の山は高くなる一方で、
現在は、北アルプス並みの高さでしょうか?
見えない山であり、
足が不自由でも登れる山であり、
達成した喜びは、疲れる山登りのそれとは違い、
キリで真っ白で何も見えなかったという事もなく、きっと晴れ晴れと新しい景色と感動を私に与えてくれる
のではないかという、希望を夢見ながら、本日も着々とノルマを昇華していますが・・・・
ほど半ば、約中腹辺りに差し掛かると、「あともう少しだな」と気持ちも軽くなり、ついぞ脇見をしてしまい、
更にアマゾンという広くて深い沼を覗きたくなってしまいます。
実際に富士山の剣が峰に行かれたことがある人は見た事があると思いますが、御鉢の途中に
伝説の底なし沼と昔から言われる小池というか水たまりがあるのですが・・・・
そこを何気に覗き込んでしまうような気持ちは、中途半端な気のゆるみから、
空気が薄く高山病で気が遠くなっているのか?
それ以上、上を見るものが無いという心理なのからか、なぜか下を向きたくなり・・・
そして、荒涼とする世界にあって、水たまりですら珍しいという気持ちからか、
ついぞよそ見を繰り返してしまい・・・・
本来の目的を一瞬忘れてしまうかのような、悪い癖も・・・・
そして、アマゾン沼の底を探るように手を入れて、また一つ取り出しては、山の上に重ねて、
山頂を自分みずからが高く積み上げて、さらに困難な山に仕立てる癖も、
どちらも悪い癖で、まったく困ったものです。
と何がなんだ分からないレトリック表現で、これも含めて私の悪い癖を
↑
いや!馬鹿なだけです。
皆様に暴露してしまいました。
さて、今は何合目辺りなのでしょうか?
いつ山頂へ到達するのでしょうか?
登頂後の標高がどのくらいなのか、今から気になる所です。
もしかして、脇見ついでに底なし沼に手を突っ込んで、底を探しているうちに沈んでしまい
山登りどころではなくなるのではないか?と思ったりもします。
こう云った表現を、仮想現実というのか?
はたまた白昼夢というものか?白日夢とでもいうのか?
はてさて・・・まったく分かりませんが・・・
進むごとに、疲労度が増すことは同じであり、
腹が空いてくることも同じであり、
欠点と云えば、筋肉を動かさない事による運動不足を進行させてしまう山登りである事だけは、
現実世界の山登りとは反比例するという事だけでしょうか?
さて、そろそろお腹も空いてきたことなので、防災食として保存しておいた・・・・
アルファ米に水を入れて、レトルトの牛丼でもかけて、さらには、
ステンレスマグカップにドリップコーヒーを注ぎ、
さながら食事も山登りと一緒にして、昼飯にしてみようかなと思います。
筋肉を使わない以外は、全て、山登りと一緒だ!
などと述べて今日の運動不足になる山登りを終わりにしたいと思います。
ご覧いただきましてありがとうございました