マジ卍 五段活用
またもややらかしてしまった感が否めないタイトルですが・・・
卍の起源は、一番古い文献で、ウクライナ地方紀元前1万年前に儀式として
使用されていたであろう象牙で作られた鳥の置物に彫刻された卍マークであった。
その後、ブルガリア地方の洞窟で紀元前6000年前に儀式で使用された対の卍が出土され、
・・・・・その後、ドイツのトロイ遺跡では卍マークが発見され・・・、分析の結果、
インド・ヨーロッパ語族の宗教儀式に使われたものとして、宗教のシンボルマークとして認識された。
インドの大きな括りで云う所のヒンドゥー教では、左卍を和の元とされ、右卍を力の元とされ、
インド・ヨーロッパ語族の話語と共にヨーロッパまで広まったとされている。
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話し言葉
その元であるインドのヒンドゥー教では、ビシュヌ神の胸毛の形を吉祥(きちじょう)という、
ものすごく良い知らせという意味を発端として、幸せや幸福のシンボルと考えられたとの事です。
ビシュヌ神は1000の顔を持つとされ、呼び名も様々です。
紀元前5世紀頃よりも古くから崇められている神のようです。
つまり、インドではマジ卍!=マジで幸せ!幸福だよ私!という意味らしい。
当時、家紋としての卍マークや柄としての意味合いが強く、そこの中に到って仏教という概念から
卍マークは幸せや吉兆、もしくは力を与える存在と考えるのが、日光東照宮大権現という
死んでからも安寧を見守るという名称の決意から考えてみても妥当かもしれません。
つまり、津軽家の家紋を除けば、意味としては安寧や灯篭にあるような右卍から仏教的吉凶。
つまりここに来て、灯篭から浮かび上がる右卍マークをみて、
心の安寧を得るように設計されているのかもしれません。←独断的目線です。すみませぬ。
次に、ヨーロッパに舞台は戻りますが、右卍マークは古代より太陽の光の象徴として、
太陽の十字としてポーランド、フィンランド、ラトビア、ドイツ(ハーケンクロイツ)などで使用されて、
世界大戦後、この右卍マークは忌まわしいシンボルマークとして記憶されることとなり、
本来の意味とは、認識を異ならせてしまう。
世界では卍マークと云えば、ドイツ・ヒットラーと対を成す悪いイメージが定着している中、
我が日本では、江戸時代より卍印を家紋とする4家の中の一つ、津軽家。
津軽家と青森の関係性は分からないが、現在の青森県弘前市のシンボルマーク
として明治33年より使用されている。
そして、誰もが知っている地図記号の神社仏閣を意味する卍記号。
そして、我々が現在使用しているマジ卍というのは、2013年頃より不良っぽく見せながら、
凄ーい
という気持ちや高揚感を表す語彙として2017年に新語大賞を受賞し、現在での意味はその凡庸性から
さらに広く使用されて凄いんですよ!の他にリア充的意味合いも併せ持つようになる。
つまり、卍五段活用とは、 宗教的神事に於いて使用される神との交流という位置づけ
そして
2段階目として、右卍などの意味合いの派生型として、西欧諸国での太陽の光を表す
シンボルマークとしての意味
3段階目として、ヒットラーに代表される独裁者を連想させたり、悪いイメージとしてのシンボルの
代表としての捉えられることが現在では多いかもしれません。そう云った意味。
4段階目として、インドから派生する仏教に起因する吉兆という意味合いや、幸せや幸福としての
シンボルとして江戸時代より日本に広まり、右卍を用いる時は特にヒンドゥー教的意味合いが
強いかもしれない。故に神社仏閣や幸せ、力の元などという意味
5段階目として、2013年より話語として使用されるマジ卍としての、凄い、強調用語としてだけ
ではなくリア充の意味も含み、満足、絶景、力の象徴としてのヒンドゥー教的意味も復活し、
一押しという概念も含むかもしれない。
このように、卍には時代の変遷を感じさせられる。
つまり、マジ卍!と言われたら・・・・・
マジ太陽スゲーマブイゼ!的解釈
マジあいつ、抑制回路切れてっからヤベーっしょ!的解釈
マジヤベー心が浄化されっから神社へ御朱印貰いに行ってみようぜ!
的解釈
マジ俺最高かも!的解釈
絶対これな!的解釈
アレ?的現代的解釈は?どんな感じ?
思いつかないので・・・ 皆様にお委ねします
という深い意味で使われていることもあるんじゃねと考えてみる訳です。
・・・・そんな事は無いか???いや考えすぎか?妄想か
マジ卍、どうなっているの俺の脳みそ!← どういう意味?またループするか!
などという個人的、独断的解釈論を本日も長々と語らせていただきました。
また、そこに延々とお付き合い頂きまして、誠に(TдT) アリガトウございました