政治の話から、今度は宗教を見ています。
おおよそキリスト教や仏教は日本に広く普及していますので
なんとなくは知っている人も多いと思います・・・というか死んだら墓ですから・・・寺ですよね。
神道式は少なくなったので神社に収まる人は少ない時代になりました。
イスラム教やヒンズー教もありますが
詳しくは分かりません。
いずれにしてもなぜに宗教が必要で、その宗教のために闘争が起きなければならないのか。
そんなに宗教が戦争の理由になりますか?
どんな所にも過激派というのが存在して、一部の過激派が衝突の種火を撒くのだと思いますが・・・
スピリチュアルな世界で話を語っていくと、
世界は一つになろうとしています。
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胡散臭い言葉ですよね
あんまり、こんなことを書くと、エホバの証人回し者か?と云われてしまいそうなので、
自分でも表現に困ってしまいます。
昔を振り返れば、国内でも縄文人 VS 弥生人の(種の生存競争)とか
戦国時代の権力 V S浄土真宗本願寺教団の息のかかる農民たちなどによる一向一揆など
その後、個人を大将と呼び神格化して、これを藩と呼ぶのかは不明だが、
現在の中国共産党みたいに藩同士の戦い(合戦)がある
その後は、国と国との戦争となり、
ある地区では宗教上の原因による闘争もある。
つまり、何かの共同体を作るという事は・・・
何かの惹きつけることがあり(時代や場所によって違いはあるものの)
そこに集まって、その共同体同士の利害関係上のトラブルから、短期解決を望む人達が
どうしても力での武力闘争へと進めていく。
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しかしながら、現代ではそう云った過去の歴史から人々は学び、学習し
未然に防いでいる(中国は時代に逆行しているが・・・)
「遺憾砲連発による武力衝突防止策など」
その結果として、いずれ世界のありとあらゆる国と人々は争いをやめるように進むのが
知的生命体、人としての筋というものだろう。きっとね
結果として地球に住む人類という括りになれば、ハッピーエンドになれる訳だ。
ここで問題になってくるのはキリスト教などのイスラム教や聖書を起源とする宗教には破綻が生じる
仏教徒、ヒンズー教には輪廻転生があるので破綻しない。
破綻論はいずれまたという事にします。
人類の歴史上、誕生からどのくらいの年月を経たかは分かりませんが、現在のように
目に見える闘争は少なくなってきました。
しかしあと何千年で、人類は一つになれるのだろうかとも思います。
きっと、まだまだこれからも、しばらくは共同体同士の闘争は続くでしょうね。
これはあくまでもスピリチュアルな世界の流れの、私の勝手な予測ですけど。
確か以前に大ブームを引き起こした、「聖なる予言」だったかな?
そこら辺の時代の出版本に、そんな内容が書いてあったと思います。
ブログのタイトルにも書いたように、共同体になるにはその求心力という原因があります。
この原因同士の違いが、また分離を生んでしまうというパラドックスが生まれる。
なぞかけ論みたいになってきましたが、
一つの共同体を目指すためには、誰もが比較しないという事が第一条件になります。
そして誰もが望むこと・・・エトセトラ
色々な条件を満たす必要がありますが
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さんが言っていた言葉がありますね。
発展は「人類の幸せ、愛、子育て、友達を持つこと、
そして必要最低限で満足すること」
のためにあるべきなんですと。
これらの言葉は資本主義経済に真っ向から叩きつけた内容であったと思います。
(と勝手に私は解釈をしています)
お金を回すという仕組みを作って、それにかかわるシステムを構築するという社会には
資本主義経済はとても良かったと思います。
しかしながら、今後は資本主義を続けていくならば、新たなる価値の創造が必要だとも捉えられます。
(なぜって?このままの利益のみを追求する資本主義経済ならば
必ずバブル経済が発生し、そして破裂するという繰り返しだからです
過去の歴史から見ても明らかな訳です)
本日、日本生命だか第一生命だかが、まずはお試しで30兆円ほど、海外の企業に投資すると
報道で見ました。
今回から投資する判断基準が変わって、売り上げとか財務健全性とかだけではなく、
貢献度、そしてそれをどれだけ続けているのか度?だったかな?
まーそんな感じのニュアンスの評価をみて投資するとのことでした。
まさに資本主義の中にあって、営利のみならず今後の何かを見据えての評価へ
シフトしたことが分かりました。
今後、共同体同士の分離を作らない、破綻しないシステム(金融・信仰・人種差別・性差別など)作り
が必要ではないかなーと思う今日この頃です。
本当にまためんどくさい男になっております。
仕事が暇だと、PCに向かってすぐこういう記事を書いてしまう。
それにお付き合いいただいた皆様。本当に今日もありがとうございます。