Youtubeで三島由紀夫を今更ながら見ています。
知り合いにテレビで三島由紀夫が大学の生徒と問答をやっている番組を見逃した
という話題からYoutubedeで検索して
東大全共闘に至りました。
実は私は「命売ります」の書籍を読み、面白い唯一無二のテーマを書く人がいたんだなー
という事で三島由紀夫に興味を持ち、一通りYOUTUBEで検索はかけて、以前に見ていたので
友人からその話を聞いたときは、あー!あのシーンだなーと分かった訳です。
三島由紀夫の問答はソクラテスの問答と似ていましたから、
レトリックを習得し、小説まで発刊している三島に太刀打ちできる人はそうは現れるはずはありません。
YOUTUBEの記録映像の中で三島が発した言葉で
「日本とはなんだ!いったい日本は経済発展だけのための国なのか?
日本という国はトランジスタの商人なのか?
日本という国は、他の何者でもありうるんじゃないか!
日本は何なんだという事を絶えず考えて動いている」
・
「私個人が俺は何なんだという関心を失いたくはない」
という言葉に云い知れない衝撃を受けたワンシーンでした。
現在、どなたも賢くなり、攻撃・非難・訴訟を恐れ、
そして言動をオブラートに包んで発している現在ではありますが、
昭和に当たっては、いまだプライバシーという概念も薄く、自己主張したほうが良い時代?
ちょっと表現が間違っているかもしれませんが。
昭和は長いので、初期と後期では全く違うので、これに関しては後に譲ります。
三島は日本に対して、危機感を持っていたと友人が語っています。
今現在、危機感を三島ほど持っている政治家や国民はどれ程存在するのでしょうか?
私が下級層国民なので、そう見えてしまうのかもしれませんが
丸投げ! 政治家が何とかしてくれるんじゃね!
あいつら高級とりだし、月収数千万の人達が考える事だろ。
おいら達は、今月の支払いを何とか払えて、
あわよくば、数万円程度は貯蓄できるだろうか?
って考えている国民には、領土問題は他人事。
三島のように命を懸けて戦後の日本の行く末を心配して行動し、
残された後世の人に、「自決という死を選んでまで託したテーマだぞ!」と云われているようで、
遺言でもない、銅像を残すでもない、自決という行為をもって後世にその事を残す
そんなやり方をやった人。
言っている意味が分からない人も多いかとは思います。
現代の我々に自決が意味する事がどれ程重いことなのかは図りしれます。
私個人が思う所に、何よりも強いメッセージを訴えたい行動なのだと察します。
三島は動画の中で
12:55~13:07「私の死との一番親しかった時代は戦争中で、
10代の私どもは、いつ死ぬかどうやって死ぬかだけしか頭にない」
と語っています。
現代の高齢社会の老人は同じテーマを60歳を超えてから、考え始めますが、
70年前の日本では、10代の子供が同じテーマを考えていたことに驚きます。
現在、ツイッターで高須克弥さん(高須クリニックの会長)が、
トリエンナーレを支持する、愛知県知事、大村知事のリコールを頑張っています。
まさに愛国心。
日本に生まれ、天皇を敬い、目上を敬う事こそ、自分の存在に尊厳を持てる。
こういう構造の日本人で居られることの喜び。
こんな事を書くと右翼と間違われてしまいそうですが、
将来の日本を鑑みるならば、
日本人は日本人として生まれ育った価値の再発見を遅かれ早かれ、してもらいたいなーと思います。
先程セブンイレブンで買ってきた、キリンレモンサワー500mlが効いてきたようで
ちょっと怪しい表現になってきたので、このくらいにしておきたいと思います。
強い指導者。
100年後の日本は、こうありたいとビジョンを庶民にも共有できる指導者が誰かいないものだろうかと
政治番組を見るたび、
そして
地元の市議会議員の高齢化、無選挙当選を経験するたびに
思わず、感じてしまう感情です。
友人との会話から発展してしまった内容のブログでした。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
めんどくさい男が、今日も語っているなーと温かい目で見守ってくださいませませ。
ペコリ
それではまた明日!おやすみなさい。