今日の昼頃に妻から連絡が有りました。
明日に荷物の梱包等で家に来ると。
分かっていた事ですが、いざ本当に連絡来ると辛いですね。
メッセージを読んだあとに、自分の心拍数が上がっているのが分かりました。
家で映画を観ていたのですが、その後は全く内容が頭に入ってません。
多分、2時間ほど抜け殻状態でした。
映画が終わり暫くしたあと、普段は全く吸わないタバコを買いに出かけ、近所の大きな森と池がある公園へ出かけました。
ベンチでタバコを吸っていると、若い夫婦と2歳位の女の子と5歳位の男の子が楽しそうに歩いてました。
2歳位の女のコがベンチの近くの木に興味を持ち、テクテク近づいてきました。
木に触れると空を見上げて、風が吹くたびに揺れる葉の揺れと音に興味を持ったようで、空を見ながらキョロキョロしてました。
お父さん、お母さんも一緒に見上げていて、とても微笑ましい瞬間でした。
赤ちゃんの興味がベンチに移り、近づいて来ました。
お父さんが、これ以上ベンチに近づかないようにしている姿が目に入ったので、私は吸いかけのタバコを手に持ち、10メートルほど離れた外灯の下で残りのタバコを吸いました。
遠くから見ても、何かとても素敵な家族の風景でした。
気付いたら涙目になってました。

私達夫婦は子供がいません。
今年から子づくりしてみようと話をしてたところでした。
奥さんは、まだ若いので新しい出逢いの縁があれば、まだまだチャンスはあると思います。
私は、多分もう年齢的に難しいのかなと。
これも運命ですかね。

明日は嬉しい事に晴れ予報です。
奥さんが家に来たら、私は奥さんの自転車の整備をしようと思います。
一緒に自転車の旅をした事を思い出します。
奥さんは思った以上に自転車旅が辛くて、途中から泣きながら運転してましたが(笑)
あとの時間はベランダで日光浴をしながら、読書をして過ごそうかと思います。

今日の夕方は自転車整備で必要な資機材の買出しと、明日の昼ごはんの食材の買出しに行きました。
豚の角煮でも作ろうかと思ってます。
もしかしたら奥さんも食べるかもしれないので、多めに買出しておきました。
今日の夜は、少し休んだ後に明日の準備をしようかと思います。
明日は、奥さんが荷物を片付けて家を出た後に、多分号泣するんだろうなと、今から思ってます(笑)
離婚の準備って本当に凄まじいエネルギーを使います。
明日の私の気持ちのアップタウンが、少し心配ですが、とりあえず明日は良い一日で無い事を覚悟して、気持ちを整えて準備します。


2020年の年越しを一人で過ごしました。
記憶の限りでは一人での年越しは人生初かもしれません。
今までの日常生活が、いかに幸せであったかを痛感しました。
紅白歌合戦を途中から見て、ゆく年くる年を見ながら新年を迎えたのですから、今回は見ていて辛かったです(T_T)
理由は昨年がコロナウイルスの影響で、家族や友人等との繋がりが求められていた年だったので、NHKも番組制作上そこをフォーカスしてる訳でして。
家族との繋がりの話になる度に自分が情けなくなってしまい、奥さんに心の中で何回もゴメンと謝りながら、涙を流して新年を迎える事となりました。
結果、泣きながら寝落ちしてました(笑)
思えば番組を見なければ良かったんですが、体質的にMなのか最後まで見続けてしまいました(-_-;)
多分、泣きたかったんですかね。

元旦の朝は寝正月で過ごすのも心身のバランスを崩してしまうと思い、散歩に出掛けました。
けど今住んでる街にある、奥さんとの思い出が脳裏を過ぎってしまい、辛くなり直ぐに家に戻ってしまいました。

心身のバランスという表現を使用したのは理由がありまして。
今から一ヶ月以上前に友人の勧めで心療内科の受診を勧められました。
人生初の心療内科です。
コロナの影響もあってか、予約出来たのは一週間以上先の事でした。
診断結果は自律神経失調症とうつ病の疑いがあると。
ドクターからは薬物療法を強く進められましたが、自力での治療を選択しました。
奥さんには診断結果を伝えませんでしたし、これからも言う事は無いでしょう。
治療にあたり、仕事を休んで長期のロードトリップに出る事にしました。
有給休暇を殆ど消化してなかったのが幸いでした。
旅から帰って来た12月末頃に再診して、ドクターからは今の状態であれば薬物療法をしない方が良いと診断されるフェーズまで回復する事が出来ました。
ここの経緯の詳細については、後日に改めて記載させて頂きます。
なお、この旅は友人からの温かい励ましや優しさが無かったら、出発すら出来ない位の状態でした。
一緒にいてくれるだけで、どれだけ励みになった事か。
人の優しさの有難みは、年をとってくると尚更響きます(笑)

それと今、私が住んでる家は持ち家です。
この街を出たいという思いと、純粋にこの街が好きという思い、そして奥さんと住んだこの家を売却する勇気が出ないという、自分でもどうしたいのか整理がついてない状況です。
ただ幸いなことに家に住み続けている事自体は、そこまでストレスにはなっていないのかなと感じてます。
ただ寝室は入るのが辛すぎなので封印してる状態ですが(笑)
今は、自然の成り行きに任せようかなと。
街の思い出の辛さも、暫くは時間の経過に身を委ねようかと思ってます。
ちなみに別居に当たり、最初は私が出る事を提案しました。
しかし奥さんがこの家を出たいという要望が強かったので、このような形になってます。

さて今は正月の夕方の時間帯なのですが、奥さんから連絡が無い状況です。
恐らく3日に奥さんの荷物の梱包と運搬をする事になるのかなと思います。
荷物の梱包は、私は立ち会わないつもりです。
運搬は荷物が重いので、手伝おうと思ってます。
梱包を手伝わない理由は、長い時間手伝うと心のエネルギーを沢山消費してしまい、メンタル的なリスクがあるかなと判断しまして。

さて、明日はどんな一日になるのか。
今は未来を想像すると寂しい事だらけです。
ただ、きっと本当に大切な事はいつか向こうからやってくるというのを信じて、それを一つ一つ大切にしていこうと思ってます。
今日、奥さんに183日後に離婚する旨を記した証書を提出しました。
この提案は私から奥さんにしました。
内容をザックリですが記します。

「2021年6月末に、離婚届を提出します。なお、2021年6月末迄の期間について、お互いに恋愛等は自由として、これからの行為について法律上の不貞行為等として問わない事を約束します。」

渡した証書は法律上では有効では無いのをお互いに承知してます。
最初はしっかりした証書を作るつもりで奥さんに提案しましたが、そこはお互いの信頼ベースでやろうとなりました。

私が妻に話してるのは、法律の話を持ち出すつもりは無いと。
キチンと奥さんへの思いやりと幸せを可能な限り考えて行動すると伝えてます。
奥さんは可能ならば遅くても2021年3月末迄には離婚したかったのですが、そこは私の心の整理がつかない事を理解してくれて6月末迄に延期してもらいました。
このブログをスタートさせようと思ったきっかけは、奥さんへ約束した事を破らないようにする為に、自分としては退路を断つ意味を込めて始めました。

2020年の年末をこのような形で締めくくる事になるとは、今年の夏頃までは全く想像してませんでした。
夏にはお互いに妊活の計画を相談してた位です。

明日からの正月三ヶ日のいずれかで、家に残してある妻の全ての荷物を、妻の新居へ運び出す予定です。
そこで、まずは一段落するのかなと。
荷物の運び出しが終わったら、事の始まりについて記していきます。