LPNを受けてみたらどう?
仕事の休憩中に言われた。
核心を突かれた思いがした。
自分の能力を見極める、ということ。
しかも信頼できる人からの言葉。
あまりにも時間をかけすぎている、という事実。
ここにきて日本で正看護師だったということが邪魔になる。
その人はベテランのRNで看護学校で教えていたこともあったという。
聞けば教え子の中にもなかなか受からない人も見てきたという。
LPNの後にRNのコースに行けばいいと。
彼がどこまで外国看護学校卒の受験生の申請の頻雑さを知っているかはわからない。
あの気の遠くなるような手続きを経てさらにRNブリッジコースに入るとなると今よりははるかに大変になることは容易に想像できる。
どうしてこう順調に進んでいく道ではないのだろう。
手続きの頻雑さを除けば(そう簡単には除けないが)これが本来やるべきことだったのかもしれない。幸いにも勤め先の病院の系列にはLPNのポジションがまだ存在している。
募集も定期的に出ているのだ。将来的に就職困難とはいえそういう道が存在しているも確かなのだ。
免許がないからできないこと以外を除いて大雑把に言えば「病院で働く」ということは達成している。投薬やアセスメントはできないがICUでない限り「それ以外」の大部分を占める部分は日常的に経験している。ただ「それ以外」の部分はCANの仕事として完全に分離したいのがRNの本音であるが現実的ではない。
はたして自分は本当に「RN」になりたいのだろうか?
「病院で働く」ということには満足している。
RNになる前にいろいろ見すぎてしまった感がある。
ご存知のとおりアメリカで職を得るのは大変だ。
州が変われば免許を持っていてもマスターを持っていても仕事を得られない人はたくさんいる。希望の職に就けている人はどれくらいいるのだろう。
RNになったのはズバリお金のためと言い切れる人。
それを実現した人はすばらしいし看護職が好きならなおさらだ。
周りを見ている限り大部分の人たちは今手元にあるものを大事にしながら模索しているのが日常ではないだろうかと思う。
かといって転職するのも思いのほか大変なので今の現状を維持するのに精いっぱいなのではないだろうか、などと他人事のように感じている。
かといって今の仕事をやめてしまうのも次が決まっていないとままならない。
すべてが次につながっていくためのブリッジなのだ。いわゆる二股三股状態。。
辞めるのも大変なのだ。
経済的に困窮していたらきっとそれどころではないのだろう。
そこまで切迫していない状態にいるのに自分の甘ちゃん状態を自覚させられた一言であった。
手続きが頻雑だからという理由だけで避けられることではなくなってきた。
もう一度だけ受験すると彼には宣言した。
その後は本当に考えなくてはいけない。