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新たな旅

"new kid in town"

 

 

 

2024年12月末日が、期限のはずだった。

それどころか、年が明けてしまった。

元日を過ぎても、片付け終了しているべきヤマは、一向に減らない。

減らないどころか、ひとつ山を崩し「やれやれ」と思うそばから、別のヤマがまた現れる。

よくあることだ。

(自分で定めたはずだが)予定は、未定にあって確定にあらず?!

 

一見、この絶望的な光景。

あたかも、さながらダイニングテーブルのうえだけは、40年分の過去の遺物が静止画像のように、新たな埃を蒐集する意気込みでじっと空(くう)を凝視している。

実は、昨年5月東京から帰ってきて以来、ずっとこの調子だったのだから、大層贔屓目にみていえば、大幅な進捗状況を記録しつつある現状に対し、大いに胸を張っても良いはず。

 

当初の予定を随分過ぎていることから、強制終了、第二次期限を年初め10日間以内でやっつけよう。

今度こそ、なにがなんでも完結させる。

いわゆる「棲家終いの断捨離」とは、意を異にする。

物欲は、元々あまりないので、(実際、そんな大したことはないだろう)とタカを括っていた。

だからこそ、断捨離そのものがふたたび「面倒になる」前に、とにかくすっきりさせたい。

ひとり暮らしを始めた27歳のあの頃は、余分なものは、ほとんど持っていなかった。

そんな暮らし方をふたたびめざし、生活必需品など、最小限のモノだけあれば良い。

 

そうして、生活環境を整え終えたら、勉強三昧の暮らしへ突入しよう。

勉強が趣味といえる、なにかに没頭できることの、しあわせ。

自主学修「自習」に1日でも早くとりかかれるよう、そう、まずは断捨離。

 

Happy New Year 2025

 

 

 

 昨年5月、日本へ一時帰国した頃、なんとなく「もう一度学生に戻って勉強してみたい」の思いに駆られた。

たまたま母校から徒歩ですぐのところに逗留していた。

(これは、ただの偶然ではない。何かの啓示に違いない。)

(大袈裟な!)

 

そう、一人合点したわたしは、まずは、その母校へと足を運んでみた。

卒業証明書と成績証明書は、難なく手に入れることができた。

ただし、成績証明書に関しては、わたしの卒業年度があまりにも昔のことなので、元台帳が既に廃棄処分されており、「成績証明書を発行できない「理由書」」なるものを受領。

 

 だが、少しだけその気になった東京から帰っても、なにかすぐ、手を打つわけではなかった。

ぼおっとしている間にひと月が過ぎ、ふた月めが過ぎてゆき、7月になった。

 

 漸く、重い神輿を挙げ、インターネットで通信制大学一覧表を見つけた。

深く考えもせず、数ある大学の中からたった2大学を選択。

早稲田大学と日本大学へ資料請求メールを送付。

だが、日本の居住住所がないため、通常の郵便では資料を入手できないことだけが分かった。

 

 それからまたひと月、気後れしたままの時間だけが、過ぎた。

 

 気を取り直し、再度、インターネットで資料請求してみると、早稲田から直ぐに返事が来た。

(日大は、結局なしのつぶてだった。)

 そうすると、10月以降、2025年度入学出願手続きが始まると判明。

東京の親友の助けを借りて、本格的に必要な書類を母校から取り寄せた。

 先の5月の、滞在場所は、実は、早稲田大学の直ぐ近くだったのだが、もしも、その時すでに、早稲田eスクール希望がはっきりしていたら、と思いもしたが、そんなにコトは都合良く運ばない。

すっかり後の祭りを言ってもはじまらない。

結局、eスクールは所沢キャンパスのため、実のところ何の役に立つこともなかった。

 

 受験票用添付証明写真を撮り、必要書類を揃え、その間、800字x4+400字x1+200字x1、合計6本のミニエッセイを書き上げた。

 「堅い日本語の書き言葉」で書かなければならない論文形式の文書は、最もらしい理由動機書、履歴書など。

久しく書き慣れない文書形式には、すっかり手こずった。

それでも、どうにか、出願締切日までに、かなりの余裕を持って書類提出完了。

あとは書類審査の結果待ちだけ。

最初に思いつきで始めた5月から、ここまで既に、約半年の時間が経過した。

 

 早稲田からの一次結果待ちの間、現地シドニー大学はどんなだろう、と軽い気持ちで調べてみた。

大学案内要項など、もちろんすべて英語なのは当たり前だが、応募する以前から、読解力を試されたような気がした。

 調べてゆくうち、シドニー大学へも出願資格を満たしているらしいことが判明。

だめ元で早速、東京の親友へ二度目の手間をお願いし、再度、卒業証明書と成績証明書入手、出願。

 

 こちらは、いまだに大学からのオファー待ちであるが、実は書類に不備ありと、出願直後、知れたため、2025年度入学は、ないものと既に諦めている。

だが、この書類不備理由のため、実は、まったく、別な選択肢が急遽浮上。

あれよあれよという間に、わたしの2025年の「行先確保決定」。

それが、TAFE 入学。

この TAFE を経由することで、来年度シドニー大学への再度出願手続きの一切が省略され、自動的に受験資格が与えられるという特典。

ただし、必須全10科目をほぼ優で修了しなければならない。

 

 また、シドニー大学出願に際し、英語総合力評価 IELTS (International English Language Testing System) が必要だったため、数十年ぶりに「学力テスト」を受けてみた。

数値的には、シドニー大学学士入学のための最低必須値は満たしていたが、予想に反し、というより、「自惚れていたわりには、まったく大したことない結果で、横っ面を張り倒されたような」と表現するのにふさわしい、そんな程度のものだった。

 

 新年の目標は、無事 TAFE を最善の成績で卒業すること。

結果を出せば、いやでも次に繋げられる。

 「なんとなく」から出発した「もう一度学生に戻り、勉強したい」希望は、これで、事実上叶えられた。

いや、叶えた、のは、他の誰でもない、この自分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で自分に課した目標、「年内で」断捨離を完結すること。

「つもり」では、新しい年のはじめから切りよく、本格的な勉強を始めたいのだが、存外せっかちなわたしのこころはもう、今すぐにでも取りかかりたくて、うずうずしている。

 

だが、家の中に溜まった、長い年月の「実質的な事実の積み重なり」、それこそ埃にまみれた「過去の処分」は、ポイ捨てできないだけに、非常に手間と時間がかかり、ゆえに、その面倒が、つい気持ちの苛立ちへと反映。

倦っぽいたちでもあるので、立ち止まり、手を休め溜め息をついている時間の方がしばしば長く、なかなか先へ進まず、捗らない。

「仕方なく休憩を挟む」が、実はその「手を休める時間も惜しい」。

 

→ oxymoron (矛盾した)

 a figure of speech that combines contradictrory words/terms with opposing meanings, which may seem illogical at first, but in context they usually make sense.

(休憩時間中に見つけ学んだ新たな単語!)

 

それならば!

一石二鳥、「1日1ページ」を始めてみた。

 

断捨離休憩時間にお茶を呑んでぼうっとするのではなく、かと言って、あらためて学修書などを紐解く、ではなしに、そこら辺にあるものなんでもかでも、たとえば、読みかけの雑誌や切り抜き、説明書の類、そんなありとあらゆる「つまらないもの」を「教材」にでっち上げ、A4サイズ1ページくらいの分量の英文読解を演習として始めてみた。

 

語彙力増強・強化が第一目的のため、Google辞書検索は、当然必須。

だが、単語帳など、わざとらしく改めては作らない。

なぜなら、あくまでも「背水の陣」方式を自分に課し、片っ端から、記憶してゆくことがその課題。

日本の受験生のように、詰め込み式記憶術は、もはや、老いた脳細胞には荷が重すぎる。

 

知らない単語の意味は、本文中の前後の文脈からまず察すること、そして、英語で書かれた説明文で理解すること。

このふたつを大前提とし、納得がいってから、日本語Google検索で再確認、最後のとどめを刺す。

こうして、教材自体の出所やテーマが半意図的に多種多様となるのため(雑多とも言える)、思わぬ vocabulary に出喰わすこともあり、それを期待もし、またかえって、大穴、狙い目でもある。

 

断捨離の、ながら仕事のついでで、いったい、どれだけの成果、英単語数を増やせるだろうか。

 

" Kill two birds with one stone " 「一石二鳥」

 

 

 

 

 

 

 

早稲田eスクールにて、現在学んでいるある人のブログでは、いかに、講義内容のレベルが高く、通信制とはいえ(もしくは、通信制だからなのか)毎週のように提出しなければならない課題レポート数がかなり多いので、それなりの覚悟と準備をする必要があるだろう、とあった。

 

過去、既に全日制4年生大学と大学院を卒業、現在、社会人学生として、更に深く学問すること自体を楽しんでいるかのように、探究心を満たすべく、仕事と学問の両立を難なくこなしているかのように見受ける。

おそらく、現役学生時代から self-discipline の整った優秀な人に違いない。

その優等生の見本のようなひとの示唆する内容から推して、果たして、わたしには可能な選択だっただろうかと、改めて振り返るきっかけとなった。

 

もしも、わたしが2次面接を通過し、実際に α コースへ編入できたとして、そしてたとえ(上限)32単位免除されたとしても、残り92単位(計124単位)を3年かけて取得するためには、単純計算でも、毎年前・後期合わせ、30単位強の科目数をこなす必要があり、ほぼ毎週4〜5本のレポート提出に加え、科目にもよるが中期・学期末試験、および卒論など「オンライン独学」にすべてが託されることになる。

充実した大学からのサポートの活用も推奨され、横のコミュニケーションも学生本人のや意気込み次第と謳われている。

が、逆を言えば、先の優秀なオンライン社会人学生のように、self-discipline との闘いに、いかに3年間、堪え打ち勝てるかが、卒業への鍵であるとはっきり提示されたと思う。

 

「読むこと」も「書くこと」も好きだが、趣味としての「読書好き」や、自分の興味対象以上の、学問レベルでの「読み書き」は、多少作文が書ける程度の、生やさしいものではないだろう。

出願書作成時、久しぶりに「堅い書き言葉としての日本語」に翻弄されたことで、多少なりともどんなことを要求されているのかを実感できた。

いわゆる学術用語、書式の決まった書き言葉を駆使する能力を問われることは言わずもがな、読解力に至っては、単なる読書力以上の力量を要求されることだろう。

 

また、別の現役オンライン社会人学生の日記ブログで、はっきり断言している人も見かけた。

「通信制大学で学位取得が目的ならば、相当の覚悟が必要です。」

 

この女性は、全日制早稲田大学を卒業、社会人としてキャリアを積み、他の諸々の有資格者でありながら、再度勉強したいとの思いから、京大オンラインで学んでいる。同年代か、ややもすれば少しだけ年下かと思われる。

 

ただただ尊敬の念。

現役バリキャリの人だからこそ、その言葉の重みは、ずっしりと響く。

確かに、わたしのように、なにもかもが弛緩し切った言語能力の持ち主にとり、一見、うってつけの「再訓練環境」となり得たかもしれない。

が、果たして、心理的に、孤独な学修環境に耐えられるだけの精神力継続維持は、かなり疑問である。

そして、何よりも「時間」。

わたしに与えられた「限られた時間」で、希望の課程を全うできるかどうか。

それも、次回の検診で、まもなく判明するだろう。

 

わたしの最終目標は、シドニー大学で学ぶことである。

その入学資格のための布石として、日本の学歴、早稲田大学eスクールを候補に考えたのだが、詰まるところ、早稲田に限らず、オーストラリアの大学入学にあたり、「外国籍大学」で取得した学位は、出願時での考慮の対象には、なり得ても、優先入学資格には該当しないことが判明。

それが、2次面接を放棄した大きな理由だった。

事実上、向こう3年間早稲田オンライン学修と、来年1年間のみの TAFE での対面学修との比較では、もちろん、後者の方が時間的にも経済的にも、そして、わたし自身の身の丈、現状にも合致する。

この選択で良かったと、再々度確認するに至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨夜あちらのお母さんからのメールが届いた。

最初の出会い(2016年)から毎年、律儀にクリスマスカードを送ってよこすクリスチャン系。

こちらもやはり、義理堅く一応返礼してきた。

ところが今年は、めずらしく自分のことでいろいろ忙しくしていたもので、そこまで気が回らなかった。

あちら(娘の連れあい)のお母さんが、来年、初孫の誕生に合わせて来豪するという。

ついては、娘から、

「おかあさん、spare bedroom の bed、まだ処分しないでね。」

 

新年からの TAFE 中心ライフスタイル準備のため、今まで長年なおざりにしてきた断捨離を、今度こそ絶好の機会、一挙に片付けようと、現在格闘中。

そしてまた、このたびは、長逗留の来客のため、という、名実共に大層立派な大義名分まで課せられたので、何がなんでも完結させねば。

 

一人世帯のため、使いもしない予備の部屋のベッドやらが疎ましくなってきたので、娘についこぼしたら、娘は娘で、出産前後に来豪するお義母さんの滞在先を心配していた、というのが、ことの顛末。

家具の処分などいつでもできるが、処分した後で(わざわざ短期滞在者のために)再度また揃え直すのは現実的ではない。

緻密な計画の下、公認会計士の娘は、予定日2週間前のぎりぎりまで仕事をし、一年の産休に入る予定。

だから、3月初旬の予定日に合わせ、あちらのお母さんが遥々イギリスから来てくれることは、大変ありがたいことである。

 

一生に一度の「生命の誕生の瞬間」を誰かと分かち合えることの素晴らしさ。

そして、「このわたし」に孫ができる、など、未だもってしてまったく実感が沸かない。

 

孫が生まれる時点で、学生生活をすでに始めているであろう「きらきらおばあちゃま」というのも、後々の家族のエピソードとしては、面白いかもしれない。

まだ見ぬ孫ではあるが、「彼女」にとり、きっとわたしは、一生「お気楽ばあば」でいることだろう。

 

そうそう、わたしは、誕生前から早くも、初孫の日本語教育係を仰せつかっている。

わたしの実子二人、娘と息子には叶わなかった「日英バイリンガルっ子」を「孫の親たち」は望んでいる。

 

 

 

 

12月18日付ニュース。

「Year 12  HSC (Higer School Certificate)  総合結果発表、その受験者数過去記録的数字」と報道された。

 

HSC とは、各州ごと、州共通高校3年次卒業成績=大学入学資格。

日本のセンター試験がこれに匹敵するが、その審査方法は全く異なる。

日本の場合は、受験科目で良い点を取りさえすれば良い一発勝負式だが、オーストラリアの場合は、Y12全科目の履修率、つまり高校在籍中、日常的に作成提出するミニエッセイ(レポート)や授業への具体的参加状況などを主軸に総合評価方式。

日本の理系や文系といった、枠組みで仕切る考え方が根底になく、そのため、個々の学生の持てる力、実力の範囲内で最高評価を得られた科目を全体の相対値と対比評価する。

例えば、苦手ならば、基礎数学IとIIだけ修了し、余録単位数を得意な英語で上乗せすることも可能。

何も不得意な科目でビリ点で苦労するより、得意な科目での高得点を優先することで、全体総合評価値の底上げになるからである。

いわば、大学での単位取得方法同様、高校最終学年の成績は、総合評価を優先し査定される。

 

HSCの成績により、上位成績優秀学生から順に、尚且つ、学生本人の上位志望大学順を考慮、大学側から学生へ直接入学許可がおり、それを受領して、初めて晴れて入学決定。

第一志望校、もしくは学部からのオファーがなく、第二希望校・学部から先にオファーされる場合もある。それを即座に受け入れるかどうか、または、あくまでも第一志望校からの返事を待つのか、タイミング的に、選択の余地があるかどうかの判断も、また悩ましいところ。

 

などなど、18歳の若者たちのさまざまな「人生模様」が繰り広げられる毎年年末恒例 HSC。

クリスマス前に進路先が決まればよし。

中には、翌年1月へ持ち越し、通常2月始業のぎりぎりまで進路先が決まらない学生もいる。

2024年度ニューサウスウエールズ州に於けるHSC受験者は、過去最多数の約7万人近い学生数だったという。

オーストラリア全人口2660万(2023年6月現在)、ニューサウスウエールズ州815万人(2022年6月現在)を鑑みれば、この7万人という数字が、いかにニュースになるかも、うなづけよう。

 

わたしの入学希望シドニー大学に於ける、外国からの留学生やわたしのような社会人学生も含め、2024年度総学生数は、約7万人。

基盤となる内訳は異なるにしても、この7万という数字。

わたしは、これら現役高校生や外国人留学生らと、事実上、競うことで入手できる勉学の道であることを、改めて肝に銘じると共に(2025年度こそは叶わなかったが)2026年度入学を目標にますますやる気満々、来年度から始まるわたしの新しい生活が楽しみである。頑張るぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

TAFE Student's Module Tools

TAFE の学生用サイトには、いろいろなツールが搭載されている。

リサーチ、予習や復習のための自習用、課題提出など、用途に応じ無料ツールを自由に使え、基本は Microsoft 仕様。

過去に使用経験がないので、ツール自体に慣れるためと練習を兼ね、模擬エッセイや表・グラフの作成をしてみることにした。

特に試してみたいと思っていた Excel は、実生活では必要とする理由も機会もなかったので、勉強しながら覚えられるなんて、ラッキーと思えるわたしは、きらきら一年生と同じ次元かも?

早速 Budget 表作成に活用するつもり。

全科目でのオンライン提出は、Document で作成しなければならない、と思われる。

 

こんな些細なつまらないことでも、新知識として学べられるだけで、わくわく。

新たな経験、未知の体験に嬉々とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

BBC 発信 Learning English 6 Minutes English を試してみた。

(IELTS 受験対策ブログで見かけた。)

 

ラジオやテレビのニュースを聴くように、ふわあっと聴き流しただけではいけないのだけれど、そうとわかっていても、聴き流してしまう(しまえる)のは、レベルが低すぎるからだろうか。

 

聴解力向上の学習方法として、最初から自分の実力より少し上の難解レベルから始めた方が、良いのかしら。

 

 

 

 

 

「自主学習」を略して「自習」と書きながら、今初めて(そうだったのね)!

今更のように気がついた。

 

小学生の頃はまだそうでもなかったと思うが、中学生くらいになると、学校や教師の都合で「自習時間」なるものが、時に登場することがあったように思う。

「自習時間」と通達される度、公には、皆神妙な面持ちであったが、内心(やったあ)と本来予定の授業がキャンセル、または「遅延順延」されたことに、子供らしく小躍りしたものである。

 

わたしが通った高校は公立であったが、学校運営に関しては「実験校」として、大学のカリキュラム方式導入や、個々の学生が自分で選択構成できる時間割、そして制服に至っては選択制、着ても着なくてもどちらでも良いなど、かなり自由な校風だった。

そのため、中学校レベルでの、学校内授業における「自習時間」はほぼなかったが、その代わり、「自宅学習」、あるいは「自主的学習」としての「自習」にどれだけの時間を割いたか、割かなかったかで、高校3年間で極められる学業成績の充実度が左右された。

と、半世紀以上も経ってから、深く反省、自戒の念を込め、実感する次第。

時既に遅し。

かなり、ね。

 

いままた、勉学の道を歩もうと(これもかなり大袈裟)するわたしは、2025年度2月から始まるTAFE が、いまからとても楽しみで仕方ない。

このわくわく感は、初めて習う外国語、一番最初の英語の授業が待ちきれず、入学式前既に入手していた英語の教科書で、自主的に自宅学習を始めていた、健気な新中学1年生のわたしを思い起こさずにはいられない。

 

あらから幾星霜の年が過ぎ、あの健気な中学生は健気なままに歳をとり。

まさか、そのわくわくした中学生のときの想いと共に学び始めた英語を、今度は主要「武器」として、しかも人生最終ラウンド近くになった社会人学生として、一般教養科目を学修することになるなど、いったい誰が予測できたであろう。

随分と長い間まわり道をしたが、まさに、いまこのとき「時熟したり」。

決して、遅きに失してはいないのよ。

 

 

 

 

 

 

 

場所の見当は、おおよそついていたが、地元の TAFE 校内へ足を踏み入れるのは初めてだった。

この近所で一番大きなショッピングモールのすぐ裏手、広大な敷地に、幾つもの校舎と思しき建物が行儀よく並んでいた。

 

日中陽射しの強い時間帯を避けたつもりだったが、営業終了5時前、4時半頃は、いまだジリジリと照りつけるような暑さだった。

がらんとした駐車場から受付があると思しき建物へ向かう、ほんの数分間だけでも、小麦色の肌がチョコレート色に変わりそうだ。

 

「インフォメーション・センター」の建物へ入ると、受付職員はふたり。

うちひとりは、父親に付き添われ、新卒と思しき女子の入学進路相談にのっている、と見えた。

わたしに気がついた別の職員が、笑顔で現れる。

 

(退出時間が近いから、面倒な問い合わせ、しないでね。)

 

心理学者ではないが、職員のポーカーフェイスの裏がよく読める。

わたしが、学生証を発行してもらいたい旨を告げると、

ほっと安堵したように、

 

" I can do that ! "

 

自動車運転免許証の提示を求められ、本人確認。並びに免許証に記載の名前だけを手書きメモで写し取ると、

「少しお待ちください」といって、奥へ消えた。

ものの数分も経たぬうち、何か手にした職員が戻ってくると、撮影のため、所定位置に立つよう指示すると、カメラの準備を始めた。

証明写真撮影用の無地で灰色、バックグランドシートが、ボタンひとつ、天井の埋め込み口から自動で降りてくる。

 

" Impressive ! "

 

思わずそう感嘆してみせると、女性職員は、もうすでに幾度となく同じ手順を繰り返してきたのだろう、微かに、薄い笑みを返すだけだった。

 

つぶやくように事務的に「1−2ー3ハイ」と唱え、(パシャ)、撮影終了。

そして約60秒後。

出来立てほやほや、正真正銘、自分の学生証が手渡された。

 

あんまり呆気なくて(えっ、もう終わり?!)

(技術は日進月歩)とそんなつまらないことを頭に描きながら、地元 TAFE を後にした。

to do list のひとつ、業務完了✅