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新たな旅

"new kid in town"

 

 

 

TAFE からのお知らせメール。

 

You are receiving this email because your enrolment with TAFE NSW has made you eligible for concession travel on NSW public transport.

 

開講日、講義開始に先立ち、「Opal Card 学生割引のパスが使えますよ」とわざわざ連絡してきた。

わたしも気になっていたのだが、後で考えよう、と思っていた矢先。

わたしは年齢的に Retired に属し、既に Senior Concession Card を入手してから数年経つ。

これは、NSW 州内公共機関利用、乗車距離に関係なく、1日 $2.50 で、どこへでも乗り放題。

対して、年齢に関係なく学生であれば(例外あり)、学生料金1週間の上限 $25 で、同じく乗り放題として利用できる学生パス。

例えば、(わたしの通うことになる)市中の TAFE へ、郊外から、それも遠ければ遠いほど、より割安になる仕組み。

確認のため、調べてみると、案の定、Senior Pass の方が、Student Pass よりも格段にお得。

わたしの現住所から市内まで、バス1本で片道30分、この往復を、前期は週3日通うことになる。

 

歳とってゆくのも、満更、そう悪くないかも。

 

 

 

 

今年の検査結果に対し、「専門医による再検査は保留にしましょう」という主治医の結論に同意した。

決して、聞き間違えたわけではなく、病状が完治したのでもないが、思ったほど、悪化もしていない、なんとも中途半端な状況で、よもや病原菌自体もどうして良いのやら、困惑しているのかも?

いやいや、そういうことではない。

が、いずれにせよ、即効治癒法はなく、あくまでも、バランス良い三食の食事と有機酸素運動とストレス運動と充分な睡眠。

健康体であるための基本中の基本を実行せよとのこと。

 

気丈に見えて、案外心配性なのかもしれないのが、ストレスの元凶ともいえよう。

深呼吸。

無念無想。

快食快眠。

学修に集中すること。

 

こうして、念仏のように同じことを繰り返し唱え、ここに忘備録として記すことで、自己暗示にかけ、まだ完治してはいないが「そうでなくても、なりつつあるようなその気」にさせること。

この自己暗示法は、昔から割と効きめのあることを、理屈抜きで知っている。

 

 

 

 

 

写真とビデオの整理は、近い将来へ持ち越しとしたが、その他、家中を上に下にしての断捨離は、自分で自分に課した期限内に、どうやら完了。

残る不用品は、チャリティへ寄付するため、明日運び出す。

 

食器類を手放すことは、まったく考えていなかった。

が、まさかのまさか。

棚から「掻き出して」いるうちに、過去5年間一度も使わなかった物ばかりが続々登場。

5年前、現住所へ引っ越した時、かなりのものを処分したつもりだった。

この5年間「生き延びた」これらの食器は、おそらくこの先も、戸棚の中で埃を被ったまま、埋もれてゆくに違いない。

殊に、好きで集めた和風の湯呑みなど、誰かに(オーストラリアで)あげたくとも、欲しがる人もいない。

最も、一番困るのが、誕生日に友だちから贈られた瀬戸物類。

好みに合わないものばかりだとしても、無下に捨てることもしづらく、つい戸棚の奥へ押し込め、数十年。

しかし、使わないものは使わないのだから、これらもチャリティへ直行、寄付しよう。

 

紙の書類同様、梱包の手間暇をかけ、船便のため船賃の送料をかけ、持ってきたモノ。

それらの30数年後の行末がこれだ。

海を越え、異国の空の下、ゴミと「死す」。

下手なエッセイの題材にでも、してみようか。

 

 

とにかく、断捨離の目標は、90%達成。

漸く、本命、次の目標を目指すことができる。

待望の自主学修、自宅学習、自修を始めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつの案件。

今週初めの検査結果が陽性だった。

 

去年は、念の為、専門医による再検査をし、やはり陽性結果を確認するに終わった。

主治医も専門医も、今すぐには、何も心配することない、自然治癒の可能性は十分ある。

だから、今まで通り、食事、運動はもちろん、精神的なバランスを保つ生活をするよう心がけること。

 

根が真面目で素直なものだから、特に医療従事者の言葉へは絶対服従、いとも容易く従順になれる。

この1年間、厭なことは務めて考えない、忘れるようにし、そのための環境整備もしてきた。

 

今現在進行形の断捨離も、いわば、この悪魔の囁きなる病原体がその良いきっかけをつくってくれた。

そして、勉学の道を選んだのも、「それ」が理由。

 

一度しか生きられない命なら、できる時にしたいことをする。

言ってみれば、実情はかなり深刻なはずなのだが、といったところで、即座に完治するような症状ではないため、いまのところ「共存共生」するしかない。

 

希望的観測を持って臨んだ今年の再検査だったが、結果は、正直すぎるくらい正直だった。

だが、科学的数値は、わたしを理性的に納得させるのに充分である。

また、一年、神妙に暮らす。

それだけである。

ただ今年は「学修」という、自分のやりたいことをできる環境を実現させた。

だから、精神的充実感で満喫できれば、本望とし、願わくば、症状改善の一助(かなり深刻!)になれば更に良しとしよう。

 

重篤患者ではないが、正常な健常者でもない、中途半端な反病人。

似合っているといえば、これほどわたしに似合う「いい加減」は、ほかにないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

昨日まで、実は連日30度だった。

扇風機2台をフル酷使しての、肉体労働。

エアコンもあるが、ちょうど2年前に壊れた(と思った)時から使えない状態が長く続き、修理しなくてはと思いつつ、放ったらかし。去年の中盤あたりで、やっと電気屋を呼んだ。

そうしたら(どこにも故障はない)といわれた。

(そんな、バナナ、馬鹿な!)

 

忘れもしない2022年12月26日。

クリスマスの翌日の朝、いつものようにエアコンにスイッチを入れた。

そうすると、ものの30分も経たないうちに、エアコンから水が漏れ出した。

すぐに出かけなければならなかったため、水浸しになった床を拭き清め、その時はそのまま放置。

そして、そんな放置状態で、はや1年半近く経過ののち、漸く「診たててもらった診断」が「異常なし」。

(すわ、新しいエアコン購入か?)と、数千ドルの出費を覚悟していたが、肩透かしを喰らった。

が、それでも出張費用というのか、「修理メンテナンス費」のようなものを請求された。

ちょこっと、フィルター部分の掃除をしてくれただけだけど。

じゃあ、あの水漏れ騒ぎは一体何だったのか。

電気屋の言うには、

「排水パイプのどこかが詰まっていたのでしょう、それで本体中の水の受け皿の容量以上になり、本体全面から、水が滝のように流れ出したということですね」

まるで他人事のように涼しい顔をしていう。

本当に他人事だから、他に言いようもなかったのだろうが。

 

そんな曰く付きエアコンは、毎年夏が来るたびに、なんとなくケチがついたような気がして、それ以来、だから、我慢の限界まで使わないことが、無条件降伏のような習慣になった。

寧ろ気温がそこまで上がらない日は、扇風機の効用を新たに見出す良いきっかけとなった、妙なおまけ付き。

が、さすがに、外気温30度で、窓を開けられない(交通量の激しい道路沿いに面し、外気埃と騒音のため)状況下で、「セミ引越し作業」は、あまり利口な者のすることではない。

なるほど、これがいわゆる「屋内熱中症」のきっかけになるのかと、初めて思い当たる。

道理でやたら喉が渇くわけだ。

 

最初は、紙類を処分するだけで済むかと思っていた断捨離。

が、あちらもこちらもひっぱ出してみると、ほとんどこれから「どちらへお引越しですか?」というくらいの、用無しゴミの山の出現。

現住所へ引っ越ししてきてから、今年で既に丸5年。

主だった家具、家電は新調したが、それ以外のすべての私物は、以前の住まいからと日本から持ってきたもの。

それらの積み重なりが、今やすっかり埃を被った用済みだったなんて。

日本から持ってきたものに関し、要は「捨てる思い切り」がつかなかったこと、を再々度、自覚、自省に至る。

「捨てる」「棄てる」とは、「思いを断ち切ること」以外のなにものでもない。

 

事情があって、まだ本格的な模様替えをできないでいるが、いづれは " Working Station " 「憧れの勉強机」を手に入れ、一番陽当たりの良い部屋の窓際へ配置する予定。願わくば、今年半期を過ぎた頃。

 

今日は打って変わって、断捨離日和の気温20度。

 

再生できるビデオ機器がないため、ビデオテープは破棄することにした。

そのほとんどは、カムコーダーで撮影したものをホームビデオに落としたコピーなので惜しくはない。

問題は、カムコーダーから直接繋げる視聴用モニターがないこと。

このビデオ機器関係を一切合切破棄処分するつもりだったが、もう一度だけチャンスを与え、何とか再度視聴可能の方法を考えてみようと思う。

撮影した動画のすべては、家族の生育状況や旅の思い出の記録ばかりなので、ぽいと棄てる、思いを断ち切るには、よほどの覚悟が入る。

 

今週いっぱい、と自分で自分に期限を課した。

だから、たとえば、半端な(紙の)写真の数々をアルバムへ整理するには時間がかかりすぎるので、将来的に、新たに時間を設けるか、それこそ、学修の合間、隙間時間活用の「手仕事その1」とする。

 

また、子供時代からの旧い日記の類いは、ブログを「永久保存ファイル媒体」として活用、暇を見つけながら手動入力「手仕事その2」とし、作業終了次第、その都度「現物」破棄してゆく予定。

このあたり(日記等)になると、読み返しをしながらの作業なので、おそらくアルバム編成以上に、非常に時間がかかると予想。まさに、センチメンタルジャーニー!

 

 

この断捨離の最中、TAFE からは「ご機嫌伺いメール」が届く。

「入学のご準備はよろしいですか?」

 

「はい、ただいま準備奮闘中です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学修環境整備することと、いつ何が起こってもおかしくない年齢ゆえ、断捨離敢行中。

紙の書類などは、ほぼ95%目を通した。

そして、そのほぼ99%がゴミ箱ゆき。

日本からのものは、1990年、船便で送ったものであり、過去34年間、家の中のどこかで眠り続けていた。

やっと日の目を見たと思ったら、即刻、棄てられる運命だったことも知らず。

そのほかの事務的書類の多くは、もはや既に用済み。

だから、案件処理済みの時点で破棄すれば、良さそうなものなのだが。

(教訓)即決、即処理。

 

捨てる、棄てる、破棄するという行為は、一度行なうと、後戻りはできない。

「すてる」のは、いつでも簡単にできるが、捨てた後で(しまった!)。

そのようなことのないよう、よくよく留意しながら作業を進めること。

そして、それが、わたしの、長年おざなりにしてきた言い訳でもある。

 

でもこの度だけは、二度と後戻りしない覚悟を持って実行しているため、一度「破棄」に分類わけしたものは、見返すことなく即座に、そして見事に捨てきることをかなりの確率で実行できている。

 

さて、残るは、写真とビデオの類。

写真は既に家族分に分け、あとはそれぞれに引き取ってもらうばかり。

ビデオは、、。

その昔、VHS を DVD にダウンロードできる時代があった。

まさかその DVD さえもが、dead elephant になるなど、誰が予測し得ただろうか。

これも、長年おざなりにしてきたわたしの怠惰によるものだが、寧ろ、ビデオも DVD すらさえもなくなってしまったのだから、これら、raw material をどうしたものか。

プロに依頼すれば一番手っ取り早い。

その昔、まだ DVD へ変換可能の時代に見積もってもらったことがある。

その当時ですら「思わず仰け反るほどの料金」だった。

 

1/ (法外な)転換作業料金( Video/DVD→”Stick” ) をかけてまで Conversion する価値があるか

2/ 家族の思い出がつまったビデオを可視状態に変換し、後の世代へ残す価値があるか

3/ 即決できない場合 → 再保留 → しまい直す!(最悪の決断)

 

そして、なぜか、昭和49年1974年日曜版新聞の一部、数ヶ月分が、諸々に混じって出てきた。

(What's got into my head back then to keep all of these old papers ???!!!)

とりわけ大ニュースの記事が掲載されているわけでもなく、今となっては、埃に塗れ、すっかり赤茶けた、ただの古新聞の山。

しかしながら、政治面には、錚々たる時の宰相らの名前が列挙され、コマーシャル紙面には、これまたいわゆる大御所級、時代の先端をゆく俳優、女優のオンパレード。

後年には、どの政治家もどの芸能人も、こんな日曜版の片隅の紙面を飾ることもなかったはずだ。

ついつい引き込まれ、読み耽ってしまった「半世紀前の遺物」。

シドニーにてさよならグッバイ。

 

断捨離の行方は、いよいよ大詰め。

モノを処分したら、家の中全体の模様替えも必要になった。

期限1月10日を1週間だけ延長。

今週末までに決着をつけよう。

そして、早いところ、自主学習中心の暮らしを始めたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半年に一回の定期検診。

コレステロールが予想以上に良い「成績」を出した。

思えば、5年前の2019年、 Doctor Caution を受けて以来、medication コレステロール値を抑える薬(抑止剤とでもいうのか)を服用しているとはいえ、初めて自画自賛して良い結果だった。

 

もともと料理は厭わない方なので、出来合いのものは買わない、食べない、添加物入り加工食品は、わたしの冷蔵庫、pantry の中には、その場所を与えられることはない。

いわゆる、raw food 野菜、果物、肉類なら赤身や鶏肉、魚介類は手に入りにくい中、もっぱら、色鮮やかなサーモンを、あまり複雑な味付けをせず調理する。

そして、和食の基礎食材、味噌、醤油、海藻類、胡麻、蕎麦等、最近は地元のスーパーマーケットでも入手可能だが、わたしは、割高承知で日本からの輸入専門食材店で賄う。

かなり、健全な食生活を保っている方だと思う。

 

一方、引き続き注意を怠れないのが、やや高めの血糖値。

この1年半くらい、主治医から指摘されて以来、ほぼ横ばい状態の「グレーゾーン」停滞中。

こちらはコレステロール値とは異なり、意地でも薬・インシュリンには頼りたくない。

あくまでも、更にストイックな食生活を地道に続けるとともに、日課の散歩と新たに軽めのスクワット体操なども加えてゆこう。

 

来週早々、もう一件、検査を受ける予定。

実はこれが一番の心配の種。

なるようにしかならないけれど、これら一連の健康に関することは、これからの学生生活を始めるにあたり、きちんとしておきたい。

「もう少しも若くはない学生」だからこそ、途中で「息切れ」しないよう、万全の準備で臨みたい。

 

 

 

 

日本から持ってきた、それこそ、子供時代に遡る日記をはじめとする諸々、学校関係のものなど、今まで幾度か、ちらりと眺めたことはあったが、すべての、ひとつひとつを手に取り、じっくりと中身を確かめたことはなかった。

そうしたら、あろうことか、昭和46年1971年に受験したと思われる英検3級の問題用紙が出てきた。

まだ英語を始めていくらも経っていなかったはずであるが、一応合格している。

その出題問題がいかにも日本のテスト形式、というか、よくよく見返しても、試験そのものの形態が、例えば、ついこの間受験した IELTS International English Language Testing System などとは、そもそも比較の対象にすらならない。

 

例えを幾つか挙げてみると、

 

「( ) と同じ発音を含む語を第2の文から選べ」

1/ My fr(ie)nd Tom is a good baseball player.

2/ "Mother, give me something to eat, " said Mary.

(said)

「語句を並べ替え、2番目と4番目にくる語句の番号を記入せよ」

Do you ( 1. the window 2. I  3. mind 4. close 5. if ) ?

(Do you ( mind if I close the window) ? )→ ( 2 - if / 4 - close )

 

「Aグループの文に続く内容をBグループの文から選べ」

A

1/ Tom's father has a car 

2/ Go at once, 

3/ I met a girl, 

4/ I found it difficult 

5/ When I got up, 

 

B

1. my brother had already started

2. to keep early hours.

3. is near my house.

4. who showed me the way to the staion.

5. made in Germany.

6. I can't buy it.

7. or you'll be late.

8. to the office.

( 1+5 / 2+7 / 3+4 / 4+2 / 5+1 )

 

いかにも「詰込み暗記できた者勝ち」的な内容。

しかしながら、だからと言って、詰込み記憶術を侮ってもいけない。

これら単語、文章の一語一句のすべてを覚え、それが、血となり肉となる時、即ちその瞬間が「単に外国語」であったことばが「自分の言葉」に半永久的に変わる時であるからだ。

 

「言うは易し行うは難し」ではあるが、「継続は力なり」。

反復復習を持続することで、不可能を可能にする。

不可能は(自然と)可能に(なる)わけではない。

できないことをできるように(する)、その(努力をする)あなたが、わたしが、可能にするのだから。

 

 

半世紀以上もの昔、藁半紙に印刷された手書きガリ版刷りの試験問題用紙の山。

ページを捲るうちに、気のせいかインクが指にこびりつく錯覚。

これを「物持の良い人間の宝物」とするか、 hoarder「不用品を捨てられずにため続けてきた人間の廃品」とするか。

 

わたしの場合、この度「発掘」したものの大半は、30数年前、文字通り、海を越え、船便荷物としてシドニーへ送り出したものばかり。

個人的感傷の産物以外のなにものでもない。

わたしの成人した子供たちにとっても、用無しの長物ゆえ、後に残されても戸惑うことだろう。

わたしが逝くその時に、同時処分をしてもらおうか。

まだまだ逝くには早いが、断捨離中のちょっとした「タイムトラベル」、" back to the future " も満更、悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BBCの

 

 

並びに

 

 

 

どちらもいつでも簡単に視聴できるため、過去の遺物を整理している断捨離作業の合間、ちょっとだけ頭の体操&気分転換をしたい現状のわたしのニーズに合っている。

程よい知識を吸収、自習していることで満足感を得られるが、レベルが少し低すぎるように感じられ、簡単なところは聞き流し、中級の上レベルくらいを試してみよう。

 

 

 

 

断捨離の山を崩すたびに、疑問の山もうずたかく、後からあとから、山積みに。

 

現在、対峙している山は、過去の旅の記録。

なんのことはない、旅のあれこれをファイルとして「とりあえず」しまい込んでいただけ。

そして、忘れ去られ、過ぎ越しこのかた、数十年。

 

これら過去の遺物は、今ここで入念な取捨選択を自分自身に課し、これから始めようとする新しいライフスタイルへは間違っても絶対「余計なもの」を持ち込まない。

特に、過去の「異物」を思い興させるものは、一切合切視界から抹殺、完全にクズ山へ棄て去ろう。

 

何かを学ぶということは、脳生理学的に言えば、大脳の約30%を占める前頭葉を、日々知識を蓄えることで鍛えてゆくこと。

つまり、脳内が貯金箱の役目を果たす。

逆説的に、整理整頓を、手際良く脳内でできさえすれば、場所を取るばかりの紙の書類や、デジタルファイルの限度容量超過など、それらすらもまさに過去の遺物となり、またそうなりつつもある。

 

そういった意味で、たとえ、明日ポックリ逝こうとも、あらかたはわたしの肉体と共に逝くのは確実で、その他少数必須事務的事項、例えば、遺言書など、コンパクトにデジタル化されていれば、残す家族にさほど面倒もかけることないであろう。

わたしが、最終的に物理的に残してゆくものは、最小限のゴミ処理程度で済むであろうことを願い、それを、単純明快な、わたしのいま現在敢行中の断捨離目標としている。

 

勉強やる気満々の今のうちだ。

早いところ、期限内に目標達成し、本来の次の段階、参考図書など紐解きたくて、うずうず。