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新たな旅

"new kid in town"

 

 

 

わたしの前期時間割。

必須2科目、選択2科目、一般2科目の計I6科目を、週3日に収められた。

月曜日10〜15時(必1)、火曜日10〜15時(選1)+15〜17時(一般1x2)、木曜日10〜15時(選1)。

第1週目を終えてみての感想は、、、?と訊かれれば、「ふうっ」とひと息つく、木曜のゆうべ。

なにぶんにも、目覚ましを必要とする暮らしなど、「超々」久しぶり。

東京のラッシュで通学・通勤を鍛えられたわたしには、ここシドニーでは、なんともゆるりとした通学状況なのだが、「ゆる〜い時間感覚」なりに、それはそれで、やきもきすることもあり(バスの遅延)、それなりの緊張感(約1時間の道中車内立ちっぱなし)と、それに伴う肉体的ストレスは、同夜心地よい眠りへと誘ってくれた、、、とも限らない、こともあり。

 

確かなことは、学ぶことのすべてが新しく、毎日は刺激に満ちて。

今のところは、授業内容にはついてゆくのがやっとだが、クラス毎に出会う若き同級生たちの名前を訊き覚えること、教師らとの small talk などなど、脳内は四六時中フル回転。

このように、「まともな頭の使い方」をしていると、不思議なことに、時間が来れば、ちゃんと胃の腑の空腹さ加減を、自然が教えてくれる。

 

金・土・日の3日間は、各科目の徹底的おさらいをまず優先。

そして、余力があれば、というより、余裕を持って、その各科目初回クラスで既に出されたassignments に取り掛かること。

The sooner the better.

 

忘備録

とにかく知らない単語は、片っ端からから克服してゆかなければ。

でないと先へ進めない。

 

クラスメートの約9割がたは、オーストラリア人。

どのクラスでも、残り数名は、国籍またはビザ上移民カテゴラリーだが、英語は、皆母国語、もしくは同等レベル。

つまり、彼らは基本的に、Google辞書の世話にはならなくても、やっていけるひとたち。

わたしは、心情的ヘレン・ケラー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらくどのクラスでもわたしがいちばんの年長者と思われる。

初日、2日目と同一教師、つまり教師陣は現時点でまだ一人しか対面していないので、なんとも言えないが、この英語科の教師は、少なくともわたしよりひとまわり歳下と見受ける。

 

この国では、年齢云々は、誰も、口にしない、気にしない。

寧ろ、年齢が個人の資質の判断基準範疇には、まったくない。

そうは言っても、実際に自分の娘、息子よりもさらにずっと若い classmates と、授業中、対等に話をするのは、どうしても(わたしの方が)母親眼線、どうかすると「祖母目線」になりそうなのが、怖い!!

 

Generation Gap . . . 年代格差について、若きクラスメイトたちは気にしていないが、Cultural differences となると、文化そのものの、根底深きにその資質を見る日本文化、それを十二分以上に背負った日本人のわたしを、如何にアピールできるか、否か、また、いかほどまでに受け入れられるか。

それが、わたしの個人的興味と関心であり、同時に、実験的にその達成度を密かに測ってみようかと目論んでいる。

 

それにつけても「祖母目線」って、言い過ぎかしらん?!

 

 

 

 

 

たったの5分。

出足のほんの5分違っただけで、3本のバスをやり過ごせねばならず、やっと乗車できたバスは、なんと昨日の初日と比べ、およそ2倍の時間がかかり、目的地へ到着。

 

" Plenty of time ... plenty of time .. "

(時間はたっぷりあるから大丈夫よ)と頭の中で呪文のように唱えつつ、片道30分のところ、ついにグレイヘアーのおまじないも虚しく無に帰し、優先席譲渡の恩恵を逃しての立ちっぱなし50分。

東京の朝のラッシュ時で長年鍛えられた足元は、一層の踏ん張りを効かせていたから大丈夫。

それよりも、バスの揺れの激しさに抵抗すべく支え棒を掴む掌には、通常以上の(余計な)力が入ること夥しき。朝のラッシュの辛苦の憂いを発展的貴重な握力矯正トレーニング時間として有効利用。

(わたしはおきあがりこぼしか!)

 

実際に時間には余裕を持って家を出てきたので、授業に遅刻することない。

寧ろわたしを含め、11名のクラスメートと共に、指定教室の戸口で担当教師が現れるのをじっと辛抱強く待つことに。

 

" Lit & Film A " . . . Literatures and Films A は、昨日に引き続き、同じ教師が担当。

このクラスでは、文学及び映像文化を通し、Essay 論文の書き方を Non Academic & Academic のふた通りでみっちり学ぶ。

 

今日は早速、2〜3の映画クリップを題材に、simple ~ advanced ~ complicated の3段階中、simple / advanced をカバー。

授業は、いきなり、本題に入り、全授業中、全編、listening ~ listening。

聞き取るのはそれほど苦痛ではないが、映像技術関連専門用語はうちへ持ち帰り、復習必須。

 

早速の宿題は、

1/  " Titanic "

2/  " All I want is you " by U2

鑑賞の上、演習設問を完成せよ。

余力があれば、Film " The Truman Show " を予備知識(予習)として鑑賞のうえ、次回授業に臨むことが望ましい。

 

「映画鑑賞」が宿題?

生きることの perspectives が、根本から全面的に覆されたような感。

このような学び方もあるということを学びつつ、また、このような生き方を選択した(もう一度学生をやってみること)自分自身へ、「でかしたぞよ」!

 

 

 

 

 

 

目覚ましに起こされる直前、自然に眼が醒めた。

朝はゆっくりと余裕を持って支度したいので、普通の人が1時間必要なら、わたしはその倍の時間を要する。そのため、目覚ましはとても大切なお友達。

だが、大概はその面倒見の良いお友達の「手助け」を無駄にすることのほうが多い。

 

TAFE での、わたしの選択科目は、一律午前10時開始。

そのため、TAFE まで自宅からおよそ1時間ちょっとかかるが、いわゆる朝のラッシュアワーをやり過ごすことができ、また、逆も真なり、午後のクラスも3時で終わるので、夕方のラッシュが始まる前、家路に着くことができる。

最も、わたしはたまたま、そのようにラッキーな時間割を編成できたのだが、学生によっては、または、選択科目の取り方によっては、午前8時開始や午後9時終了のクラスもある。

 

初日オリエンテーション担当は、教師経験25年、TAFE 勤続20年の英語科教師。

通常の10〜15時の授業時間をPart 1 & Part 2 に分割、午前の部の約2時間、喋りっぱなし。

つまり、学生のわたしは Listening Comprehension の力試しに参加した感じ。

無論、Native Austratlian はごろごろいるわけで、そのように感じるわたしのような学生は、極々少数派。つまり、わたしのように「英語が第二外国語」の学生数は、ほぼ皆無。

 

前期 Semester 1 Term 1ー10週間 Term 2ー8週間。

後期 Semester 2 Term 1ー10週間 Term 2ー9週間。

合計37週間。

 

このコースで「何を学びたいか」と、コース修了後「何をしたいのか」によるが、1年という時間は、長いようで、実はそんなに長い時間ではない。

 

2025年、学生1日目。

卒なく無事終了。

 

 

 

 

 

 

TAFE からの Information mail が立て続けに着信。

初日のオリエンテーション会場が、

「あっちになった、いや、こっちです」とか、

「いくつかの講座がキャンセルになりました」とか、の事務的お知らせ。

 

午前10時から午後3時までの5時間ずっとオリエンテーション?

(いやいやそういうことではなく)午前中は、全員参加のオリエンテーション、午後は、各自選択科目の初日授業の開始となる。

 

「いくつかの講座キャンセル」とは、おそらく、定員数を遥か満たなかった、もしくは「皆無」のためと思われる。

わたしの選択科目は、一般文系科目なので、影響なし。

 

別なメールでは、Virtual Orientation 参加への案内。

うっかりして、メール内容を熟読しなかったため、Live 配信を逃したが、登録すれば、後からいつでも視聴可能とあったので、一応申し込んでおいた。折り返しリンク受信。

内容は、すでに別ルートで確認済みだったので、「飛ばし読み視聴」。

 

いやでもうきうきさせてくれるいまこのときの準備段階。

こんな感じでずっといけると良いのですけれど。

いえいえ、この先一年の間には、きっと辛い試練の時も待ち構えていることでしょう。

レポート締切に間に合いそうもなくて、頭を掻きむしってみたりとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

断捨離中、過去の英語関係の紙類の中で、最初に英語を使ってアルバイトしていた会社での「営業資料」問題集(解答付き)を発見。 

わたしが直に問題集作成に携わったわけではないが、どうやら模範解答作成には関わった模様。

確かな記憶の自信はないけど。

 

ポイとゴミ箱に放り込んでしまえばそれまでだが、「使い捨て演習用」としては上等だ。

語彙力、及び、中文(長文ではないの意)読解力確認に打ってつけ。

鼻歌まじりで始めたは良いが、どっこい、どうして、なかなか。

 

社会人初級者レベル用ながら、日本人(年下の先輩/同僚)の作成した演習問題のややこしいこと。

はっきり言えば、回りくどい演題設定を、まず理解しなくてはならないこと。

これが、存外に面倒で、引っ掛け問題では、まず見事に引っ掛かった。

vocabulary に関してなぞは、この先も、二度と絶対眼にしないであろうような、そんな非実用的、やたら spelling の長い、どうでもいい形容詞やら副詞やらが、「テクマクマヤコン・呪文なみレベル」で列挙。

何か、特別な趣味でもあり、それに関連した語彙ならいざ知らず、初級レベルで何ゆえに、こんな単語を知る必要があるのか、問題製作者の遊び心を問う前に、実用性を欠いた無知を疑といった方が良いとすら思えた。

 

いづれにせよ、40年以上も前の「そういうもの」を後生大事に持っていた「わたし」こそが、呆れてものも言えない。

でも、ちょっと自分でも驚いたけど「転んでもただでは起きない、ぞ」精神発揮。

たとえ、ゴミだとしても、簡単には捨てません。

再生利用の有無確認、実際に再利用、そして、破棄しました。

気持ちよ〜く、ね、ポイっ。

 

 

 

 

 

 

 

英語の学校に通うようになると、それまでの学習形態と異なったのは、教師陣が数人の日本人を除き、ほぼ全員ネイティブアメリカ人(約1名イギリス人含む)だったこと。

毎日9〜15時/週5日みっちり英語漬けだったから、ひと月も経った頃には、いやでも飛躍的に伸びたヒアリング。またそうでもなければ、授業にはついてゆけなかったというのが、現実でもあったが。

他のひとたちは、訊いて確かめた事もなかったからどうだか知らないが、わたしは、実感としてそう感じていた。

 

喋る方 Speaking は、もともと嫌いではなかったが、「声が小さい」「もっと速く喋れ」と大方の教師たち native instructors に、同じ助言をされていた。

 

「もっと速く喋れ」とは、「テンポ良く、リズム感を持って」という意味だったのだろう。

心理学的には「堂々と自信を持って話しなさい」ということだろうか。

 

「そんな急に言われても. . . 。」

「日本生まれ日本育ちで、ちょっとくらい発音が並以上にうまいくらいで、そう色々注文つけられ、期待されてもね。」

今なら屁理屈の反論も(英語で)できるけれど、当時は、言われたことはすべて間に受け、真剣にどうしたものかと悩む、真面目一方、従順な学生だった。

 

作文 Writing は、この頃になると、多少マシな文章を書けるようになっていた。

それは、つとに、Reading 読む・Listening 聴く・Speaking 話すの総合的インプットがまとまり、Writing 書く力がついてきた、と至極素直な展開(自然な上達)の結果と分析する。

これは、今日現在に至るまで、そしてこれからもずっと、同様に継続。

 

詰まる処、言語自体は、英語にせよ、何にせよ、新生児の生育過程に於ける言語習得と同じことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

断捨離最終段階で、出てくる、出てくる、過去の遺物。

そのうちの一部、中学、高校時代の英語のプリントやら、実際に受けたテスト問題を発見。

よくもまあこんなものを後生大事にとっておいたものだ。

さらに、英語関連ではないけれど、小学高学年か、中1くらいの時の、夥しい数の作文と漢字の綴り方練習なども。

(わたしって、こんなに字が上手だったの?)(お習字習ってたわけじゃないのだけれど)

とても我が自筆とは思えないほど。

また、よくそんな幼い年齢(推定9〜10歳?)で、「完成された手本のような文字」を書けていたなんて。今再現せよと言われても、到底、無理むり。

(結構すごい子供だったのね、わたし!)

 

中・高時の英語のプリント等は、捨てる前に、一応ひと通り目を通してみた。

が、意外や意外、その中でも「知らない単語」が、ところどころ虫食いのように現れるではないか。

「知らなかった」のではなくて、一度は学んだはずだが記憶していない、といった方が正解。

脳内辞書へ記憶されていなかった語彙。

再度点検、記憶装置へ、再々度脳入(納入)。

不思議なことに、今ならすっと頭に入ってくる。

 

これで、海を渡ってきた約半世紀も前の、赤茶けて、旧びた匂いのする藁半紙の数々を、惜しげなく破棄できる。赤ペン添削入りで!

 

思わず東京の(高校時代の)親友にメールした。

(こんなことあったっけ?)

わたしの学生時代の、唯一の生き証人。

(よくそんなもの持ってたね。). . . だって。

そりゃそうだわね、50年前の正真正銘、埃の被ったガリ版刷藁半紙が教える「過去のわたし」と「わたしの過去」。

 

 

 

 

 

 

今日は再度、TAFE からのお知らせメール。

新入生の心得と開講までの準備のため、ガイドブック参照のこと、とあった。

既に途中まで読みかけていたところ、断捨離のため中断を余儀なくされた。

寧ろ、開講間近の現在、読み込むことで、良くよく飲み込めるだろう。

 

また、IELTS からは、アンケート調査依頼のメール。

2024年10月25日に受験してから丁度3ヶ月。

久しぶりに味わった、試験当日の、あのなんとも言えない、良い意味での緊張感。

どきどきしながらも、一歩前進できることが確実にわかっている時、そこに迷いはない。

 

アンケートはパス。

この節、親身になってお答え申し上げようものなら、次に、どこから、どんなセールスをふっかけられることか。くわばら、くわばら。

 

(後日談)

催促メールが来た。

一度はパスしたが、考え直し、アンケートメールを開く。

大した内容でもなく、正直に回答返信しておいた。

最後の最後で、

" Would you like to share your experience with others who takes IELTS in the future ?"

" Would you like to appear in social media as a part of our promotion ?"

「コマーシャル用素人俳優のリクルート」が目的だった?!

 

 

 

(余談)

インスタで見かけた、ちょっとイケメン、シドニー在住日本人男性看護師。

IELTS 8.0。

最初のスタートは、Working Holiday だったようだけれど、その後、努力に努力を重ね、現地医療機関で現役看護師としての職を得て、現在活躍中。

医療系は、外国人でも資格+語学力さえ満たしていれば、職を得ることは比較的(容易に)可能。

しかし、医療的専門知識は当然としても、語学力は医療だけに間違いがあってはならず、その基準はかなり高めの設定。

IELTS 8.0 は、ほぼネイティブレベル。

動画を見ると話し言葉は、確かに日本人アクセントは否めないが、どうしてどうして。

なかなか流暢な実用英語を駆使。

脱帽。

若さっていいなあ。

 

 

 

 

 

 

わたしにとり、2025年1月2回目が、事務的に、Final Offer Chance 。

無論、オファーなし。

 

一般受験生にとっても、ほぼ最終ラウンドにあたる。

各学部の最終定員数確定のための調整ラウンドでもあるので、希望候補大学(学部)中、第2候補、第3候補に挙げている受験者の中でも、さらに優秀な受験生のみへのオファー期間となる。

 

わたしの場合、実力以前の問題、学力審査の指標となる「センター試験」、或いは「旧共通一次」を受けていないことが致命的であり、そのため、出願査定の対象にもならないことが、出願した後に判明したのだった。

だからこそ、いよいよ来週に開講迫る TAFE 経由で、来年度2026年の受験資格を優先的に取得できる、この pathways が、結果としては、思いもよらず、かなり順当で、理想的な展開となったといえる。税金で賄われている公的(教育)機関のため、また永住者資格のため、学費がかからないのは、何よりもありがたい。

 

この1年間は、語学としての英語の勉強ではなく、英語はあくまでも学ぶためのの道具 Tool とし、主に社会学系文学・文化・映像関連学の「さわり」を学ぶことになる。

そして、これらの科目は、即ち再来年2026年度大学出願時の入学希望学部へも直結する。

2025年は、いわば「お試し期間」といったところ。

わくわく。

どきどき。