昨夜あちらのお母さんからのメールが届いた。
最初の出会い(2016年)から毎年、律儀にクリスマスカードを送ってよこすクリスチャン系。
こちらもやはり、義理堅く一応返礼してきた。
ところが今年は、めずらしく自分のことでいろいろ忙しくしていたもので、そこまで気が回らなかった。
あちら(娘の連れあい)のお母さんが、来年、初孫の誕生に合わせて来豪するという。
ついては、娘から、
「おかあさん、spare bedroom の bed、まだ処分しないでね。」
新年からの TAFE 中心ライフスタイル準備のため、今まで長年なおざりにしてきた断捨離を、今度こそ絶好の機会、一挙に片付けようと、現在格闘中。
そしてまた、このたびは、長逗留の来客のため、という、名実共に大層立派な大義名分まで課せられたので、何がなんでも完結させねば。
一人世帯のため、使いもしない予備の部屋のベッドやらが疎ましくなってきたので、娘についこぼしたら、娘は娘で、出産前後に来豪するお義母さんの滞在先を心配していた、というのが、ことの顛末。
家具の処分などいつでもできるが、処分した後で(わざわざ短期滞在者のために)再度また揃え直すのは現実的ではない。
緻密な計画の下、公認会計士の娘は、予定日2週間前のぎりぎりまで仕事をし、一年の産休に入る予定。
だから、3月初旬の予定日に合わせ、あちらのお母さんが遥々イギリスから来てくれることは、大変ありがたいことである。
一生に一度の「生命の誕生の瞬間」を誰かと分かち合えることの素晴らしさ。
そして、「このわたし」に孫ができる、など、未だもってしてまったく実感が沸かない。
孫が生まれる時点で、学生生活をすでに始めているであろう「きらきらおばあちゃま」というのも、後々の家族のエピソードとしては、面白いかもしれない。
まだ見ぬ孫ではあるが、「彼女」にとり、きっとわたしは、一生「お気楽ばあば」でいることだろう。
そうそう、わたしは、誕生前から早くも、初孫の日本語教育係を仰せつかっている。
わたしの実子二人、娘と息子には叶わなかった「日英バイリンガルっ子」を「孫の親たち」は望んでいる。
