お勧めのパワースポット・聖地のご紹介第13回
奈良:大和発祥地の寺社と自然
お勧めのパワースポット・聖地の第13回は「奈良」です。奈良は、現在の天皇家にまで連なるヤマト王権が誕生した場所です。そして、日本の伝統的な神道や仏教が発達し、多くの聖地と自然に恵まれた土地といえます。
そこでまず、①奈良に関する文献からそのご紹介をし、そのあとに、②2017年2月13日、私たちが実際に奈良に行った時のレポートをご紹介します。
そして最後に、③奈良を含めたひかりの輪のパワースポット・聖地巡りの思想や、聖地巡りの際に行うと心身の健康に良いヨーガ歩行瞑想に関する記事をリンクしてご紹介します。
●文献からの奈良の寺社のご紹介
奈良には極めて多数の神社・仏閣がありますが、この時(2017年2月)に訪れた寺社の資料を以下に掲示します。
●東大寺
奈良市にある華厳宗の総本山。「奈良の大仏」で知られる毘慮遮那仏(びるしゃなぶつ=ヴァイローチャナ)をご本尊とする。世界文化遺産に指定されている。
聖武天皇が、幼くして亡くなった皇太子を弔うために728年に建立した寺院が起源。741年、聖武天皇は、飢饉・疫病・内乱・政変で乱れる国を仏教の力で平和にしようと考え(鎮護国家)、全国に国分寺・国分尼寺を建立する詔を発したが、東大寺はその中心となる「総国分寺」に位置付けられていった。
◎大仏殿
743年に大仏造立の詔を発した聖武天皇は、民衆の信望を集めていた僧・行基の力を借りて、国家や民衆の総力を挙げて、752年に東大寺に大仏を完成させた。この大仏こそ、世界を遍く照らすと華厳経に説かれている毘慮遮那仏である(国宝)。毘盧遮那仏は、密教でいう大日如来である。
また、天皇と民衆が力を合わせ、国家の平和を祈ったという意味で、輪と和の聖地ともいえる。
華厳経の世界観は「一即一切、一切即一」と表現される。一つのものの中に他の全てのものが影を落としている。すべてのものにはつながりがあり、しかも、お互いがお互いを支え合っているという意味である(重々無尽縁起)。一元思想を有しており、輪と和の思想の土台となる仏教思想である。
大仏を安置する大仏殿も造営されたが、その後、焼失と再建を繰り返し、現在のものは江戸時代の再建による。現在、世界最大規模の木造建築物である。
◎三月堂(法華堂)
東大寺創建時(奈良時代)の姿を残す寺内最古の建物。ご本尊である不空羂索観音(大悲の羂索〈鳥獣を捕らえる道具〉をもって一切衆生を済度するという観音)を中心に、合計16の仏が祀られている。
●春日大社
春日大社は、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願い、茨城県の鹿島神宮から建御雷神(たけみかづちのかみ)を神鹿の背にお乗せして、勧請したのがはじまりと伝わる(現在の奈良公園の鹿は、その神鹿の子孫とされている)。
建御雷神は雷の神で、よって水の神ともいえる。鹿島では、地震を抑える神、蛇・龍の神でもある。そして、大国主神に国譲りを交渉され、平和裡に治められた神でもある。
若宮には、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)という正しい知恵を授ける水の神が祀られており、この神社の背にそびえる御蓋山(みかさやま)は、古代より大切にされている神山である。
世界文化遺産の一つ。
●興福寺
唯識派の思想を継承する法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つ。
藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。
世界文化遺産の一つとして登録されている。
多くの仏像が祭られているが、特に三面六臂(手が6本)の阿修羅像(国宝)が有名である。
●法隆寺--聖徳太子ゆかりの仏教寺院(世界文化遺産)
法隆寺は、用明天皇が自らの病気平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願したその遺志を継いで、天皇の崩御後、推古天皇と聖徳太子が薬師如来を造ったのがはじまりであると伝えられています。(聖徳太子建立七大寺の一つ)
聖徳太子は605年に飛鳥から斑鳩の地に移り住み、斑鳩宮の近くに建立されたのが法隆寺(斑鳩時)でした。
もともとは、唯識思想を学ぶ法相宗の寺院でしたが、その後、聖徳太子の教えを取り入れて聖徳宗として独立しています。
聖徳宗になるまでは、日本の唯識の総本山だったお寺です。
また、法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として知られており、日本で初めて世界文化遺産に登録された世界的な仏教文化の宝庫でもあり、多数の国宝の建造物や仏像があります。
法隆寺には西院伽藍と東院伽藍のエリアがあります。
西院伽藍には五重塔と金堂、大講堂、中門、回廊などがあります。
国宝の金堂の中には、中の間、東の間、西の間があり、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来が安置されています。
五重塔は現存する世界最古の木造五重塔で、心柱の下には仏舎利が安置されています。
内部は東面・西面・南面・北面に釈迦の説話に関する塑像が配置されています。
大講堂には国宝である薬師三尊像と重要文化財の四天王像が安置されています。
また、最近建てられた大宝蔵院殿には仏像や玉虫厨子など、数々の国宝が収蔵されています。
東院伽藍は聖徳太子が住んでいた斑鳩宮があった場所で、後世に高僧である行信が建てた八角形の夢殿が有名です。中には救世観音像が安置されています。
聖徳太子は推古天皇のもとで、蘇我馬子と協調して政治を行い、仏教を厚く信仰し保護しました。遣隋使を派遣し、中国の文化・制度を学び、冠位十二階や「和をもって貴しとなす」で有名な十七条憲法を制定しました。
●中宮寺--如意輪観音の半跏思惟像がご本尊
法隆寺に隣接する、法隆寺と同じ聖徳宗(もと法相宗)のお寺です。
聖徳太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひとの)皇后の発願によって、太子がいた斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建されたといわれます。
ご本尊の国宝・菩薩半跏思惟像は、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像と並んで、飛鳥時代の彫刻の最高傑作とされています。
最初は弥勒菩薩像として作られたものの、いつのまにか如意輪観音と呼ばれるようになったともいわれています。
●大神神社(おおみわじんじゃ)・三輪山--大いなる和・「大和」の発祥の地
三輪山は、大いなる和の国、大和政権の発祥の地で、「日本最古の神社」と位置づけられているのが大神神社です。
大神神社は、円錐形の秀麗な山容・三輪山そのものをご神体としているため、本殿(御祭神をお祀りする建物)を持たず、拝殿のみを伝えています。
自然を崇拝する原初神道の形態が残され、その起源は弥生・縄文時代にまでさかのぼると考えられています。
拝殿の奥は禁足地とされる神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居が設けられています。
拝殿は鎌倉時代に創建され、現在の拝殿は徳川四代将軍家綱によって再建されています。
山中には磐座(いわくら)(神が降臨する神聖な石)があり、上から奥津磐座(おきついわくら)・中津磐座(なかついわくら)・辺津磐座(へついわくら)の3つの磐座があり、多くの祭祀遺跡が出土しています。
御祭神は、三輪山に鎮座する大物主神(おおものぬしのかみ)です。大物主神は、出雲を中心的舞台として国造りに励んだ大国主命の幸魂・奇魂(和魂=人に幸せをもたらす働きをする霊魂)とされ、縁結びの神・大国主神と同体とされます。
大神神社の古い縁起書によれば、上の奥津磐座に大物主大神、中腹の中津磐座に大己貴神、麓の辺津磐座には少彦名神が祀られているそうです。
「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古代より神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤く祀られました。
『古事記』には次のように記されています。
崇神天皇の時、疫病が流行で人民が多く死に、天皇の夢枕に大物主大神が現れ、「意富多々泥古(おおたたねこ)という人に自分を祭らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を述べた。天皇はその人物を捜し出し、大物主大神と、活玉依毘売(いくたまよりびめ)の3代目の孫である意富多々泥古命に三輪山の神を祭らせた。
そののち疫病も収まり、国は平安になりました。
この大田田根子は現在、大神神社の摂社大直禰子(おおたたねこ)神社に祭られています。
太田田根子は三輪氏の始まりといわれています。
●橘寺―聖徳太子誕生の地
この地に聖徳太子の父・用明天皇の別宮・上宮(かみつみや)が置かれていて、太子はここで誕生しました。本尊は聖徳太子と如意輪観音菩薩です。
寺伝によると、606年、太子が推古天皇のために「勝鬘(しょうまん)経」を説いているとき、庭に蓮の花が1メートルも降り積もったり、南の山に光明を放つ千の仏頭が現れたり、太子の冠から、日月星の光が輝くなど不思議な出来事が相次いだため、天皇が仏堂建立を命じたといいます。
橘寺の名前は垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来しています。
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●奈良の寺社参拝レポ:2017年7月29~30日
(※同行したスタッフのレポートです)
本日は、久しぶりに奈良にやって参りました。まずは、奈良公園から東大寺を参拝、その足で隣接する春日大社まで歩いて巡りました。
東大寺の大仏さまは、やはり素晴らしい迫力と、重厚な威厳あふれるお姿でした。そして、天然痘の撲滅を祈願して、時の帝の聖武天皇から民衆までが幾多の苦難を乗り越えて建立した思いが、今もなお残っているような慈悲の空間を感じました。
次に3月堂とも言われる「法華堂」を参拝しました。法華堂には名高い国宝の「不空羂索観音像」が収められています。その空間は、まさに荘厳そのもので、座って瞑想できる空間がありました。
法華堂の後は、横手に若草山を見ながら、春日大社まで歩きます。付近は鹿の園です!
●奈良の寺社参拝レポ:2019年5月6日
(※同行したスタッフのレポートです)
◆法隆寺--聖徳太子ゆかりの仏教寺院(世界文化遺産)
法隆寺は、用明天皇が自らの病気平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願したその遺志を継いで、天皇の崩御後、推古天皇と聖徳太子が薬師如来を造ったのがはじまりであると伝えられています。(聖徳太子建立七大寺の一つ)
もともとは、唯識思想を学ぶ法相宗の寺院でしたが、その後、聖徳太子の教えを取り入れて聖徳宗として独立しています。聖徳宗になるまでは、日本の唯識の総本山だったお寺です。
また、法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として知られており、日本で初めて世界文化遺産に登録された世界的な仏教文化の宝庫でもあります。多数の国宝の建造物や仏像があります。
◆中宮寺--如意輪観音の半跏思惟像がご本尊
法隆寺に隣接する、法隆寺と同じ聖徳宗(もと法相宗)のお寺です。
聖徳太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひとの)皇后の発願によって、太子がいた斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建されたといわれます。
ご本尊の国宝・菩薩半跏思惟像は、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像と並んで、飛鳥時代の彫刻の最高傑作とされています。最初は弥勒菩薩像として作られたものの、いつのまにか如意輪観音と呼ばれるようになったともいわれています。
◆大神神社(おおみわじんじゃ)・三輪山--大いなる和・「大和」の発祥の地
三輪山は、大いなる和の国、大和政権の発祥の地で、「日本最古の神社」と位置づけられているのが大神神社です。
大神神社は、円錐形の秀麗な山容・三輪山そのものをご神体としているため、本殿(御祭神をお祀りする建物)を持たず、拝殿のみを伝えています。自然を崇拝する原初神道の形態が残され、その起源は弥生・縄文時代にまでさかのぼると考えられています。山中には磐座(いわくら)(神が降臨する神聖な石)が至る所にあり、多くの 祭祀遺跡が出土しています。
御祭神は、三輪山に鎮座する大物主神(おおものぬしのかみ)です。大物主神は、出雲を中心的舞台として国造りに励んだ大国主命の幸魂・奇魂(和魂=人に幸せをもたらす働きをする霊魂)とされ、縁結びの神・大国主神と同体とされます。
狭井神社
弁財天社
三輪山の登山口
◆橘寺ー聖徳太子誕生の地
この地に聖徳太子の父・用明天皇の別宮・上宮(かみつみや)が置かれていて、太子はここで誕生しました。如意輪観音菩薩を祀られています。
寺伝によると、606年、太子が推古天皇のために「勝鬘(しょうまん)経」を説いているとき、庭に蓮の花が1メートルも降り積もったり、南の山に光明を放つ千の仏頭が現れたり、太子の冠から、日月星の光が輝くなど不思議な出来事が相次いだため、天皇が仏堂建立を命じたといいます。
●参考情報 ※ご参考になれば
◆ひかりの輪のHPのパワースポット・聖地巡りコーナー
ひかりの輪のパワースポット・聖地巡りに関する様々な情報が掲載されています。その思想、過去の訪問地、上祐代表の聖地巡りに関する講義などです。
◆ひかりの輪の聖地巡りの意味合い
◆ひかりの輪の聖地巡りの予定
◆聖地巡りに関する上祐代表の講義動画
◆自然の中で行うと心身の健康によいヨーガ歩行瞑想の解説
●お勧めの聖地のご紹介
これまでひかりの輪で訪れてきた多数の聖地の中から、特にお勧めするところを厳選して、ご紹介しています(ひかりの輪公式サイトへ)。
ひかりの輪で巡ってきた数多くの聖地を、美しい写真をつけてレポートした記事です(ひかりの輪副代表・水野愛子のブログへ)。