第5回:お勧めのパワースポット・聖地のご紹介:「日光」名高き寺社と山湖の自然 | 上祐史浩

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お勧めのパワースポット・聖地のご紹介:第5回
日光:名高き寺社と山湖の自然

 

 お勧めのパワースポット・聖地の第5回は「日光」です。栃木県にある、美しい山と湖からなる日光は、神が鎮まる霊峰・山岳信仰・修験道の聖地として、古代から尊ばれてきました。特に日光山開山の祖である勝道上人によって観音菩薩の聖地となりました。

 

 そして、その後、江戸時代に至って、東照大権現として神格化された徳川家康を祀る東照宮が造営されるにともない、日光は栄華を極め、比叡山・高野山に並ぶ信仰のセンターとなるとともに、「日光を見るまでは結構と言うな」という言葉で有名です。

 

 そこではまず、①日光に関する文献からそのご紹介をし、そのあとに、②2018年6月2日、私たちが実際に行ってきた日光のレポートをご紹介します。そして最後に、③日光を含めたひかりの輪のパワースポット・聖地巡りの思想や、聖地巡りの際に行うと心身の健康に良いヨーガ歩行瞑想に関する記事をリンクしてご紹介します。

 

 

 

 

文献からの日光の自然や寺社のご紹介

 

日光といえば徳川幕府ゆかりの日光東照宮が有名ですが、江戸時代のはるか以前から、美しい山と湖からなる日光は、神が鎮まる霊峰・山岳信仰・修験道の聖地として大切にされてきました。その古代からの歴史の流れの中で、神道の神・仏教の仏も祀られ、神仏習合の修験道の修行の地となり、観音の浄土とも称えられ、そして、江戸時代には徳川幕府の重要な聖地となり、現代ではユネスコの世界遺産にもなっているのです。

●日光の歴史及び二荒山(ふたらさん)神社

 江戸時代をはるかにさかのぼる古代からの聖地の一つが、日光東照宮に隣接する二荒山神社です。
 二荒山神社は、3つの山を合わせて「二荒山大神」としてお祀りしている、原初の山岳信仰を守る社です。この社の創始は、8世紀後半(766年)に日光開山の祖・勝道(しょうどう)上人がこの地に紫雲立寺(しうんりゅうじ)という寺を建て、その翌年に二荒山の神を祭る祠を建てたのが始まりと伝わっています。
 原初の山岳信仰の山とは、二荒山(2486メートル・男体山(なんたいさん)、女峰山(にょほうさん)(2464メートル)、太郎山(2368メートル)の三山で、この山々は神体山、神奈備(かんなび)と考えられ、二荒山神社などの神社では神として、輪王寺(りんのうじ)(東照宮に隣接:勝道上人が開創)などのお寺では仏として祀られています山の名前からもわかる通り、これらの神々は親子と考えられています。

 

 

その後、伝説によれば、9世紀初頭(820年)、弘法大師・空海が日光に入山して修行し、女峰山の女神である田心姫命(たごりひめのみこと)を感得してお祀りし、それが現在の滝尾(たきのお)神社(東照宮の北部に鎮座する神社)となっています。
 また、天台宗の高僧・円仁が訪れ、輪王寺の伽藍が整備されるとともに、鎌倉時代には将軍・源頼朝の寄進などが行われ、日光は関東の一大霊場として栄えていきました。
 なお、日光で祀られている、大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)は、「因幡の白兎」のケガを癒し、病気平癒と関係する温泉を各地で開いたとされる神様ですが、さらには、第10代・崇神天皇の時代の疫病を終息させたといわれる神様でもあり(奈良県・大神(おおみわ)神社の祭祀につながる)、新型コロナウイルス問題などの感染症が問題になってきた時節柄、参拝するのは意義深いことといえます。

●「日光」の名の由来

 日光の名は、中禅寺湖畔にそびえる二荒山(ふたらさん)(男体山)に由来があります。
 勝道上人は、男体山登拝を成し遂げ、日光を開山しました。そして、男体山の地にて観音菩薩を感得しました。そこで、インドの仏典では観音菩薩の聖地はポータラカと記され、漢訳仏典では補陀落(ふだらく)と音写されることから、男体山に二荒(ふたあら)山と名付け、宮を立て、神仏習合の霊場として栄えることになりました。
その「二荒」山が、弘法大師・空海によって二荒(にこう)と音読みされ、日光(にっこう)という漢字が当てられるようになったといいます。

●日光東照宮

 日光東照宮は、江戸幕府を開いた初代将軍・徳川家康(1543-1616)をご祭神としています。
 家康は、自らの遺言に従ってこの地に葬られ、その後、現在にまで伝わる華麗な社殿が造営されていきました。
 家康に仕えた天台宗の高僧・天海(てんかい)の説(山王一実神道)に基づき、家康は、本地仏(本体である仏)を薬師如来とし、神号を東照大権現とする神として、神仏習合の形態で祭られています。

 それまでの戦乱の世を鎮め、世界史上類例のない長期にわたる泰平の江戸時代を築いた家康は、平和をもたらした神として位置付けられています。戦争や内乱を鎮めて社会の安定を実現するといわれる薬師如来が家康の本地仏とされている理由はそこにあります。
 東照宮内に彫られた数々の生き物――例えば眠り猫や、猿、獏(ばく)等は、いずれも平和を象徴しています。
2017年に「平成の大修理」によって約40年ぶりの修理が終わった陽明門をはじめとする建築物や彫刻の多くは、一段と輝きを増して光彩を放っています。

 上記の通り、家康は、約260年の「太平の世」を築いたので薬師如来の化身とされますが、薬師如来は、疫病のみならず、飢饉(貧困)や戦争などの国家的災難をも救うとされています。
 ですから、今こそ新型コロナウイルスの健康問題に限らず、現在悪化している世界規模の景気後退・失業自殺・人種差別と暴動・各国間の緊張対立=戦争の恐れといった国内外の諸問題の解消を祈願したいところです。

【日光東照宮とひかりの輪との不思議な縁】

 上記の通り家康は遺言を残しましたが、それは、遺骸は久能山(現在、久能山東照宮となっています)に納め、葬礼は増上寺に申しつけ、位牌を三河の大樹寺に立て、1周忌も過ぎた頃、日光山に小さな堂を建てて勧請せよ、関東八州の鎮守になろう、というものでした。

 

「日光の地に自分を神として祭れ、そして私は平和の守り神となろう」という趣旨の家康の遺言は、天の中心である北極星を背景にして、真南にある江戸を守護するために、江戸の真北にある日光の地をあえて選んだと考えられています。つまり、以下のような位置関係となっています。

  〔北〕北極星(天の中心)
       ↓
     日光東照宮(神とされた家康)
       ↓
  〔南〕 江戸(現在の東京)

 上記の通り、家康は北極星を背後にして日光から真南に位置する江戸を守る意思を示したといわれますが、興味深いことに、日光を象徴する豪華絢爛な陽明門と、その背後にある拝殿・本殿から、ちょうど真南に約120キロ南下した場所にあるのは、ひかりの輪本部が入居するマンション・GSハイム烏山(東京都世田谷区南烏山6-30-19)です。

 具体的には、東経139度35分56秒の線上に、北から日光東照宮の本殿、拝殿、陽明門、そしてGSハイム烏山が、寸分の狂いもなく一直線に並んでいます。ひかりの輪本部内の上祐代表の部屋は、家康の墓所である「奥の院」の真南に位置しています。

 このように、家康が守護を意識した東照宮の真南に、ひかりの輪本部が存在するという不思議な縁があります。

【参考資料:徳川家康 遺訓】

 人の一生は重荷を負(おひ)て遠き道をゆくが如し
 いそぐべからず
 不自由を常とおもへば不足なし
 こころに望(のぞみ)おこらば困窮したる時を思い出(いだ)すべし
 堪忍(かんにん)は無事長久の基(もとゐ)
 いかりは敵とおもへ
 勝事(かつこと)ばかり知(しり)てまくる事をしらざれば害(がい)其(その)身(み)にいたる
 おのれを責(せめ)て人をせむるな
 及ばざるは過(すぎ)たるよりまされり

【参考資料:天海大僧正が説いた長寿の秘訣】

「長命は、粗食、正直、日湯(毎日風呂に入ること)、陀羅尼(お経)、時折、ご下風(屁)あそばさるべし」
「気は長く、務めはかたく、色薄く、食細くして、心広かれ」

●二荒山神社

 二荒山神社の解説については、最上部の記載をご覧ください。

●常行堂

 慈覚大師・円仁が、843年に、比叡山の二堂(常行三昧堂と法華三昧堂)にならって建立したことに始まります。五智五宝冠の阿弥陀如来を本尊として、後堂に摩(ま)多羅(たら)神をお祀りする常行三昧の道場です。
 常行三昧とは、「90日を一期として、阿弥陀仏像のまわりを歩き回りながら口に念仏を唱え、心に阿弥陀仏を念ずるもので、昼夜続けるので〈常行〉の称があり、この三昧が成就すると諸仏をまのあたり観ずることができるので〈仏立三昧〉ともいう」(『岩波仏教辞典』より)というものです。

●三仏堂

 三仏堂がある輪王寺は、奈良時代に勝道上人によって開創されたと伝わります。
 後に、天台宗の高僧、慈覚大師・円仁が来訪し、三仏堂や常行堂などの伽藍を建立しました。一時衰退したものの、東照宮を造営した天海(てんかい)が住職となってからは復興していき、天台宗の寺院として隆盛を極めました。三仏堂の内陣には、日光三社権現の本地仏である千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音が祭られています(詳細は前記の表をご覧ください)。

●中禅寺湖

 中禅寺湖は、海抜高度1269mという日本屈指の高さにある湖です。周囲約25km、最大水深163mで、およそ2万年前に男体山の噴火による溶岩で渓谷がせき止められ、原形ができたとされています。

●千手ヶ浜・千手堂

 中禅寺湖の西の端にある、南北2kmにわたる美しい浜が、千手ヶ浜です。
 勝道上人がこの近辺で千手観音を感得したといわれ、最近まで784年に上人が建立したとされる千手観音堂跡地を残すのみとなっていました。しかし、開山1250年を記念して、2017年7月12日、輪王寺により、50年ぶりに「千手堂」が再建されました。お堂には、千手観音菩薩がお祀りされています。
 日光は勝道上人が観音菩薩を感得したことから「観音の浄土」といわれるようになっていったという意味では、観音浄土としての日光の発祥の地ともいえるでしょう。

●中禅寺

 日光の開祖・勝道上人が、男体山山頂をきわめた後、中禅寺を建立し、修行の場としたのが寺の創始とされます。
 ここには、勝道上人が湖で感得した、湖の中から出現した金色の千手観音の姿を彫ったと伝わる立木観音が祀られています(千手観音は男体山の本地仏。神道では大国主命)。
この立木観音は、創建当時は二荒山神社中宮祠近辺にあった中禅寺に祀られていたのですが、明治の大津波で中禅寺湖に沈んでしまい絶望的となりました。しかし立木観音は、奇跡的に現在の地に浮き上がったので、この地が観音さまのいらっしゃりたい場所だろうということで中禅寺とともに現在の地に移されることとなりました。「立木観音」の名は、根がついたままの立木の状態で彫られたことに由来しています。

●二荒山神社 中宮祠(ちゅうぐうし)

 二荒山神社中宮祠は、二荒山(男体山)の中腹1200m、中禅寺湖畔に鎮座する社で、男体山の山頂にある二荒山神社奥宮と、日光市街にある二荒山神社本社の中間にあるので中宮祠と呼ばれています。山頂を極めた勝道上人がここに社殿を建てたのが始まりです。
 この中宮祠には、男体山への登山道の入口があり、山岳信仰、神道、仏教、修験道と、多様な宗教が融合しています。開山の夏の季節には、全国からの数万の登拝者で賑わいます。
 

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日光訪問参拝レポート:
2018年6月2日(※同行したスタッフのレポートです)

 

 

 今日2018年6月2日は久しぶりに日光を訪れました。美しい山と澄んだ湖をたたえる日光は、古代より神が鎮まる信仰の聖地として大切にされ、観音の浄土としても篤い信仰に支えられてきました。
 
 
 

有名な日光東照宮は、江戸幕府を開いた初代将軍・徳川家康をご祭神とし、家光の手により豪華絢爛な社殿が造営されました。

 

 

 

 

世界史上類のない長期泰平の世だった江戸時代

東照宮に彫られた数々の生き物、眠り猫や、猿、獏(ばく)等は、いずれも平和を象徴しています。
 

 

獏と象
 
 
  三猿:(悪いものは)見ざる、言わざる、聞かざるの教え
 
         
    眠り猫:警戒心の強い猫が眠るのは平和の象徴
 
 
40年ぶりの大修繕が終わった陽明門などは一段と豪華で息をのむような美しさでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
奥の院には家康のお墓があります。落ち着いた厳かなたたずまい。
日光東照宮の最も聖なる空間として大切にされてきました。
 
 
 
日光東照宮に隣接する日光山の仏教信仰のセンターである輪王寺を参拝。阿弥陀如来や観音菩薩がご本尊、本日は修復工事中でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
次に、江戸時代に家康を祀る東照宮が造営される前まで日光山参詣の中心であった滝尾神社を参拝しました。
 
弘法大師空海がこの地で修行し田心姫命(たごりひめのみこと)を感得されたという場所で、「日光の聖地」と呼ばれ称えられてきたところです。
 
 
 
 
 
 
ご神木 三本杉
 
 
空海が修行されたという清々しく素晴らしい場所です。
精気があふれているようで、体が軽くすっきりしてきました。
「こんな場所知らなかった。」
「この雰囲気がすごくいいですね。」
という声多し。
 
 
 
 
 
そして、本日最後の訪問地は中禅寺湖の千手が浜湖の西にある美しい浜です。非常に美しい自然の地である同時に、日光山開山の祖である勝道上人が千手観音菩薩を感得したと言われる最大の聖地でもあります
 
 
 
 
 
 
勝道上人がこの近辺で千手観音を感得したといわれ、以前は近くに上人が建立した千手観音堂の跡が残っていましたが、2016年11月に立派な千手堂が再建されました(下の写真)。
 
 
 
 
 
 
 こちらには日光輪王寺の千手観音像が収められています。そのお写真です。
 
 

 

日光は、この地において勝道上人が観音菩薩を感得したことから観音の浄土といわれるようになったそうです。 

 

この美しき聖地で、皆でしばし瞑想を行いました。静かで落ち着く素晴らしいところで、日光に来たら、ここに行きたいという人は多いです。

 

 

 

   
また、この千手が浜までの散策路には、クリンソウが咲き乱れ、浄土のような美しさです。なかなかこのような場所はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、この千手ヶ浜に来た時には、毎回必ず立ち寄るのが「仙人庵」。そこで、この地を管理者のIさんのお話をお聞きしながら、温かいコーヒーをいただきました。身に染みる美味しさでした。ありがとうございました。
 
 
 
 
 
その後、最終のバスで赤沼に戻り、今日は、奥日光の湯元温泉に一泊。皆さま、お疲れさまでした。 

 

 

◎以上でご紹介した場所は、以下の記事でもご紹介していますので、あわせてご覧ください。
 

・10月2日観音霊場:日光の聖地と自然を巡る(2022年)

 

 

●参考情報 ※ご参考になれば

 

ひかりの輪のHPのパワースポット・聖地巡りコーナー

 ひかりの輪のパワースポット・聖地巡りに関する様々な情報が掲載されています。その思想、過去の訪問地、上祐代表の聖地巡りに関する講義などです。

 

 

 

ひかりの輪の聖地巡りの意味合い

 

 


ひかりの輪の聖地巡りの予定

 

 


聖地巡りに関する上祐代表の講義動画

 

 

自然の中で行うと心身の健康によいヨーガ歩行瞑想の解説

 

 

 

●お勧めの聖地のご紹介

 

■お勧めの聖地のご紹介

 これまでひかりの輪で訪れてきた多数の聖地の中から、特にお勧めするところを厳選して、ご紹介しています(ひかりの輪公式サイトへ)。

 

■聖地巡りレポート

 ひかりの輪で巡ってきた数多くの聖地を、美しい写真をつけてレポートした記事です(ひかりの輪副代表・水野愛子のブログへ)。