世界連邦への道 ギリシャと五輪と平和への道 | 上祐史浩

上祐史浩

オフィシャルブログ ―― 21世紀の思想の創造

           世界連邦への21世紀
         ギリシャと五輪と平和への道

 
前から気になっていたフランスを代表する知識人であるジャック・アタリ氏が、読売新聞のインタビューに答えていた。彼は、ギリシャ危機を抱えるEU連合は、未来の世界連邦の先駆的な試みととらえている。
 

 というのは、今後、世界の経済市場は一つになるのに対して、政府は一つにならないために、不正な経済・格差・失業が増大し、(各国レベルの)民主主義・法治が失敗し、国家間の紛争や、国家と非国家集団の紛争があるだろうというのだ。
 
 しかし、大きな変化には大きな試練が必要であるにしても、経済的な混乱はまだしても、大規模な紛争は起こらないでほしいと思う。そのために、何ができるか、個々人が考えるべきかと思う。
 
 これは、エゴによる失敗・痛みを経験し、反省して進歩するという人間の歴史そのものだ。同時に釈迦牟尼が悟りに至る前に、(欲望・悪行で)苦しんだ結果、正法を受け入れるとしたことにも通じる思想だ。

 そこで、ひかりの輪としては、自分と他人、異なる民族・国家も、実際には繋がっているという意味を持つ輪の思想を提唱した。
  
 ドイツがギリシャの現在の経済問題は、その歴代の政権に責任があるとして救済を拒んでいるが、そのドイツは第二次大戦後に借金を事実上なしにしてもらって速やかに復興できた事実があり、その失敗はナチスを含めた正に歴代の政権の問題だったことを忘れていると言うのだ。

 現在の他人の失敗が、過去の自分の失敗に通じて、自分の過去の投影の場合が少なくない。現在の他人と過去の自分が繋がっているのである。

 
 私は、オウムの信仰を脱却する過程で、オウム真理教の思想と体制が、大日本帝国やナチスの思想と体制と似ていると感じて、オウムが善で日本社会が悪なのではなく、日本社会の過去の投影だと考えるようになったと、著作に書いた。

 
 自と輪のつながり、自と他の輪

 
 輪と言えば、まもなく、五輪(オリンピック)で、日本は、世界中の人々を迎えることになる。その際に、世界が一つの輪になるかもしれない21世紀の人類社会に先がけて、何かを示すことがができればいいのだが。

  
 五輪は、戦争をスポーツ競技に変えた祭典であり、正に平和の象徴だ。そして、よく考えれば、今、EUと調和か分裂かを問われているギリシャから、オリンピックは発祥した。

 
 その意味でも、EU経済を支えてきたドイツが言うとおり、ギリシャに問題があるのも分かるが、世界の未来のために、今後、双方が歩み寄ることができることを信じたい(ドイツの指導者も落としどころは持っているのだろうが)。

 
 そして、外国の話はおいといて、我が国に関して言えば、輪の世界観に基づく、調和の思想こそ、日本の根本精神とも言うべき聖徳太子の「和の思想」である(17条憲法)。

 
 輪と和は、語源は同じ「ワ」。自分のことを私・我、倭人・倭国と言い、縄文の輪状の集落など(環状集落・環状列石など)のように、太古から、この列島に住む人々にとって、ワは、重要な言葉だった。

 
 この伝統の精神に基づいて、世界の輪と和の実現を目指したい。