心の解放・悟りの哲学 第6回 今ここの悟り、今に生きて今を味わう | 上祐史浩

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         心の解放・悟りの哲学 第6回
       今ここの悟り:今に生きて今を味わう
 
 
 禅などで、「今ここの悟り」という概念があると聞いたことがあります。これについて今日はお話したいと思います。

 まず、私たちは、本当に今に生きているのでしょうか。もちろん、今を生きていますが、「今を十分に味わって生きているか」というと、どうかなと思います。

 今ではなくて、過去の後悔・恨み、未来の不安・恐怖などで、心を絶えず支配されながら、生きているかもしれません。

 これは当たり前のことですが、しかし、それが酷くなれば、ストレスに苦しみ、果ては心を病みます。

 さらに、実際に存在するのは今現在の一瞬・一瞬です。未来や過去は、いつの時も、人間の頭の中にしか存在しません。

 その意味では、唯一の真実・唯一の実在・唯一のリアリティであるのが、今という瞬間です。

 それを十分に味合うことなく、絶えず未来や過去の事を考えながら、一生終わってしまうというのは、もったいないことではないでしょうか。
 
 
 では、今この瞬間に生きることは何か、そして、どうすればよいか。

 まず、それは、今現在の万物を何かしらの意味で受け入れる必要があると思います。

 例えば、今の苦しみ・不満の対象に対しても、その裏側に恩恵があると考えることです。苦しみ・不満は、そのままだと、それが解消される未来にばかり心が奪われ、未来の期待と不安が心を覆います。

 しかし、仏教思想が説くように、苦しみの裏には喜びがあると気づけば、今に意識をとどめることができます。

 色々な考え方が可能ですが、「苦労は買ってでもしろ」と言うように、苦しみは人の智恵を鍛えると共に、「苦しみを経験した分だけ人にやさしくなれる」と言うように、人の成熟をもたらすものだと思います。

 また、「塞翁が馬」と言いますが、長期的な視点でよく考えるならば、苦しみが、喜びをもたらすパターンは、良くあることに気づきます。

 こうして、今の喜びに加えて、苦しみにも前向きに対応できるならば、その果てには、今の総てを味わうことができる境地があると思います。
 
 
 次に、逆の方向から考えてみたいと思います。つまり、過去の後悔・怒りや、未来の不安や恐怖をなくして、今現在に意識をとどめるには、どうしたらいいでしょうか。

 それは、反省と改善努力ではないかと思います。

 ずっと後悔が続く場合は、過去の失敗を悔やんではいますが、反省・改善はあまりしていない面があると思います。

 反省と改善がなければ、自分自身でも、もう一度同じ失敗を繰り返すのではという不安も生じ、それが後悔を持続させる可能性があります。

 また、自己愛が強すぎれば、自分が失敗したこと自体を受け入れられずに後悔が続く場合があります。しかし、反省と改善の精神は、失敗は成功の元という考え方であって、自己愛が弱い状態ですね。
 
 
 次に、未来の不安・恐怖についてですが、これも、適切な努力をしていない場合に大きくなると思います。

 現在なすべきことに集中している人は、その結果の未来がどうなろうと、悔いは残らないという意味で、あまり不安が生じないと思います。

 また、仮に未来に失敗したとしても、その失敗を成功の元と考えて、さらに努力を続ける覚悟があるならば、不安も和らぐと思います。これは、人生の終わりまで、反省と改善を繰り返して行こうという覚悟ですね。

 そして、この反省と改善の努力は、感謝とも結びつきます。

 先ほど、苦しみの裏には喜びがあると考え、苦しみを喜びに変える努力をすることをお話しました。それは最終的に、苦しみにさえ感謝できる状態をもたらすことになります。

 こうして、苦しみを喜びに変える努力は、感謝の心の広がりとセットになっているのです。


 そして、感謝・努力によって、人は、過去や未来ではなく、今現在の総てを前向に受け止め、味わうことができるのだと思います。

 これを実践することは難しく思えますが、それにふさわしい果報があることは間違いないと思います。未来・過去・現在のさまざまな苦しみから、私たちの心を解放してれるのです。

 これが「今ここの悟り」の境地であり、言い換えれば、万物への感謝・愛だと思います。