心の解放と悟りの哲学 第5回 苦しみを和らげる基本的な考え方 | 上祐史浩

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               心の解放・悟りの哲学 第5回

           苦しみを和らげる基本的な考え方
  

 今回は、苦しみを和らげる原則についてのお話をしたいと思います。
 
 これまでも、不安、卑屈・コンプレックス、孤独感・寂しさ、怒り・妬み、後悔、挫折・失敗、病気、経済問題などといった苦しみに関して、個別にそれを和らげる智恵に関してのお話をしてきました。
 
 今回は、そうした個別のお話ではなく、さまざまな苦しみ全般に当てはまる一般的なお話です。ある意味では、苦しみを和らげる基本原則ということができるでしょうか。
 
 そして、例によって、このシリーズでは、逃げられない苦しみに対して、精神的な面から、どう対処するかのお話になります。
 
 自分の置かれている境遇・環境・身体等の条件で苦しんでいても、それを変えて、なくすことが出来るならば、問題はないでしょう。しかし、本当の苦しみとは、そうした条件が、変えようにも変えられず、なくそうにも、なくせない場合に生じるものだと思います。

 例えば、嫌な人がいても、逃げられれば苦しみは消えますが、それが家族・親族であったり、学校・会社の人であれば、容易には逃げられません。
 
 そこで、こうした逃れられない苦しみに対して、どのような心の持ち方をすれば、それを和らげることが出来るかについてお話をしたいと思います。
 
 
 まず、仏教哲学が説く、基本的な苦しみの解消法は、「執着・とらわれを和らげる」ことです。総ての苦しみが、何らかの執着・とらわれによって生じているということです。
 
 例えば、不安は、欲張りすぎると大きくなります。あれが欲しい、これが欲しいと、私たちは、健やかに文化的な生活をする以上のことを求めると思います。

 しかし、そのために、得れなかったらどうしよう、これがなくなったらどうしよう、奪い合いになり憎まれるのでは、などと不安が生じます。
 
 もちろん、こうした不安は、何かを得ようとしたら付き物であり、進歩改善や必要な防衛行為となり、必ずしも悪いものではありませんが、それが強くなりすぎて。自分を押しつぶしてしまえば、逆効果ですし、それどころではないでしょう。
 
 また、人間関係に関する苦しみで言えば、他人に期待しすぎると、期待が裏切られて、苦しみは大きくなると思います。自分は、これを相手に期待するのは当 前と思っていても、実際には満たされることがなく、怒りや憎しみがわく。これは、家族や親しい人たちに対して起こりやすいと思います。
 
 もちろん、親が子供に、良い意味で期待し、子供を成長に導くということがあると思います。しかし、これも強すぎれば、逆効果で相手をつぶしかねませんね。よって、この期待も、場合によっては、一種の執着・とらわれになると思います。
 
 こうした時は、この強すぎる執着・とらわれを多少緩めることで、苦しみが和らぐことが多いと思います。腹八分目に医者要らずは、心の問題にも当てはまる ということでしょうか。「急いては事を仕損じる」、「勝つと思うな思えば負けよ」といったことばも同じ事を言っていると思います。
 
 なお、執着・とらわれを弱めようとしても、なかなかうまくいかない場合もあると思います。その背景には、求めているから得られるのであって、弱めれば大きな損失になるのではという不安・恐怖があるかもしrません。
 
 そうした時は、「とらわれ(過ぎ)ない方が(逆に)うまくいく」などと自分に言い聞かせると良いと思います。とらわれ過ぎて、うまくいかない不安・恐怖 や怒りなどが強くなりすぎれば、明らかに逆効果ですから。

 他にも、方法がありますが、それは、ケースバイケースの面があり、今回の趣旨ではないので、省略 することにします。

 
 次に、「苦しみを過大視しない」ということがあると思います。
 
 例えば、苦しみを感じている時に、それがあたかも永久に続くかのように錯覚する場合があります。しかし、多くの苦しみは、時と共に変化し、和らいでいく ものだと思います。

 例えば、失恋の激痛も、数ヶ月のうちには、和らいでいきましょね。仏教が説く、苦しみの無常性です。
 
 今まで同じタイプの苦しみを繰り返し感じてきた場合には、よく考えれば、そのたびに、時と共に和らぎ消えていったことを思い出すことが出来る場合もよっくあると思います。
 
 そうであれば、これまでの経験を活かして、「この苦しみも、これまでと同じように、そのうち消えていく」と考えられれば(思い出すことが出来れば)、その分和らぐと思います。
 
 
 また、この応用ですが、自分では長く続くと思っている苦しみが、客観的にみれば、一日一日、毎日生じては消えるものである場合も少なくないと思います。
 
 例えば、長年背負わなければならない労苦も、24時間・365日続くのではなく、一日一日、その日の夜には、いったんは休むことが出来るものだと考えるのです。ある禅の高僧も、長年続く苦しみと思うのも、一日一日に区切って考えれば、耐え易くなると語っています。
 
 この逆に、仏教には、最も恐ろしい地獄として、無間地獄というものがありますが、これは、間断なく苦しみが続く地獄という意味があります。私は、この地 獄は、実際に存在するものというよりも、苦しみが間断なく続くと思い込む人の心の中にこそ、存在しているものだと思います。
 
 
 最後に、「苦しみの裏に喜びもある」と考えることだと思います。

 どんな物事にも裏表があって、苦と楽もセットであるという思想があります(仏教で苦楽表裏と言う)。これを踏まえて、苦しい時に、その裏側にある、何かの利益を意識することです。
 
 例えば、批判などの苦しみは、自分を鍛えて成長させる面があります。自己改善・成長に結びつけることができれば、将来の賞賛に繋がります。その意味で、 全く批判されないことは逆に恐ろしいことで、成長のチャンスが乏しくなったり、すでに見捨てられているのかもしれません。
 
 また、苦しんだ分だけ人に易しくなることができるとも言います。苦しみなく育つと、自分の体験からは、他の苦しみを理解することは難しいと思います。

 こうして、苦しみは、それによって、人格が屈折しなければ、優しさ・慈悲の源になるとも言うことができると思います。

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