心の安定のための人生哲学 第18回 怒りを超えるには② 原因を考える | 上祐史浩

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               心の安定のための人生哲学:第18回

         怒りを超えるには② 原因を考える

 
 さて、怒りを超えるシリーズの第2回です。

 私たちが、誰にかに対して怒る際には、「なぜこいつ、こんなことをするのか」と言う時が多いと思います。

 しかし、その言葉こそが、まさに、私たちの怒りの原因です。そして、怒りを解消するヒントでもあると思います。

 つまり、怒りが生じる場合とは、その対象が、なぜそうしたおかしな行為をしたのかを理解していないのです。逆に言えば、理解できれば、怒りは弱まっていきます。

 だから、「自分は、怒るばかりで、なぜ、彼(彼女)が、そうするに至ったのかは、考えてみたことがない」ということを自覚することは有益だと思います。


 落ち着いて考えれば、人には、それぞれの生まれつきの資質、そして、生い立ちの環境があります。しかし、それは、その人には選べません。

 そこで、人の人格形成は、本人に責任があるのか、と問われれば、どうでしょうか。「その人の今」は、「その人」だけが作っているのか。もしそうならば、どの程度作っているのか、ということです。

 例えば、心理学の学説の一部には、「三つ子の魂百まで」と言われるように、3歳までに、その人の精神の最も基本的な基盤ができ、10歳ごろまでに自我意識の基盤ができるなどとされます。
 
 だとすれば、本人が、自分の人格・性格の基本的な部分に関しては出来ることは、非常に少ないということになります。

 とはいえ、親にどのくらい責任があるかと言えば、良く考えれば、これもまた難しいでしょう。親は、自分たちのDNAが結合した結果、どんな子供が生まれてくるかわかりません。

 生まれつきの資質に加え、親・親族・教師等が、どのように育てるかは重要だと思います。しかし、どう育てたらよいかに関する、完璧な理論はありません。また、親や教師も不完全な人間です。そして、経済的・物理的な制約もあります。育て方をよくしようとしても、限界もあります。

 こうして、人が人を生み育てて、人類社会が続いていく上で、どんな人が生まれ、どのようなことをするかは、全く予期・計画できません。ある意味では、人類が、種を存続させるために、集団で「ばくち」をしているようなものかもしれません。結果として、これまでに、膨大な良いこと、悪いことが行われてきました。


 さて、こうした視点から、自分の怒りの対象が、どのように生まれて、どのように育ち、自分が怒るようなことをするようになったのか、について考えてみるとどうでしょうか。

 落ち着いて考えれば、「もしかすると、彼(彼女)の問題行動には、こうした原因・背景があるのではないか」と思うことが、見つかるかもしれません。すると怒りが、静まると思います。

 いや、何か具体的な原因・背景が見つからなくてもいいと思います。生い立ち・育ちなどを考えるだけでも、落ち着いてくるのではないでしょうか。その人だけが、その人の今を作っているわけではないからです。

 賢明な皆さんはすでにお分かりだと思いますが、科学的に分析すれば、「本人」が作っている「本人の今」の部分は、本人の生まれつきや、取り巻く他者などの環境要因などに比較すれば、相当に少ないと思います。

 というよりも、より厳密い言えば、本人と、本人の親・友人知人・環境・社会といったものが、実は、区別できないという事実に気づくのではないでしょうか。

 こうした気づきは、怒りを鎮め、愛を深めることになると思います。