まだまだプラスのエネルギーが足りない。まだまだプラス思考になれると気が付いたこと | 森の調査室

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自分を客観視するためのツールとして活用。

HSS型かHSEか知るためにも、過去と向き合う予定でしたが、過去に飛んでいる時間がないため、現在の事を記録しています。


※自由に書いています

ちょっとの痛みにも敏感で苦痛を感じる。いつの間にか、劣化していく身体を嫌に感じるようになっていた。

歯のこともそう。身体の痛めている部位についてもそう。いつの間にか、この身体での人生を終わらせたいと感じていた。

だから、生きること事態が苦痛になっていた。

でも、昨日、それに気がついた。

劣化していく身体。周りの病気の話しとか聞いていても、劣化していく身体のことが気になった。


そんなことを考えていた中、先日の爪を怪我したうさぎのことを思い出した。

爪が抜けて流血。そのあと、いつも通りだったので医者に行かずに済んだ。次の日の朝には、また元気に走り回っていたとのこと。

私は、私のせいだったのではないかなどと数日引きずった。うさぎは、爪の痛みも気にせず走り回る。タフなこでよかった。うさぎの件は、学びだったんだなと思った。私のメンタルの。

医者に行くか行かないかも迷った。でも、今の経済状況で、宇宙はそういうことはしないだろうと、宇宙を信頼した。

爪で思い出したが、先月、私も指を痛めた。左手の親指。

今、だいぶ良くなってきて、爪の割れた部分も気にならなくなったが、しばらく痛くて、気を付けながら指を使っていた。

気持ちも、やってしまってすぐに頭に浮かんだのは、“何か悪いことしたかな”とか気になってしまったり、“悪いことが起こるんじゃないか”とか、そのあと、“この程度ですんで良かった”とか切り替えることが出来た。痛みがあると嫌な方に考えが向いてしまう。

“この事はきっと良いことに変わる”とは、頭に浮かぶものの、まだまだ弱いし、起きたことが落ち着いてすぐ後には浮かばない。

それだけ、痛みが気になってしまう。“痛み=悪いこと”になっているんだと思う。それを思うと、上級者のやることだなと思った。“痛み=この事はきっと良いことに変わる”には、すぐにはならない。

できたとしても、“この程度ですんで良かった”だ。


身体を痛めたら生きていくの辛いなと考えていたら、星野富弘さんを思い出した。首からしたの運動機能を失い、口で絵を描くなんて、こんな前向きな生き方、今の私にはできない。

すごいと思う。

他にも、痛みや病気と向き合って前向きに生きている人はたくさんいる。

私は、前向きに生きるために、日々練習をしているんだ。昔に比べれば、かなりできるようになった。でも、まだまだ弱い。前向きな生き方の方が、弱い。だから、時々負ける。弱い自分に。割合は増えているが、ふとした拍子に負けてしまう。でももっと強化できると思う。

なぜなら、日に日に成長しているのは感じているからだ。うまく行っていて、順調なんだと感じる。



先週、痛めているところを悪化させてしまい、痛みが出ている。だから、余計に痛みや悪化させることに敏感になっている。ちょっと作業をしただけで、悪化してしまう。だから、“こんな身体と生きていくのは嫌だ”となってしまったのだ。

他にもある。“こんな身体と生きていくのは嫌だ。この身体で生きることを終わりにしたい”は何回か頭に浮かぶ。


でも、この身体で生きていけるんだ。きっと、ちゃんと生きられる。自分なりの方法で、これ以上痛みを増やすこと無く。自分の体に合った仕事にも出会える。

自分のためにも、痛みを増やすことをしないようにして、前向きに生きていこう。例え、痛みを感じることがあっても、その時は宇宙を信頼して生きていこう。

そして、“痛み”は何かを教えてくれていると言うことを忘れずに、向き合っていこうと思う。痛みは、無駄な事ではない。何か教えるために痛みとなって“SOS”を出しているのだと。



プラスのエネルギーで満たせていると思ったが、痛みに負けてしまうとは、まだまだだなと思った。まだまだ、プラスのエネルギーが入るスペースがあるみたいだ。


何よりも、マイナスの出来事が起きたときの思考クセを矯正しないとな。気が付けて良かった。ありがとうございます。


うまく行っている。順調に進んでいる。

ありがとうございます。
愛しています。