私たちは真に愛するために生まれた? | 世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

誰もが本来毎瞬与えられている愛と奇跡を体験する喜びを全ての人が体験できますように

昨日友達のお孫ちゃんと一緒に

 

「グリンチ」 という映画をみたんです。

 

 

かなり笑える映画なんですが

 

まさかグリンチで泣けるとは

 

思っていませんでした。笑い泣き

 

クリスマスが嫌いなグリンチ

 

愛犬には優しいのですが

 

街の人たちには意地悪ばかり滝汗

 

彼は幸せや喜びや優しさに

 

ハートが反応しないんです。

 

それどころか怒りを感じてしまうようです。

 

 

それは子供のころの小さなグリンチが

 

体験した孤独なクリスマスが原因でした。

 

 

彼はずっと一人で

 

孤独な人生を送ってきたんです。

 

 

誰も自分を受け入れて愛してくれない

 

そう子供の時に信じたその思いを持ち続けて

 

あの思いをしないように

 

一人で山の上で暮らしていました。

 

 

でもそんなグリンチの心を

 

小さな女の子の愛と優しさで変えてしまうお話し。

 

 

グリンチが少女に会って

 

いつもと違う何かを感じるのに

 

「いいんだこのままの方が・・・」

 

そんな風に自分に言い聞かせるシーンがあるのですが

 

そのシーンがとても胸に刺さりました。

 

 

私たちは時々聞こえてくるメッセージを

 

かき消してしまいそうになりますよね?

 

 

愛に心を開いたら

 

傷ついてしまいそうだから。

 

だったら今のままの方がいい

 

そう自分に言い聞かせてしまうことがあります。

 

愛に心を開いているつもりでいても

 

それが全然できていないことがあります。

 

 

愛を恐れている自我が

 

私たちの内から溢れる

 

無条件の愛を抑えようとしていると

 

気づくのに長い時間がかかりました。

 

 

本当の自分である

 

真の自己(スピリット)と分離していると勘違いしているとき

 

私たちはたくさんの分離の想念で

 

自分の本当の思いを感じることができなくなってしまいます。

 

 

傷つくのが怖いと感じている自我によって

 

私たちは無条件に愛を感じることを抑制してしまいます。

 

 

相手と自分は完全に

 

分離していると信じているので

 

愛がギブアンドテイクの考えがわいて

 

しまうんですよね。

 

 

あなたが愛してくれるから

 

私もあなたを愛します。

 

 

そんな愛の形をとってしまうことがあります。

 

もちろんそう頭では

 

思っていないこともたくさんありますが

 

分離を信じている

 

私たちではここを超えることは

 

不可能に思います。

 

 

自分では無理なのね

 

そうあきらめて

 

 

聖霊にそれらを

 

感じさせてほしいと許可し始めると

 

少しずつ分離意識では感じられないような

 

無条件の愛がハートを流れ胸が

 

いっぱいになるような体験が起こります。

 

 

私たちは

 

愛になろうとしたり

 

いい人になろうとしたり

 

愛されようと努力したり

 

たくさんのことをしてきました。

 

 

でも本当は私たちの中に

 

無条件の愛はもともと備わっています。

 

 

ただそれを感じたい

 

本当の自分を知りたい

 

そのように意図することで

 

聖霊(ハイヤーセルフ)が

 

感じさせてくれるようになります。

 

 

そして恐れないで

 

その愛を大切な人や

 

人間関係の中に表現することを始めると

 

愛がもっと溢れます。

 

 

もし相手に受け入れてもらえなくて

 

傷つくとき、それは癒されるチャンスです。

 

 

グリンチのように

 

いつか感じた記憶が癒されるチャンス。

 

 

相手がどう思っていても

 

時には怒っていても

 

自分を受け入れてくれなくても

 

無条件にただただ

 

愛おしいと感じることが起こり始めます。

 

 

相手の反応とハートで感じる愛は

 

本当は関係なかったんです。

 

 

相手が思うような反応をしてくれないと

 

愛されていないと感じたことが

 

何度もありましたが

 

 

それは自我の間違った考えであり

 

そうした自我の気まぐれを

 

自分のものであると

 

信じて絶望や悲しみを

 

感じてしまうことがあります。

 

 

だって愛されていない存在なんて

 

この世界に一人もいないのですから。

 

自我の気まぐれで

 

相手が反応しているかもしれません。

 

 

グリンチのように

 

意地悪になってしまっているのかもしれません。

 

 

愛に心を開くのが怖くて

 

そうではないと感じているのかもしれません。

 

 

ただただその時は

 

忙しかっただけかもしれません。

 

 

 

そしてそれは

 

私たちだれもがしてしまうこと。

 

 

傷ついたと感じるとき

 

それは自我の勘違いです。

 

 

愛、喜び、慈悲、思いやり、優しさ、平和、安心

 

それらが私たちの本質だから

 

それ以外の思いは自我のきまぐれです。

 

 

ネガティブな思いで

 

自分を苦しめてしまいうになったら

 

1 自我のきまぐれだと思い出して

 

2 ハートに手を当てて深呼吸をして

 

3 ハートの中に流れる

 

 愛、喜び、慈悲、思いやり、優しさ、平和、安心などの

 

 あなたの本質のエネルギーを感じさせてもらえるように

 

 聖霊にお願いしてみてほしいです。

 

 

 

私たちは自分が感じたい

 

エネルギーを感じることができます。

 

そして本当にあるのは愛だけだから。

 

 

 

私たちは宇宙の愛によって

 

作られた存在であり

 

宇宙の愛が私たちを生かし続けています。

 

 

それは信頼をはるかにこえていて

 

私たちの本質はそれを完全に知っています。

 

 

自我はがわかっていないんです。

 

 

私たちが次の呼吸が

 

自然に起こることを

 

心配しますか?

 

 

完全な信頼を持っていますよね?

 

 

私たちは宇宙の愛によって

 

完全に生かされています。

 

 

私たちがここにいるのは

 

宇宙の愛が私たちの中を流れているから。

 

 

宇宙の愛が形を変えて

 

この世界に現れているのであり

 

 

宇宙の愛があなただから。

 

 

ーーーーーー

 

欠乏が暗示しているのは

 

あなたは今の状態とは何らかの形で

 

異なった状態にいる方がましだということである。

 

 

「分離」すなわちこれが

 

「楽園喪失」ということの意味であるが

 

それが起こるまでは

 

何も欠けてはいなかった。

 

 

必要というものは

 

まったく存在していなかった。

 

 

あなたが自分自身から奪った時のみに

 

必要が生じる

 

 

神からの分離という感覚だけが

 

あなたが真にただすべき唯一の欠乏である。

 

(奇跡のコース テキスト)

 

ーーーーーー

 

こうである必要はない

 

 

あなたが誤って選んだということを

 

あなた自身の気分が教えているとき

 

つまり、

 

あなたが喜びに溢れていないときは

 

常に誤って選んだということだが

 

その時は

 

そうである必要はない

 

と知りなさい

 

 

どの場合も

 

神が創造した兄弟の誰かについて

 

誤って考えたのであり

 

あなたの自我が朧げな鏡の中に

 

作り出す映像を知覚しているのである。

 

神ならば考えなかったことで

 

あなたが考えたことは何か?

 

そして

 

神があなたに考えさせようとすることで

 

あなたが考えなかったことは何か?

 

考えてみなさい。

 

 

そのようにして

 

あなたが行ったことや

 

行わなかったことに

 

誠実に調べてみなさい。

 

(奇跡のコース テキスト)

 

ーーーーー

 

 

不足や欠乏を信じさせる自我の想念い

 

考えや感情が沸き起こります。

 

 

それらを真実と信じて

 

そのまま信じ続けてしまうことがあります。

 

 

私たちが感じたくない感情を感じるときは

 

常に私たちが誤って選んだということだったようです。

 

 

喜びに溢れていない時は

 

常に誤っているというのですから

 

これはかなりマズイですよね?

 

 

分離していると信じた自我の勘違いによって

 

いろいろな想念が沸き起こり

 

それらは自然なことだと信じているとき

 

私たちはそこにない苦しみを体験してしまいます。

 

これらは仕方がないと信じてきてしまいましたが

 

丁寧に調べてあげることで

 

そうした苦しみを自分で選ばなくてよくなってゆきます。

 

 

えーーー自分で選んでないし

 

って思っていましたが

 

気づくまで続けてしまうので

 

喜びでないとき

 

「そうである必要はない」

 

と思い出し

 

そこにある勘違いを癒してもらえるように

 

聖霊に祈ってみませんか?

 

 

今まで感じられなかった

 

大きな愛を受け取るチャンスになります。

 

 

私たちは全体の一部であり

 

常に居るべき場所にいます。

 

 

今この瞬間に問題は起こっていません。

 

 

この瞬間に完全に存在することを真に赦すとき

 

分離を超えた全体性の愛を感じ始めます。

 

そしてここにある完全な愛に触れ始めます。

 

 

生きとし生けるものが

 

愛と幸せを感じられますように