ナチュラルに生きるとき全てが与えられているのに気づく? | 世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

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誰もが本来毎瞬与えられている愛と奇跡を体験する喜びを全ての人が体験できますように

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昨日ジムの帰りになんとなく立ち寄ったお店でなんとなく水着が目に飛び込んできて(全く欲しいと思っていませんでしたが)立ち止まって水着を見ていたんです。

 

そのとき後ろから「それは君にはセクシーすぎるよ」って声をかけられ振り返ると主人がニヤニヤしながら立っていて笑ってしまいましたウインク

 

こういう偶然っていつも面白いな~~って思いますよね。

 

買う予定は全くなかったのですが水着を一緒に選んで買うことになり、バックヤードのプールで主人とゆる~~って水に浮かびながら午後過ごすことになりました。

 

カナダは気温がかなり上がってきていて昨日は32度まで上がっていたので水のかながとっても心地よかったです。

 

以前は何かをしようと計画を立てて日々過ごしていましたが、ただただ感じるまま生きていると、毎日まったく予想していないことに進むのが面白いな~~と感じますね。

 

 

先日から「私はいない」ということについて少しずつ考えているのですが、この辺りが分かり始めると、この「私」というのが本当に苦しく感じさせていたのが分かり始めます。

 

もともと小さな個人意識ではなく、本来全てと一つである意識の方が自分なので、個人として生きるときエネルギーが収縮したような感覚となって苦しかったんだな~と気づきはじめます。

 

個人として生きていると信じているとき、自分対他の全てというように分離していると信じてしまうので、自分を守ろうと多大な努力をしていることで苦しかったんだな~~と分かります。

 

もともとどこにも分離の壁はなく一つなのですが、自分という意識を強く持つときこの存在しない壁があるように感じて存在しない恐れが湧き起こるようです。

 

同時にこの分離感が心地よくなくて苦しいみたいです。

 

以前ヨガの最中にフロアーのゴミとまったく同じであるという気づきが起こったとき何一つこの世界に分離がなく全てが愛なんだと分かり心が震えてヨガをしながら涙が止まらなくなってヤバい人のようになったことを思い出します。

 

この全てと一つであるという感覚を思い出したくて愛を探しまわっていたんだな~と感じましたね。

 

多くの場合この世界に生まれてから個人として生きていると信じているために、この事実にほとんど気づかずに、それらの恐れや心地悪さを埋めるように何かを探し求めて「もっと」という探求をしているようです。

 

でもそこには求めている分離の錯覚を埋めてくれるものがないために満たされないでいたんだな~~と分かるようになりました。

 

ほんとはいつも何をしていても完全で探しているものそのものであることに気づけないときここではない「どこかやいつか」探しているものを得ることができると感じてしまうようです。

 

その理由の一つとして特別な何か?を求めてしまうことがここにある完全性を覆い隠してしまうようです。

 

特別な何かを得ようとしたり、特別な誰かになろうとするとき、それが自分という個人という概念を強めてしまい、結果的に小さな個人意識という想念にエネルギーが収縮してしまうために苦しいようです。

 

本当はいつも私達守られて全て必要なものを与えられていています。

 

ですから、何かを必死に努力して得ようと頑張る必要はなかったようです。

 

リラックスして生き始めるときこの世界の神秘の体験が始まります。

 

その神秘に触れるとき、少しずつ分離の壁が消えてゆきます。

 

肩の力を抜いて、ゆる~~って体験を楽しめますように

 

 

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