訪問くださって一緒に考えてくださってありがとうございます。
昨日図書館に行ったとき後ろを通りかかった人にこの映画いいよ~~と進められて「The Finest Houres」という映画を借りてきてみました。
強風と高波を受けた巨大タンカーが真っ二つに割れて船長のいる船首は海の底に沈んでしまいます。
アメリカ沿岸警備隊の基地ステーションでは、救出のためバーニーは自殺行為だと知りながらも、同行者とともに木製の小型救命艇36500で荒れ狂う海へ向かいます。
救助に向かう男たち、タンカーの沈没を食い止め救助を待つ男たち。
基地や港で生存を信じて待ち続ける家族や恋人たち。様々な思いが交じり合いながら、運命の時間は刻々と迫っていくというお話しでした。
それぞれの思い、その思いが奇跡を生んで32人もの乗組員が助かるというお話しでした。
とても感動的な実話でした。
恐れではなく愛を選び続けるのって本当に簡単ではないけれど、愛が奇跡を生むということをこうして教えてくれているのだと感じましたね。
とっても論理派だった私は、見えないものを信じるってとても難しかったです。
すごく心惹かれるのに、どこかで疑いの気持ちや否定的な思考や感情を感じていました。
家族や友人に話をするのに抵抗があったり・・・・
奇跡のコースというコースに出会って分厚いテキストを読み始めたら心理学をベースに書かれていて、今までのフワフワしたどこか掴めないスピ系な感じと違って入りやすかったのを思い出します。
でも驚くほど難解で概念を詰め込んでもそれは概念でしかないことが最初はなかなかわからなかったです。
私達が生きつらいのはこの概念のためであって、その概念を使って概念を理解しようとするのだからそりゃ~難しいよね~~と今は分かるようになってきましたが、最初はなかなか理解に苦しみました。
昨日「私」というのは概念のことを指すと少しお伝えしたのですが、よく言われる自我(マインド・エゴ)というものですよね。
自我というのは今まで成長してきた中で身に着けてきた信念・観念・概念・役割・名称の総称なので、
実際はそれは自分ではなく後付けした知識であり、知識というのは事実を何とか説明しようと試みたものであり事実とは違うために、
便宜上に使う便利な道具だけどそれは道具でしかなく、事実は違うと分かり始めます。
よくたとえで出てくるのが、地図は領土ではないというのと同じで、地図は便利に使えるけれど、地図は全く領土とは違いますよね?
地図は地図でしかなくそこには事実はないのですよね?
私達この便利に使っている道具をとても沢山身に着けていて、いつしか無意識にその道具を自分と取り違えてしまっているようで、
自分の信じている何かや価値を否定されたと感じるとき、自分が傷つけられたと感じてしまうことがあります。
時には意見や価値観の違いで苦しむことも沢山ありますよね?
価値観を手放すことが驚くほど難しく感じますのね。
我が強いなどと表現をされることがありますが、これはどこか否定的に感じて嫌な感覚がしますが、実際は「考えを強く信じているよ。」ということであり、
本当の自分という存在自体は何も変わらないんですよね。
よく相手の中の光をみましょうとか、奇跡のコースの中なのでは相手を神の子として見ましょう。
そのように言われますが、これがなかなかできなかったです。
神の子ってなに?光ってこの蛍光灯のような光なん?みたいに全く分からなかったです。![]()
でも実際は、これらの自我と呼ばれるような信念・概念・観念・役割・名称など全部横に置いてただその人の存在を尊ぶということなのですよね
どうしても自我によって私たちは役割(親だから、夫だから、子供だから)や国籍、性別、年齢、学歴・・・・あらゆるものを通して相手にラベルをはって見ます。
でもそれら全部ただのラベルでしかなく、それらはその人自身ではなく価値があるとかないとか教えられたいろいろな考えであり、
それらはただそのように誰かが決めただけであり、その価値というのは実際は存在しないのですよね?
そこに気付いてゆくことが、あるがまま見る、存在そのものの光(愛)を見る、神(愛)の子としてみる。
ということなのですよね。
赤ちゃんって愛そのもの、光そのもので私たちに愛を与えてくれますよね?
でもその愛や光は何も変わらなく全ての人の中にいつも輝いいています。
ただそこに沢山のラベルを張り付けてしまってその光が見えにくkなくなっているのですよね。
この世界って鏡のようにできていて、相手の中の光(あるがまま)を見ようと意識を向けることで自分の中の光に気づきそして世界の光が見え始めます。
あるがまま、全ての人の中の光を感じられますように
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