訪問くださってありがとうございます。
今日もカナダはとてもよいお天気です。
日本は暑いのでしょうか?カナダは湿度が低いので夏はとても快適です。
それでもカナディアンは「ジメジメしていや~~」なんて言っているので日本の夏を知っている私にとってはびっくりです。
カナダの寒さの中で育った彼らにとって寒さへの感覚が私と違うと同じですね。
同じ環境でも体験ってみんな違うのが面白いですよね。
非2元などのお話しで「私はいない」などとよく言われますよね?
この領域にいってしまうとどうもマインド君が抵抗するみたいで、
自分が消えてしまうのではないか?
人間らしく生きれないのではないか?
無責任になるのではないか?
地に足をつけて生きられないのではないか?
自分のすきなことができなくなるのではないか?
などいろいろな考えがよぎったりしますよね。
でも実は違ったんだな~~と分かるようになってきました。
私達が普段自分だと信じている自分というのはマインドの想念(思考と感情)の部分が大きいいみたいなんです。
それぞれが信じている指針というか信念・概念・価値観・役割・名称などいろいろあると思うのですが、どうやら私たちはそれらが自分であると信じているところがあるようです。
私達が人生の中で苦しみを感じたり、傷つけられたと感じたり、相手を恨むのは、この自分の考えや価値観を否定されたと感じるときのようです。
私達はこれらの考えや価値化や役割や名称などがなくてもそこに存在がある自分がここにあるというのはもう疑いようがないほどありますよね?
それが「存在」そのものであり、宇宙の一部であり全ての一部であり本質なんですよね。
「私はいない」といわれると何もなくなってしまいそうにマインドは認識しますが、実際はこの存在というのは消えることはなく、存在はどんな時も平安と愛そのものでそこに輝いているようです。
その存在の上にいろいろな思考や感情が現れているのであり、この存在のことを気づきの意識などと呼ぶことがあると思いますが、本来私たちは存在そのものであることに気づくとき
今まで信じてきた自分というのがマインドの想念であり、それらは私ではなかったと気づきます。
このとき、今まで ~~するべき ~~ねばならない みたいないろいろな制限や価値観で苦しく感じていたのはこのマインドによるもので、存在は全く何も影響されていないことに気づきます。
そしてそれらの想念「私」から自由になってゆきます。
ここで感じるのが想念から自由になったら何もなくなってしまいそうに感じますが、そうではいようです。
マインドの想念は分離意識による恐れによるものなので自分を守るためのものなのでそれらを信じているときエネルギーが収縮されたような感覚になって苦しさを感じるみたいです。
それらから解放されるのでどんどん軽くなります。
もともと存在は体験を楽しみたくて世界を創造しているのでそれらをダイレクトに味わえるようになってゆく感じです。
マインドの恐れの想念で体験していた投影ではなく、存在の創造しているシンプルなリアリティーをそのまま体験する感じでしょうか?
といってももともと誰もが存在そのものなので、いつもリアリティーを体験しているのですが、その体験の上にマインドの解釈が加わってストーリーの方を信じている感じでしょうか?
う~~ん言葉にするのは難しいですね。
「私はいない」というのは想念は自分ではないことに気づくということで、もともと存在そのものだったいう気づきがおこり、
あ~~そのままでよかったのね~~~
いろいろ考えなくてよかったのね~~~って
軟体動物みたいにニャラニャラになる感じです^^
ニャラニャラになって子供のように喜びを感じられますように
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