先ほど心屋さんのブログを偶然見ることになりました。
そして「お金の不安がなくならない」というタイトルの記事を読ませていただくことになりました。
心屋さんのブログはほとんど読まないのですが・・・・・
偶然は一つもない世界なので、こうして読ませていただいたのはきっとこの内容について考えてみたかったんだな~~そう感じてました。
以下が心屋さんが伝えてくださっていた内容です。
・・・・・・
お金の不安がある→使わない→隙間が空かない→入ってこない
このループのまんまだと
「お金が入って来る体験」が一生できないから
一生安心できないよね。
・・・・・・
「お金が入ってくる体験がないから一生安心できない。」
そのように伝えてくれていましたが、これがこのような体験をしたからと言って、本当にいつも安心できるか?
というと、実際は不安を感じているのは、そこ(お金)ではないと感じている方もおおいかなと思います。
もちろん心屋さんのおっしゃる通りの体験をしていらっしゃる方もいると思います。
そして「お金」の不安がなくなったという体験をされることもあると思います。
私自身も、心屋さんのおっしゃってくださっているように行動したことでどんどんお金が入ってくるという体験をしたので、このお話は確かにそうだとうなずけます。
でも、お金がどんどん入ってきても不安がなくなって平安でいつもいられるかというと私はそうではなかったですね。
これは体験しないと分からなかった・・・・・![]()
お金の不安だと感じていますが、真の不安は人生そのものに対するもののようです。
お金が入ってきたとしても、人生そのものを信じられないでいるとそれが続くかという不安や疑いはやはり残りますからね。
また入ってくるけど出てゆくことも多くなりますからね。![]()
例えば起業することになったら、それらの運営や維持のための費用、税理士をお願いするとか税金とかもろもろ出てゆくことも多くなりますからね。
また新しいことを進めてゆくなか毎回何らかの恐れ、失敗などの恐れや不安を感じますからね。
以前中国人の友人のご主人がご自身の発明したパーツを販売するのに中国で起業して年間億という売り上げだと話してくれましたが、
会社の運営費、開発費、広告費、営業費、従業員の給料などで実際に家に入るお金というと、それほどでもないと話していました。
また人間関係、健康、老後の不安、など不安や恐れは次々と対象が変わり起こりますからね。
私たちが真に安心できるのは、お金・仕事・健康・人間関係などいろいろな毎日の出来事の中で、
何が起こっててもいつも大丈夫であると知っていることで真に不安がなくなってゆくのだと分かるようになりました。
5年くらい前に、とても不思議な体験をしました。
泥沼のドラマの危機の中でもうどうしようもない絶対絶命に感じる苦しみと怒りと恐れと不安でドロドロな闇の中にいた時のことです。
夫とのドロドロな喧嘩の最中に一瞬全く静寂の無の空間にいて自分を上から眺めているという一瞥体験でした。
その瞬間「あ~全て自分が作ったんだ」という気づきを受け取りました。
このとき言葉を超え、概念を超え、全てが一つであり、全部自分が作っている世界を体験しているということが分かりました。![]()
その後自分の体にもどってきて、全ては大丈夫だからと感じたのを思い出します。![]()
今分かるのは、この自分が作った「自分」というのが個人(分離・自我)的意識ではないことが分かります。
その後たくさんの方とご縁をいただけるようになって、心屋さんのおっしゃるようなお金を使うことでお金が入ってくるという体験もたくさんしました。
一瞥体験をしたことのある人はたくさんいると思いますが、一瞥体験をしたからと言ってその無(空・ソース・真の自己・全体・真我・神・量子場)などと呼ばれる場所にずっといられるわけではないんですよね。
実際は、私たちはいつも無であり空であり、真の自己であり、そうでないことは一度もないのですが、思考の概念(自我・分離意識)によってそれらを覆い隠している、
もしくは思考の概念によってそうではないと認識しているだけなのですよね。
ですから、どのように思考を使って分離のストーリーを体験しているように感じても、実際はいつも完全なる真の自己です。
ただそうではないといいう勘違いをしているだけなのですよね。
この勘違いが消えた時、分離意識である相対の認識で体験する現実世界で何が起こっているように見えても、
その相対を超えた対のない絶対的なリアリティーを見ることができるようになってゆきます。
以前は心理学や脳科学やコーチングなどを学んでいましたが
5年前の一瞥体験のあと、スピリチュアルの学び、エックハルトトールやバシャール、奇跡講座、非2元の学びと学びを進めてゆく中何が自分に起こっていたのか?
分かるようになってきました。
私たちが真に人生を信頼できるようになるのは、この「自分」と信じている思考の分離の概念ではなく、「真の自己」であることを思い出すことなのだと分かるようになりました。
心理療法、哲学的思想、思考が現実化、引き寄せ、自己啓発、原因と結果の法則、鏡の法則などいろいろな学びや法則がりますが、
私たちの「真の自己」はこれらの相対のこの現実世界の概念や法則全て超えています。
現実だと体験している世界を幻想世界だと表現されることがあります。
それは、常に分離した想念を使って分離のない世界を分離して認識し体験しているからなのですよね。
このために、この幻想世界での認識・体験は視点が変わるとその認識が変わります。
真の自己はここにしか存在していないいために、どこかに意識がさまよっているとき、その真の自己である本来の自分が分からなくなってしまうようです。
不安や恐れを感じるのは、絶対的な存在である「真の自己」から分離していると信じていることにより、恐れを生みだしているようです。
このため、出来事や相手や現象を変えて不安や恐れを感じ続けてしまうようです。
このために、私たちが最初にしたいのは、この分離の錯覚にきづいてゆくことなのだだと分かります。
そして、そこに気づくのにそれぞれがベストなタイミングで導かれますが・・・・・
もし何かあるとしたら
・目的思考から、今ここへの体験へのシフト
・今この瞬間に対する抵抗(不平不満という分離の考え・他の何かの方がよいと感じさせる自我の考え)から、「あるがまま」である絶対的な体験にシフト
真に今の自分、今の環境、今のパートナー、今の仕事、全てを相対の考えで比較しないで、あるがままでOKを出すことができたとき
真の自己と一つになる体験が起こります。
少し考えると分かると思うのですが、この瞬間でない何かを求めているとき、永遠に真の体験をすることができないのですよね。
常に分離意識は今この瞬間でない分離した考えによってこの瞬間から遠ざかろうとさせます。
このために絶対的な真の自己での体験ができなくなっていたのですよね。
本当は私たちが望んでいる絶対的な平安や幸せはいつもどんな時も離れることはありません。
あるがままこの瞬間を受容してゆくとき
真の自己が私たち個人の人生を通して可能性を開花させようとしていることに気づけるようになると思います。
このとき、恐れや不安なく、変化を無邪気な子供のように楽しむことが可能になってゆきます。
可能性の扉が開けますように