ご縁をいただけたこと心から感謝しています。
カナダは急に寒くなって昨日はほぼ1日雪模様でした。
そんな中で全く予定しなかったメープルシロップフェスティバルに行ってきました。

ビレッジに買い物に行ったときお店の人に教えてもらって急にいくことに決まったんです。
このために、もう大変!!
なぜって、全くそんな予定なくてそんなに暖かい服をきていないし、グローブもマフラーもなかったのに、大雪の中外で歩くことになってしまったからなんです。
すごい人だったので、駐車場からトラクターに荷台をつけた乗り物でみんを運んでくれるんだけど、これが寒くて~~~
藁でできた椅子に座ると藁が暖かくて、最初は楽しくてワクワクしたのに、あまりの寒さに1日過ごせるのか?ってちょっとビビってました。
でも途中で建物(マッサージクリニック)の中でトイレだけでなく暖かい飲み物やクッキードーナッツを無料で提供してくれる人たち(ボランティア)もあって、みんなの優しさをたくさん受け取ることになりました。
みんなどうしてこんなに優しいのか?ってみなの笑顔や会話が心に染みました。
途中太陽も出てきて、一気に暖かくなってとっても楽しい1日になりました。
パンケーキとメープルシロップをみんな食べにいくのがメインのフェスティバルだったのでパンケーキもしっかり食べてきました。
メープルシロップにパンケーキが浸っている?浮いてる?って感じなくらいたっぷりシロップをかけてくれました。
この街で作っているメープルシロップなのでこんなことができるのでしょうね。
とってもおいしかったです。
とにかくそこで働いている人たちがみんな楽しそうで、その笑顔を分けてもらってとっても幸せでした。
一緒に行った姪っ子(大学の春休み中カナダに語学の勉強にきている)がパンケーキを食べる会場にリュックをおいてきたのを忘れてずいぶん歩いたころ(たぶん20分くらい?)リュックをしょってないことに気づいて会場に戻るというハプニングもあったのです!
リュックの中にはお財布、カメラ、お土産全部入ってたんです。
でもカナダのこの辺りは日本のように治安が良いので全く私たち不安を感じないで、大丈夫よ~~ぜったいあるし~~なんて笑いながら会場に戻りました。
リュックは、そのままそこにありました。
本当はトラクターで他の会場(メープルシロップを作っているのを見れたり、ミュージアムだったりといろいろあったみたいです)にも連れて行ってくれるようだったのですが、たらふく食べて^^楽しんだのでそのまま帰ることにしました。
とっても楽しかったです。
その後また雪が強くなってきて朝まで緑だった町が一気に銀世界に変わっていました。
私たちってどうも日常の中の愛や幸せを感じて感謝することが上手くできないみたいなんです。
私は長い間、幸せを求めてきました。
今この瞬間が心から幸せだって感じることがなかなかできない自分、感謝ができない自分を無意識で責めていたことに気づいていませんでした。
感謝しましょうと言われても感謝できなくて、感謝できない自分をどこかで責めたり、感謝していると自分に思わせたり・・・・
なぜならずっと分からなかったんです。
感謝って自然に沸いてくるものであり、無理やり感謝できるものではないことを。
そして幸せも頭で考えたり、理由が必要だったり、外側の何かによって感じるものでないことが分からなかったんです。
愛も同じで、愛を感じない、愛でいられないことがとても苦しかったのに全く気づきませんでした。
愛しているという言葉がどこか偽善に聞こえたり、どこか引っかかってて・・・・
愛されているというのも心から感じられないで、いつも愛されるにはどうしたらいいか?
そんなことを意識や無意識レベルでも考えて行動していたことに真に気づいていませんでした。
無条件に愛されているってスピリチュアルの美しい言葉があるけれど、それらを言葉では受け取れない。
なぜなら、誰かが誰かに影響を与えることってできない世界だったのに、誰か特別な人に学べば、その人の愛を感じられて、自分も変われるのかもしれない?
誰かのエネルギーを感じることで自分のエネルギーも変わるみたいに本気で信じていたりしました。
でも本当はひとつなので、誰かが誰かに影響を与えることなんて本当に不可能で、誰かが特別なんて不可能なったんですよね。
だって全ては本当は一つであり、特別なんて何もなかったからなんです。
一つであり、それがユニークにいろいろな表現をしているというたった一つの存在という意識の時と分離を信じている特別な存在とは全く違いがあるのですよね。
愛されたいと思い、愛が誰かから受け取るものと信じているとき、自分の内側の愛に気づけないくなってしまいます。
分離を信じているとき、ここから抜けられなくて、いつもどこかで誰かや出来事に影響されているように感じますからね。
ここに苦しみが生まれていたのですよね。
この世界は外には全く何もないことが分かり始めて、はじめて全て自分だったのだと分かり始めるようになりました。
主観的にしか人は体験できないので、外側が影響を与えることは不可能だったのですよね。
本当は一つにつながっているために、このつながりを理解して、はじめて偽りではない、真の体験が起こる世界だったようです。
一つではないと信じているとき、分離の錯覚を信じているために、相手や周りに認められよとしたり愛されようと自分を演じることが起こってしまうのですよね。
でも実際はこの演じる行為がどんどんあるがままの自分から離れてしまい、あるがままの自分とあるがままの相手として関われなくなってしまうようです。
一緒にいるのに心が遠く感じることがありますよね?
ここに苦しみが生まれるようです。
「奇跡のコース」というコースに出会って、なぜこれらが起こっていたか?
なぜ愛を感じられなくて、なぜ幸せや感謝を感じられないのか?
体験を通して分かるようになりました。
コースでは「赦し」だけが真に必要であることを教えてくれます。
この赦しというのは、赦されていることを受け取ってゆくこと、そして本当は赦す誰かなんていないことへの気づき。
そしてそれが真の癒しだと気づきてゆく内容なのですが、最初は全く理解できませんでした。
なぜなら、自分が自分をどれほど毎瞬のようにせめて罪悪感を強めているのか?
まったくわからなかったからです。
この世界、人生(全体・愛)と自分が分離していると信じた瞬間から私たちは驚くほどの罪悪感を生み続けていたようなんです
このために、罪悪感によって、ここにある毎瞬の愛や幸せがあることに全く気づけないでいます。
これを表層意識で「幸せを感じましょう」とか「幸せを意識しましょう」「プラス意識でいましょう」「感謝しましょう」と自分に言い聞かせてもうまくいかなくて当然だったことが今とても分かります。
例えば、どこか行きたい場所に遊びに行くことになったとき、何か欲しいものを買ったときなど、
その出来事に対して幸せだけでなく、お金への罪悪感や一緒に行けない誰かへの罪悪感、未来への恐れなどを意識でそして無意識で感じているようです。
この罪悪感や恐れによってそこにある100%の幸せや、その喜びを体験できなくて、このために感謝もできなくなってしまうようです。
あまりに当たり前になっていて、ここに罪悪感を感じていることに気づけないでいるので、その罪悪感が無意識でどんどん大きくなっていて、
さらに幸せや愛や感謝を恐れによって感じられなくなってしまうようです。
でも愛や幸せを感じたくて、それらを求めて探求をつづけていたのだと分かるようになりました。
でも罪悪感が赦されていることを受け取ると、自然に幸せや愛や感謝を体験できるようになったんです。
求めなくても、努力しなくても、未来ではなく、ずっとずっと「ここ」あったことに驚きます。
日常生活の中で丁寧に自分の思いに寄り添って、どんな自分も赦してゆくことが私たちのできることだと思います。
すると、求める必要なく、いつもここに必要なものがあることにきづいて驚きます。
引き寄せようとしなくても、それらが自然にどこからか受け取れるようになってゆき驚きます。
でもその頃には幸せをどこかや何かに求めるという感覚がなくなって、引き寄せようという思いもなく、愛される努力や認められる努力をしなくても
今この瞬間が幸せで愛に満たされていると自然に感じられるようになってゆきます。
小さな子供のように、好きなものを自然になんの罪悪感もなく体験してゆくことを許可できる喜び。
私たちは生命(全て、全体、愛)そのものであって、その生命の躍動は毎瞬鼓動を打っていて、その躍動をただ体験したかったことが分かります。
毎瞬少しだけ意識して、自分を責めていないか?きづいて、どんな自分も寄り添ってゆくと、少しずつ癒されてゆくかもしれません。
自分をもうこれ以上責めないで、全て赦されていることを受け取って、無条件の愛の中にいることにきづけますように
愛と感謝をこめて
ゆう
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