こんにちはゆうです。
ご縁をいただけたこと心から感謝しています。
ここカナダは寒くてびっくりです。
今朝の気温はマイナス12度とか?
木に積もった雪がとってもきれいです。
私たちって小さな子供のころから、認められるために、愛されるために、意識で、または無意識レベルで多くのことを頑張ってきたようです。
人から認められるように行動をすることが、あまりにも当たり前になっていて、そうでない方法が分からなくなっていることに気づかないことがとても多いようです。
人に認められることで、自分の価値が決まるように無意識で信じているようです。
もちろん意識では日常のほとんどかそのために費やされていることに気づけないことが多いですよね?
でも、自分が何をしているのか?真に気づきはじめると日々驚きます。
朝服を選ぶのも、身だしなみを整えるのも、化粧をするのも、毎食ごとに体系を気にするのも、
人間関係も、家族との関係(夫として、妻として、親として、娘としてなど)認めてほしいと思っています。
また人気者になろうとしたり、成功したいとおもったり、目標をもったり、よりよくなろうと頑張ったり、日々仕事や家事を頑張ったり、
ブランド物を買ったり、素敵な車をかったりするのですら自分の喜びのためのようですが、
どこかで、誰かに認められたい、愛されたいという考えがあるからではないでしょうか?
そんなことはないと抵抗を感じるかもしれません。
もしくは当たり前でしょ?と感じるかもしれません。
「幸せになるために自分を愛するということが大切である」
と耳にしたことがあると思います。
このことが分かり始めると、私たちは自分の好きなことをしよう、自分の喜ぶことをしてあげようと意識を外側ではなく自分に向け始めます。
でも、その自分の好きなことや喜ぶことが誰かに認められるためにやっていたりということがあることに気づかないことがあります。
すると、好きなことを始めたはずなのに、認められない、結果がでない、という思いでまたまた苦しくなったり・・・・
いつもどこかで人の評価が気になるという恐れや不安を感じますよね?
これはあまりにも当然になりすぎていて、評価が気になるから頑張れると感じる人もいるかもしれないです。
でも本当にそうでしょうか?
私たちは誰かに認められる必要があるのでしょうか?
誰かに愛される必要があるのでしょうか?
この世界は探すことでそれらを見つけられないという不思議な世界のようなんです。
私たちが認められたいと感じるのは愛されたいという思いからきているようです。
そこにあるのは、愛されていないと深く無意識レベルで信じていることで感じるようです。
このために私たちは愛を求めて探求をつづけているようです。
誰かとのつながりを求めるのも、何か物質を求めるのも、パワースポットに行くことですら、実際は愛を求めているようです。
でも、求めているとき私たちは、それをいつもどんな時も持っていることに気づけなくなってしまっているようです。
愛や幸せや喜びを求めているとき、いつもここに欲しいものがあることに気づないで、探求をつづけてしまうようです。
これは本質(真の自己・全体)と自分が分離しているという思い込みによって起こるもののようですが、分離していると信じている自我意識では、それが理解できないようなんです。
このために愛を求めて忙しく頑張り続けているのですが、実際は求めることでそれらが隠れてしまっているようです。
では、どうしたらいいのでしょうか?
日々自分の思い、考えに疑問を持ち始めることで、少しづつ本質を思い出してゆきます。
そして、少しずつ
認められる必要はない、
愛される必要はない、
ときづきはじめると、もともとずっと「ここ」に求め続けていた愛があったことが分かります。
それどころかそれ自身であったことに気づきます。(分離が錯覚なので)
必要という思い込みのベールによって無条件の愛のリアリティーが隠れてしまうようなんです。
必要としたとき、私たちは「すでにある」「すでにそのものである」ことに気づけなくなってしまうからのようです。
そして、私たちが必要なものは真に全ていつも与えられていることに気づけなくなってしまうようです。
必要とした瞬間にそれらを「ここ」以外の場所や時間に探しにゆき、「ここ」にある愛が隠れてしまうようです。
ほんとはここしかなくて、未来は頭の中の空想でしかないのにです!
遠い未来や、どこかほかの場所にいかなくても「ここ」「今」真にほしいものはいつもあるのにです。
自我意識の考えを信じているとき、自分で求めないといけないととにかく必死で頑張ります。
でも実際は、求めることで一番欲しかった愛や安心(全ての欲望はこれらを満たすもの)はいつも与えられていることにきづけないでいます。
私たちが求めるものを止めたとき、それがあったことにきづくでしょう。
愛される必要はなく、認められる必要はなかったようです。
その考え(思い込み)によって、それらが見えなかったという冗談のようなリアリティーに驚きます。
外側が内側の投影であるのなら、外側から求めている間は内側にあるものを真に見つけなられないので当然だったのですよね。
愛されたい、認められたいと頑張っている自分に気づいたら、それらを全部手放してよかったことを許可してあげてみませんか?
本質の愛によって投影である世界が愛で満たされていたことに気づきます。
もともとずっと探していたものはここにあったことに驚くでしょう。
いつも、結果や誰かの評価を気にすることなく、安心感と安らぎの中で生きられる喜びの人生が始まります。
あるがままの自分として自然に今この瞬間を楽しめるようになります。
いつも愛の中にいたことに気づけますように
愛と感謝をこめて
ゆう
ご縁をいただけたこと心から感謝しています。
ここカナダは寒くてびっくりです。
今朝の気温はマイナス12度とか?
木に積もった雪がとってもきれいです。
人から認められるように行動をすることが、あまりにも当たり前になっていて、そうでない方法が分からなくなっていることに気づかないことがとても多いようです。
人に認められることで、自分の価値が決まるように無意識で信じているようです。
もちろん意識では日常のほとんどかそのために費やされていることに気づけないことが多いですよね?
でも、自分が何をしているのか?真に気づきはじめると日々驚きます。
朝服を選ぶのも、身だしなみを整えるのも、化粧をするのも、毎食ごとに体系を気にするのも、
人間関係も、家族との関係(夫として、妻として、親として、娘としてなど)認めてほしいと思っています。
また人気者になろうとしたり、成功したいとおもったり、目標をもったり、よりよくなろうと頑張ったり、日々仕事や家事を頑張ったり、
ブランド物を買ったり、素敵な車をかったりするのですら自分の喜びのためのようですが、
どこかで、誰かに認められたい、愛されたいという考えがあるからではないでしょうか?
そんなことはないと抵抗を感じるかもしれません。
もしくは当たり前でしょ?と感じるかもしれません。
「幸せになるために自分を愛するということが大切である」
と耳にしたことがあると思います。
このことが分かり始めると、私たちは自分の好きなことをしよう、自分の喜ぶことをしてあげようと意識を外側ではなく自分に向け始めます。
でも、その自分の好きなことや喜ぶことが誰かに認められるためにやっていたりということがあることに気づかないことがあります。
すると、好きなことを始めたはずなのに、認められない、結果がでない、という思いでまたまた苦しくなったり・・・・
いつもどこかで人の評価が気になるという恐れや不安を感じますよね?
これはあまりにも当然になりすぎていて、評価が気になるから頑張れると感じる人もいるかもしれないです。
でも本当にそうでしょうか?
私たちは誰かに認められる必要があるのでしょうか?
誰かに愛される必要があるのでしょうか?
この世界は探すことでそれらを見つけられないという不思議な世界のようなんです。
私たちが認められたいと感じるのは愛されたいという思いからきているようです。
そこにあるのは、愛されていないと深く無意識レベルで信じていることで感じるようです。
このために私たちは愛を求めて探求をつづけているようです。
誰かとのつながりを求めるのも、何か物質を求めるのも、パワースポットに行くことですら、実際は愛を求めているようです。
でも、求めているとき私たちは、それをいつもどんな時も持っていることに気づけなくなってしまっているようです。
愛や幸せや喜びを求めているとき、いつもここに欲しいものがあることに気づないで、探求をつづけてしまうようです。
これは本質(真の自己・全体)と自分が分離しているという思い込みによって起こるもののようですが、分離していると信じている自我意識では、それが理解できないようなんです。
このために愛を求めて忙しく頑張り続けているのですが、実際は求めることでそれらが隠れてしまっているようです。
では、どうしたらいいのでしょうか?
日々自分の思い、考えに疑問を持ち始めることで、少しづつ本質を思い出してゆきます。
そして、少しずつ
認められる必要はない、
愛される必要はない、
ときづきはじめると、もともとずっと「ここ」に求め続けていた愛があったことが分かります。
それどころかそれ自身であったことに気づきます。(分離が錯覚なので)
必要という思い込みのベールによって無条件の愛のリアリティーが隠れてしまうようなんです。
必要としたとき、私たちは「すでにある」「すでにそのものである」ことに気づけなくなってしまうからのようです。
そして、私たちが必要なものは真に全ていつも与えられていることに気づけなくなってしまうようです。
必要とした瞬間にそれらを「ここ」以外の場所や時間に探しにゆき、「ここ」にある愛が隠れてしまうようです。
ほんとはここしかなくて、未来は頭の中の空想でしかないのにです!

遠い未来や、どこかほかの場所にいかなくても「ここ」「今」真にほしいものはいつもあるのにです。
自我意識の考えを信じているとき、自分で求めないといけないととにかく必死で頑張ります。
でも実際は、求めることで一番欲しかった愛や安心(全ての欲望はこれらを満たすもの)はいつも与えられていることにきづけないでいます。
私たちが求めるものを止めたとき、それがあったことにきづくでしょう。
愛される必要はなく、認められる必要はなかったようです。
その考え(思い込み)によって、それらが見えなかったという冗談のようなリアリティーに驚きます。
外側が内側の投影であるのなら、外側から求めている間は内側にあるものを真に見つけなられないので当然だったのですよね。
愛されたい、認められたいと頑張っている自分に気づいたら、それらを全部手放してよかったことを許可してあげてみませんか?
本質の愛によって投影である世界が愛で満たされていたことに気づきます。
もともとずっと探していたものはここにあったことに驚くでしょう。
いつも、結果や誰かの評価を気にすることなく、安心感と安らぎの中で生きられる喜びの人生が始まります。
あるがままの自分として自然に今この瞬間を楽しめるようになります。
いつも愛の中にいたことに気づけますように
愛と感謝をこめて
ゆう
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