ご縁をいただけたこと心から感謝しています。
先日「 The 33」 という映画を図書館で借りてきて見ました。
2010年に、チリのサンホセ鉱山で起きた落盤事故と作業員救出を実写化した実録ドラマ。
地下およそ700メートルで69日間も閉じ込められた33人の作業員と、彼らを助けようと尽力した人々の姿を追うお話しでした。
ストーリーは、100年以上にわたって続いてきたサンホセ鉱山で、大規模な事故が発生する。
食料と水の備蓄が3日分しかなかったことから、生き埋めになった33人の作業員が生存している可能性は低いと思われていたが、事故から2週間以上のちに彼らの無事が判明。
やがてゴルボルン鉱山大臣(ロドリゴ・サントロ)の指揮のもとで国際的救助チームが編成され、大規模なレスキュー作戦が進められていく。一方、地上から隔絶されてしまった彼らには、さまざまな問題が生じてゆく。
という内容でした。
久しぶりに感動で涙ぐちゃぐちゃになる話でした。
望みが全くないように誰もが感じる状況の中で、恐れで我を忘れてしまう人たちの苦悩。
友情と愛、家族の信じる心が奇跡となって彼らを救うというお話しでした。
私たちは、このような緊迫した状況の中ではなかったとしても、いつもどこかで恐れを感じていて、人生や自分や他者や身近な家族でさえも信じられないと感じることがありますよね。
特に身近な人(心を許せる人)たちに、傷つけられたと感じたり、分かってくれないと感じたり、愛されていないと感じたり、認めてもらえないと感じたりしませんか?
悟ったとおもったら、両親と1週間一緒に過ごしてみなさい。
という言葉がありますが、特に両親とともにいるとき、私たちは心が揺れることが多いように思います。
パートナーや子供たちに対してもそうですよね?
なぜこんなことが起こるのでしょうか?
私たちって真に思いを見つめることをあまり普段しないように無意識に避けていませんか?
怒りを感じないように我慢して相手に合わせてみたり、
愛されようと愛らしくあろうと努力してみたり、
いい人になろうと努力をしたり、
認めてもらおうとその人が喜ぶことをしてみたり、
他には自分の気持ちを感じないようにして無視してみたり・・・・
意識でまたは無意識に表面的なことでとりつくろう努力をたくさんしてきました。
または、自分の大好きなことをしていたら、周りが変わってくれると信じて、自分の好きなことを次々と行ってみたり・・・・仕事に頑張ってみたり・・・・・
私は意識的に、または無意識でこれらのことを長い間してきました。
一見好きなことをすることや、好きなことを仕事にすることが自分らしく生きる方法のように感じました。
そして確かにワクワクするし、どんどん楽しくなりました。
でも、だからと言って、相変わらず分かってくれない寂しさや哀しみ、孤独感、どこか自分を守っている感覚、罪悪感、理由のない恐れもどこかで感じることになりました。
一時的には関係がよくなっても、また同じように怒りや恐れは表れていました。
そして、何かに頑張れば頑張るほど、このような怒りや恐れを感じると前以上に落ち込みました。
「こんなに努力をしているのに、なぜ?」そんな風に何度も感じたのを覚えています。
もしくは、これでうまくいっているのだと、自分に言い聞かせて納得させたり、大丈夫な振りをしていることに気づいていなかったり・・・・
好きなことを行うことって、素晴らしいことだし、人生の純粋な喜びだと思います。
だから、とても素晴らしいことだと思います。
でも、それがときに真に向き合うことから遠ざかろうとしているとしていることだと全く気づかなかったんです
欲しいものを手に入れるために、アファーメーションをしたり、幸せな振りをしたり?
夢をかなえるために日々努力をしたり・・・・
それは実際は、いつもどこか、ここではない場所に完全性を求めているものでした。
まさか毎瞬ここが完全であるなんていう発想もなかったですからね。
いつか完全な幸せを受け取れると信じていました。
確かに沢山の夢がかなって行き、好きな仕事をして目標が叶ったり、お金がたくさん入ってきたりしました。
でも、恐れはどこかでいつも感じていていました。
また、夢や願いがかなっても、ほんの一時の満たされ感、ほんの一時の安心感を受け取るというものでした。
もう一つ上のステージに向かってさらに頑張り続ける。
(本当は次のステージなんてないことに気づくまで求め続けてきました)
夢は持ち続けることが大切であり、可能性をどんどん生かすというのは、とても素晴らしいと思うんです。
でも、この思いの根底にあるのって、今の自分をどこかで否定し続けていることだったんですよね。
そして、今この瞬間の完全性を覆い隠し、本当は存在しない未来のどこかにそれを求め続けていたんですよね。
今この瞬間が本当はいつも完全であり、存在しない頭の中の時空間のストーリーの中では、それを見つけることはできないのにそれを探し続けてきたことで、見つけられないためにいつもどこかに探し続けていたのですよね。
本当はどこかやいつかに求めなくても、この瞬間に真に求めているものがあったのにです。
今がいつも完全であることに真にきづいたとき、何が起こっているように見えても、それらは全く問題でないことが分かり始めます。
全てが完全に奇跡の様にかかわりあってハーモニーを奏でているのが見え始めます。
何かを求めなくても、必要なものは目の前に置かれるという不思議な体験も起こり始めます。
全てが一つであれば当然全てが完全に起こる世界だったので当然だったのですよね。
そして、それはいつも「ここ」でしか体験できないものだったことにきづきます。
頭の中のストーリーによって覆い隠されていたリアリティーはここにあったことに気づきます。
このとき今まで感じた事のない安堵感を体験します。
分離意識の概念を通してみると不完全に見えていたその不完全さが完全であることが分かるようになります。
真にそのままでよかったこと、全ては大丈夫であることが心の深い部分で分かります。
今まで無意識にどれほど自分を隠して認められるために努力して緊張してきたか?驚きます。
そして、うわべを取りつくろうための努力や、認められるため、愛されるための努力ではなく、
純粋に今この瞬間の喜びに心をオープンにできるようになってゆきます。
本当の自分としての冒険がスタートします。

いつかや、どこかではなく、毎瞬が完全でいつもあるがまま、そのままでよかったことを思い出せますように。
愛と感謝をこめて
ゆう
■ ACIM 奇跡のコース を学ぶ ■
■アカデミー・カウンセラー・ガイドブック・メルマガ■
ナチュラルセルフWebアカデミー各種講座
幸せの扉セルフカウンセリングブック
無料メルマガ「幸せな人が知る心の法則」
(読者1100名さま ありがとうございます)
押して下さりありがとうございます。励みになります![]()
↓ ↓ ↓
