ジムに通い出した当時を色々と思い出してます
14歳から自宅で筋トレを始め
NEと言うメーカーのベンチプレスとバーベル145kgセットを購入して
付属していたトレーニング方法を実践していました
あげられる重量と、効かせられると言う重量の違いもその当時なんとなくわかりました
痛みに耐えながら行うと筋肉がパンパンに張り裂けそうになり、それが大胸筋や上腕にも訪れるのです
なので力の割に筋肉はついてきました
サッカーの補助トレーニングでしたが、本屋でたまたま見つけた筋トレ本
月間ボディービルディング
サッカーの補助トレーニングとは違う気がするけど、トレーニングの事が専門的に載っていて感動しました
そこで、雑誌を読みふけるうちに
春休みを利用してその専門誌に載っていた広告の世界チャンピオンのジムへ通う事にしました
中野新橋にあるそのジムの会長さんは、IFBBのミスターユニバースと言うアマチュアの最高峰のボディービルコンテストで優勝した末光健一会長でした
時計の針は夜中の24時
24時前くらいまで人がおり、この日私が居るということで末光会長は21時頃に帰っていきました
パートナーの友達と泊まり込んでトレーニング
この時15歳、開始から3カ月くらいなので58㎏くらい??
入会時には52㎏でした
うしろのロードバイクは当時、八王子から職場の中野までロードバイクで通うおじさんがいて、電車で帰る時には置いて帰ってました
ジムでの周りのおじさん達は身体がデカく、ヤバイくらいに怪力
末光健一会長は、250kgから270kgのベンチプレス
補助の仕方もその当時学びました
周りの方も100kgから180kg
「100kgを挙げる事が出来たら身体がああなるんだ!」
と、その100kgを3ヶ月程で挙げれるようになった時
100kgはアップの重量なんだと愕然としました
スクワットラック一台
ベンチ台2台
あと、ダンベルが飛び飛びで組み直して65kgまで
ウエイトスタックのレッグプレスやベンチプレス
ショルダープレスも代用で、基本はバーベルとダンベルのみ
狭いジムの中で、デカイ身体の人達が少ないマシンの中でガンガンやってます
バーベルが空かないのですが、とにかくトレーニングがしたいので高重量のダンベルばかりやってました
ジムの隅っこでひたすら上げ下げ
ダンベルを足で転がせば怒られるし、ガチャガチャと重りをぶつけると怒られました
周りでも相当高重量なのに、器具は丁寧に扱ってました
一緒に行うことも頻繁にあるのですが、重さが違うので気が引けるのと筋肉を破壊するような補助に入って頂けるので、声がかかるたびに喜んで合流しました(声がかかるたびに、やばい、追い込まれる、逃げたい)
そんな時ジムの先輩に誘われて大きなジムへ行った時
いわゆるビジター利用、施設を一日だけ使えるらしく試しに行ってみたところ
少年ながらに、華やかに見え、ボディービルやる人達とはまた違う人達なんだと思いました
露出をギリギリまで出すYバックタンクトップの自分はあまりに浮いてましたので自分の居場所ではないんだ・・・と汗臭い普通のジムに帰って行きました
機器を丁寧に扱いマナー良くしていたせいか、ジムで知り合う先輩たちに誘われて行ったどのボディビルジムでも快適にトレーニングさせていただきました
どこへ行っても優しくされ、話しかけてくれたりサプリメントくれたり、ご飯をご馳走になったり
そのご飯、激盛りにされ、残すのも悪いし食べるのもトレーニングだと、無理矢理水で流し込んで青い顔して店を出たりしてました
15歳~16歳になるころ
体重は68㎏へと増えていました
マナー
残念な事に、どこのジムでも器具を乱暴に使う人はいるもので、どのマシンを使うにもガチャガチャ、使い終わったリフティングベルトはフラットベンチ台に投げたり、ロッカールームでも扉をバタン!と、勢いよく締め、威嚇しているかのような人もいましたが、そうした人達は割とすぐ居なくなります
最近見ないですね、と聞くと
「あいつ他でも評判悪くてジムを転々としてる」と、教えてもらった記憶があります
トレーニングは部位毎に分けたトレーニング
バーベルはだれか使ってたら
「まず空かない」
と、勝手な認識ですが
数十セットやる人もいるので、それが当時普通の感覚でした
パワーラック空くかなーと眺めたらニコニコと「一緒にやろうよ!」と、目上の人が声をかけてくれ
嬉しさで一緒にスクワットをやりました(分厚い大腿部と背筋がすごくて絶対追い込まれるやつだ!見なきゃよかった、マジ後悔)が、ピラミッド法と言う、徐々にウエイトを挙げ、下げていく方法で20セット
一緒にトレーニングしてくれた方はパワーリフティングの学生チャンピオン
大腿部は70センチ
トレーニング後には私の大腿部は赤く膨れ上がり、顔にはポツポツと内出血の後、良いトレーニングでしたが悲惨でしたので
その後は、パワーラックの空きが無いとダンベルやマシンでサッサとトレーニングするようにしました
工夫次第で自分の好きなようにトレーニングが出来るジムは最高の居場所です
セットの休憩も短い方がパンプ感が強い!と、トントンと繰り返してました
そんなジム通いする中でも当時苦手な方々が居たのも事実で…
苦手なタイプは
教えたがりおじさん
しゃべってばかりのおじさん
おじさんと呼ぶのが多いのは、ジムにはほぼ社会人の男しかいないので、少年の私から見たら全員おじさん
15・16歳の子供から見たら20歳はおじさんでした
教えたがりおじさんは、目が合うと積極的に教えてくれるのですが、セットの休憩時間が長くなり、さらに個人的な歴史を語りだし、時間が奪われていきます
その中でも寡黙にワンポイントを教えてくれた、当時50代?60代?だったのかも
身体は普通、普通に見えたのかも…ですが、紳士的なおじさんが居て、そのおじさんが言っていた言葉やアドバイスは今も生きてます
この方は教えたがりおじさんの部類ではなく、芯がありマナーが良くああいう大人になりたいなーと感じてました
しゃべってばかりのおじさんが、だれか捕まえてしゃべってる様子を見ると、行うプログラムを入れ替えて近づかないように捕まらないようにしてましたが、なに分狭いジムだから逃げ場が無く、『○○さん話長いよー!』と周りで言われてましたがお構いなし
会いたくないからジムへ行く時間を変えてたり工夫しましたが、いつも居る!
必ず居て、ターゲットを見つけているようで
トレーニングパートナーと、「また居る…」と、ヒソヒソと逃げようにも
そのパートナーは脇が甘く、すぐに捕まってまい、せっかくペアでトレーニングに来たのに、結局私だけトレーニングして、パートナーの彼は話だけして帰りました
話し出すと、その場所が占有されてしまうので器具が使えないのですが、逃げることが優先だったので場所が使えない悩みはなかったです
なぜか周りの人たちもその場所は使わなかったので防衛本能が働いていたのだと思います
帰りの電車の中で、「次にはこうして逃げよう!」と作戦会議
後から、そうした喋り好きな人が苦手なのは、私だけではなく、トレーニングに来るみんなが感じ取っていたものと知って安心しました
新たなメンバーが入ると、その人がターゲットとなっていたのでホッとした記憶があります
今考えると、3年・4年・5年とジムに通うと、色々あるけどジムに通い続けていたのは、自分に目を向けて、良い体を目指す
遊び盛りで誘惑もあるのを克服しジムに通ってるので、そのジムでトラップや障害があっても、大した事ではなかったのだと思います、嫌なこと以上に楽しさが断然上回っていて、毎回が終わればスッキリとしてました
しかし当時、子供ながら横目で見た、言い訳しかしない大人を見たり、僻みや他人の悪口、個人攻撃で気分を紛らわし、何かのせい、誰かのせいにし続ける3流筋トレ愛好家もいましたので、そうした人には絶対なりたくないと思っていて、そうした人達を避けてました
関わることで自分の評価も下げたくないし、プライドが許さなかったし、そういう事を認めてほしい自分がいました、それが結果的に自分へのストレスになる時期もありました
それから現在まで、少し年をとってみたら
自分を認めればいい、評価されなくてもいい
理解者は1人だけ居てくれればいい(出来れば多い方がいいけど…)
それが自信、自分を信じる事で、ストレスを溜めない考え方になってきました
話しかけられる前に、さっと挨拶してその場から離れる
しゃべられて場所を取られてしまってる時には。。。これは困るんです
お店のレジ前で話し込んでる人みたいだし
(レジと言えば、うちの近所にあるコンビニは、以前は違う老古のお店で近所の方々が買い物ついでに必ず話をして帰ります
『どーもーまたねー』みたいにチョーフレンドリーなんです
働いてるスタッフさんも当時のまま、なのでちょっと雰囲気の違うコンビニですが、他の買い物客の方もあまり気にせず待ってます
それを、イライラとしてしまった時には、自分に余裕が無く疲れているんだと思うようにしてます)
ただジムは同じ曜日時間帯に来れば、似た顔触れで、大体同じ人が話し込むケースなので、話し込み中に移動してくれても話し込みながらの移動になるので困りものです
同じ職場同士だったり、久しぶりに会う同級生だったり、ママ友だったり
時間に余裕があってジム通いしてる人は少なく、忙しい時間を割いて来てる方が多いのです
話しかけれたことで、『駐車料金が余計にかかる~』とぼやく方も実際にいるので、お互いのために、やはり会話は手短にした方が良いです
筋トレ物語を思い出してみると…
漫画の世界のようなネタが思い出してきて、嫌で苦しかった記憶より
笑える記憶しか残ってない