つらつら考察。

「自分を愛する」ということについて。

 

先週の日曜に、しまださんの「みんなの共鳴会」に数ヶ月ぶりに参加させていただきました。

最初の瞑想から、濃く深く。じーーーーんと静かでしあわせ感にどっぷり浸っていました。

 

 

しまださんは、エネルギーや瞑想や聖者のこととか、なんでもよく知っていて。

話を聞いてるだけでも面白いやら感心するやら。

 

 

その共鳴会で、お一人がしまださんに質問したのですね。

「自分を愛するって、どういうことでしょう。わがままとは違うのでしょうし。」と。

 

すると、なんでも知ってるしまださん。

まさかの質問返し!「◯◯さんは、どう思いますか?」

 

 

そして、それを聞き終わった後に、しまださんは言ったのです。

「文法的にも矛盾してますよね」と。

 

「愛する」対象は、客体のはずで。

でもその対象は、「自分(主体)」。

 

なるほど。矛盾してる。

 

 

実は、「自分を愛する」というフレーズ、私はいつもなんだかわからないけど違和感を感じてました。

 

 

このしまださんの言葉を聞いて、その答えがわかったような気がしたのです。

 

 

「愛する」には、身体感覚が伴わない、からなんです。

「腹がたつ」とか「頭にくる」とか、それらの言葉たちにはくっついてくる体の感覚が、「愛する」にはない。

 

強いて言うなら、「愛する」って言う時に思い浮かぶイメージは、

相手にボール(愛)を投げているイメージ。

やっぱり、客体。

 

 

私のにとっての身体感覚を伴う、”愛する”に代わる言葉は、

「慈しむ」です。

 

相手を自分の腕の中に、触れるか触れないかで包み込むイメージ

安心で、あたたかな、やすらぎの感覚。

そして、自分(主体)と相手(客体)は、一つに境目なく溶けていく感覚。

相手を受け入れる感覚。

 

 

私にとっての「自分を愛する(慈しむ)」は、そんな感じ。

こうやって身体感覚がつかめると、それにしたがうことが、「自分を愛する(慈しむ)こと」。

 

 

「自分を愛する」ことが、わがままを言うっていう場合もある。

「自分を愛する」ことが、我慢をするっていう場合もある。

 

 

カラダは正直だもの。

どうしたらいいか「考える」必要は、実は全然ないのね。

 

 

 

「愛する」という言葉に、なぜこの感覚が伴わないのか・・・。

それは、やっぱり、「愛する」は外来語だからなのでしょう。

 

外来の文化がやってきた時に、日本語にはなくて造られた言葉。

 

 

一方、「慈しむ」は、奈良時代以前に遡る言葉。

古くは、「うつく(美)しむ」と言ったそうです。

 

 

 

この「うつくしむ」平安時代ころには、自分よりも年少や小さいものに対してかわいがる、といった意味で使われていたそうです。室町時代以降から、「斎く」「厳く」といった(大切にする、敬う対象)としての言葉と混同されて今の「慈しむ」になっていきました。

 

また一方で、美しい(きれいという意味の)へと派生していきました。

 

 

 

そもそも、日本語の会話や文章では、主体と客体がはっきりしない(させない)。

それって、多分(いや、絶対)、日本人は「ひとつ」として、境目なく融合している感覚が強い民族だったのだと思います。

 

 

 

ここまで調べると、気になるのが

「LOVE」の語源。

欧米人は、どんな身体感覚で「愛」を捉えているのだろう?

 

 

調べてみたけど、、、よくわからん!

 

 

「LOVE」の語源は、古英語の「lufu」で、ドイツ語の「Liebe」の語源と同じらしい。

 

派生語には、「Believe」や「Leave」があって、

「Believe」=「Be」(=強調)+「Lieve」

「Leave」には「許可」という名刺の意味がある。

 

「LOVE」の身体感覚は、相手に対して鎧を解く、そんな感じ???

 

欧米の「愛」のもうひとつ。

ラテン語の「amor」は(イタリア語amore,フランス語amour,スペイン語amorも同源)、

古くは、manma(お母さん・乳房)に起源があるとか・・・。

 

 

ということは、「amor」の身体感覚は、赤ちゃんのお母さんとの不可分の感覚。

こちらは、日本語とも近いかも。でも、お母さんのがわじゃなくて、赤ちゃんのがわの感覚、というのが面白いですね。

 

 

コミュニケーション(人と繋がる)手段としての言葉は、

必ず「からだ」の感覚が音声化されて、生まれてきている。

世界の捉えかた、が表れている。

 

(夫のヨガでも、こんなこと繰り返し言ってる気がする。)

 

 

 

 

「自分を愛する」

その響きに、違和感を感じてること、それに気づいてることも、

 ”自分を愛すること”ですね。

 

その質問をしてくださったSさんにも感謝です。

 

 

 

こうして、「共鳴会」で溢れでてきた「静寂」という水面に、

波紋をひろげながら、

そのかたちを変えながら、

しあわせ が伝わっていきます。

 

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

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