すべてモネの作品だけで構成された展覧会ということで、どうしても見てみたくて行ってきました(*゚∀゚*)))
開館前に到着するように早めに家を出ました。京阪電車で中之島の手前の渡辺橋駅まで乗り、改札を出て地上に上がり西へ向かって歩くとすぐにわかります。
大阪中之島美術館 「モネ 連作の情景」
会場入り口に掲げられたあいさつ文では、1874年に開催された印象派の画家たちによる最初のグループ派展(第一回印象派展)から今年はちょうど150年目にあたることに触れられ、世界中に点在するモネの作品をこれだけ集めて一つの展覧会であらわすことの難しさについて、また、その実現にご尽力なさった各方面への謝辞が述べられていました。
初期の作品から、珍しい人物画や静物画も展示されていました。
当時の絵画を志す人たちにとっての登竜門と言えるサロンにモネは初入選しますが、以降は落選が続きます。その頃にモネがサロンに出品した作品の一つ
昼食
(1868-69年、エトルタ)シュテーデル美術館、フランクフルト
もありました。状況を打破しようとモネは伝統と離れて印象派へと向かいます。ーーー印象派の特徴は(神話の世界を題材にしたようなものとは違い)、同時代に取材し、移ろう光や時間の一瞬をとらえて描くという点にある。ーーー柔らかく明るい色彩と斑点のような筆致で、モネによってカンヴァスに写された風景画が並んでいました。
そんな中、わたしはある作品の前でしばらく動けなくなりました。モネといえば、「睡蓮」と思って来ましたけれど、わたしの中ではこの日一番の作品でした。次のお部屋へと進んでは、何度も観に戻りました。その作品のポストカードを鑑賞後にのぞいた特設ショップで見つけることができましたので、ここに☆
ヴェトゥイユの教会
(1880年、ヴェトゥイユ) サウサンプトン市立美術館
ーーー絶えず揺れる水面を見たままに描き出そうと、モネは素早く、軽くたたくように筆を運んでいる。ーーーという説明が添えられていました。
わたしは今回、晩年のモネが白内障の進行に悩まされたことを知ったのですが、これはそうした晩年の色づかいとは違った、まだ若いモネが描いた眩しい光そのままを写しとった風景です。水面にキラキラと反射する陽の光、そこに逆さに映り込んだ風景までくっきり見えてきて、くぎ付けになった一枚でした。
鉄道の発達により、モネは各地を旅してその土地の風景を、時には繰り返し描きました。ーーー着眼点が造形から気象に移っているのがわかる。ーーー構図は次第に単純化され、大まかな筆致で光と大気が緻密に表現されるようになっていきました。
構図は同じでも、ひとつひとつの作品は個性が際立ったものになっています。こうして、<連作>の技法が確立されていく事になったのでしょう。
この日に観ることができたのは、連作の誕生へつながる「積みわら」とそのシリーズ合わせて3点。
ジヴェルニーの積みわら
(1884年、ジヴェルニー) ポーラ美術館
積みわら
(1885年、ジヴェルニー) 大原美術館
積みわら、雪の効果
(1891年、ジヴェルニー) スコットランド・ナショナル・ギャラリー、エディンバラ
「テムズ川のチャリング・クロス橋」のシリーズ2点。ポストカードで上から
テムズ川のチャリング・クロス橋
(1903、ロンドン) 吉野石膏コレクション (山形美術館に寄託)
チャリング・クロス橋、テムズ川
(1903、ロンドン) リヨン美術館
「ウォータールー橋」のシリーズ、3点。館内の展示作品の写真撮影が可能でした。
上から
ウォータールー橋、曇り
(1900、ロンドン) ヒュー・レイン・ギャラリー、ダブリン
ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ
(1904、ロンドン) ワシントン・ナショナル・ギャラリー
ウォータールー橋、ロンドン、日没
(1904、ロンドン) ワシントン・ナショナル・ギャラリー
最後のお部屋には、ジヴェルニーのモネの自邸で描かれた作品が集められており、殆どが撮影可能となっていました。
芍薬 (1887年、ジヴェルニー)
ジュネーヴ美術歴史博物館
睡蓮 (1897-98年頃、ジヴェルニー)
ロサンゼルス・カウンティ美術館
睡蓮、柳の反影 (1916-19年、ジヴェルニー)
北九州市立美術館
睡蓮の池 (1918年頃、ジヴェルニー)
ハッソ・プラットナー・コレクション
藤の習作 (1919-20年、ジヴェルニー)
ドゥルー美術歴史博物館
ここでも「睡蓮」を描いた作品2点をシリーズで観ることができました。ポストカードで左から
睡蓮 (1907年、ジヴェルニー)
和泉市久保惣記念美術館
睡蓮の池 (1907年、ジヴェルニー)
石橋財団アーティゾン美術館
モネの終の棲家(ついのすみか)となったジヴェルニーの邸宅の見取り図や、モネが移り住んだり旅に出た記録をまとめた年譜のパネル展示もありました。敷地内にはアトリエが3つ、川から水が引かれた睡蓮の池、その広さに驚きました。年譜には、晩年にーーー1923 1月と7月、右目の手術を受ける。状態はやや改善するが左目は失明に等しい状態。視力の矯正のための眼鏡をかけるようになる。ーーーとありました。どれほどの想いで描き続けたのだろうかと、こころが苦しくなりました。
それでも、ただ「睡蓮」のモネとしか知らなかったモネについて、印象派についてのさわりを知ることができたのではないかと思うと嬉しくなります。わたしとしては色々な意味でちょっと無理して出掛けた展覧会鑑賞でしたが、行ってみて本当によかったです。
「印象派」を開き、革新的な表現手法の一つである<連作>に至る過程、そして、時間や光とのたゆまぬ対話を続けたモネの生涯をたどった、本当に「100%モネ。」の展覧会でした_σ(*´ω`*)