与えられる試練
こんなことを書いたら、クリスチャン以外の人が引いてしまうかもしれませんが・・神は愛する我が子だからこそ、苦しみを与えると思う。洗礼を受けると決めてから、失業を言い渡され・・洗礼後失業した。洗礼を受けたら・・夢の様に幸せになるかと秘かに期待していたのに苦しいことが続いた。地方に住むアラフィフの就職活動は厳しかった。怠けものとして生きて来た自分にツケが回って来たとも言えるけど・・。慌ててTOEICを受けてみたり、就職のために色々な努力をしてみた。母を扶養として生きていかなければならない私は、職種も選ばず何でも飛び込んだ。就職しては挫折して辞めてを繰り返した。苦しい時は・・死のうとは思わなかったけれど「このまま心臓が止まって欲しい」と何度か思った。ヨブ記を何度も読んで、救われる道がないか祈った。経済的にも貯金もとうとう使い果たし・・途方に暮れるギリギリのところまで追い込まれた。そして・・前職の仕事に偶然出会った。仕事は就職を支援する仕事だった。その一年程前・・一番苦しかった時、神様に「こんなに苦労するなら、いつか就活で苦しんでいる人の助けになる仕事がしたい」と心の中で話したことがあった。その瞬間は場所も見えていた景色も全部覚えている。私の立場は責任者で、苦労が多かった。ストレスで」顔面神経痛が治らなくなっていた。今年の4月で退職となったのだけれど、直近の2月頃の日記に「これ以上続けたら死んでしまう」と書いてある。3月に突然、その事業がなくなって・・退職となった。また失業した。7月まで家で信仰以外考えない時間を敢えて送った。今回は就職活動を何もしなかった。偶然、なんとなく検索したら私に出来そうな就職支援関係の仕事の求人が目に入ったので電話してみた。翌日、面接に行き・・面接の場で即決となり・・50代だけど正社員になった。自分には経験もほとんどなく、自信もない「営業」という職種だったけれど入社して三カ月・・結局私は営業から広告担当になった。好きな分野である。現在の会社が決まったところで・・なんとなく大きな試練が終わったと感じていた。まだ日々、苦しいことは次々とあり・・悔い改めては、また失敗し、また悔い改めるの繰り返しだけど洗礼を受けてから9年‥気づくと随分といろいろな経験が出来た。その間、神様はいつも私が耐えられる限界まで試練を与えたけど、私は生きてこられた。失業も、多くの試練も・・また、仕事もすべて神から与えられた。少しは成長出来た・・というより、どうしようもなかった私を変えてくださった。まだまだ日々、苦しいことがあり・・試練はおそらく死ぬまで続くと思いますがいつも神様がいっしょにいてくださることを知っています。箴言第3章11-12わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。コリント人への手紙第一 10章13あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。