今日、母の洗礼に向けての求道者会(教会で牧師より学ぶこと)に同行して、良いお話を聞かせていただいたので分かち合いたいと思います。

 

ある神父が、質問(多分、ちょっと意地悪な)をされた。

 

「聖書を一言で言うと何が記してあるのですか?」

 

神父様の回答は

 

「共にいる神」だったそうです。

 

マタイによる福音書の第一章

 

1:18
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。

1:19
夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。

1:20
彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。

1:21
彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。

1:22
すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、

1:23
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。

 

そして、

 

マタイによる福音書の第28章(最後の章)

 

 

28:16
さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。

28:17
そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。

28:18
イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。

28:19
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、

28:20
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。

見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。