仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第五章の 薬草喩品をご説明します
法華経は学び実行することが大事
◎一相一味(いっそういちみ)とは
「法華経」 を読誦し教えのとおりすれば、「得(う)るところの功徳、自ら覚知(かくち)せず。」 と説かれる。
まず、第一に読誦することである。教えを聞いたり、経文を読んで、ああわかった、というだけでは、本当にわかったことにはならない。読誦することは三昧に入ることである。三昧に入るということは、精神統一できることである
一心に法華経を読誦することで、法華経と自分がひとつになることができる。読誦しているばかりでも駄目である
教えを実行していくことである。法華経の教えを実行していくと知らず知らずのうちに修行が積まれていく。そして、知らず知らずのうちに功徳が身についていく
自分自身で功徳が身に付いたかどうかは知ることは難しいが、仏様はすべてを見通している。それはちょうど、いろいろな草木の形や性質は、大小千差万別だが、草木自身は、ただおのずとさまざまな境遇や能力に応じて、異なった教えを説くだけなのである。
仏の教えは一相一味ではあるが、衆生の能力に応じてさまざまな異なった教えを説くこと、すなわち「随喜(ずいき)の説法」 を、迦葉たち、お前たちが、よく理解してくれたことは、たいへんりっぱなことである。と、仏は迦葉たちに言った
「諸仏世尊の随宜(ずいぎ)の説法は、解り難く知り難ければなり」 と経文にあるように、よろしきに従って教えを説くことを理解するのは、たいへんむずかいことである。そのようにむずかいことを迦葉たちが理解できたことは稀有(けう)なことだ、と仏が言われたのである。
草木は種類、大きさはそれぞれちがうが、おなじ雨に潤されてすくすくと生長していく。
それぞれの持っている性質を力いっぱい開花させるのが本来のありようである。人もこの草木と同じように、それぞれ性質も能力も違っている。
このそれぞれに違う天性を豊かに咲かせることが、人を教える根本でなければならない。劣った者は劣ったなりに、すぐれた者はすぐれたなりに、天性を無限に伸ばしていくこと…これが教育の本質である。
法華経は自分を映し出す鏡でもあります
追記、法華経の教えを実行することとても大事です。何度も何度も読み学び、毎回読むたびに新しい発見があります 経典は自分を映し出す鏡と言われていますが、本当に不思議な経典です
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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真実は一つ!!