西洲の菩薩行8 第四章 信解品 その5(清浄の眼) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第四章の信解品をご説明しますひらめき電球

 

 

一切衆生を救っても決してその果報を求めない眼こそが.......

 

 

◎清浄の眼

人に教えを説くだけならば、誰でもできる。しかし、実行できる人は少ないあせる 仏教学者は、知識で仏教の教えは知っているし、人に対しても仏教を説く。しかし、自分では、このような高い教えは実行できないと思っている。それでは駄目なのであるショボーン

‘我等(われら)仏法の宝蔵(ほうぞう)を説くといえども、自ら志願なきこと亦(ま)た復(ま)た是(かく)の如し。’

と自ら迦葉は告白しているひらめき電球

すなわち、大乗の教えを説いても自分でそれを実行する気がなかったのである。
それは、貧しい息子が父の財産の管理を任されたのに、その財宝にまったく手をつけなかった(財宝を役立てなかった)ようなものである滝汗

迦葉たちは、小乗の悟りである煩悩の断滅ができればそれでよいと考え、その時点で満足しそれ以上の悟りを求めることをしなかった汗

迦葉たちは仏の智慧とは何かということに深く考えたことがなく、仏になりたいという志を起こしたこともなく、世間の欲望を捨てた小乗の悟りこそ絶対の真理だと思っていた。

仏は、このような小さな教えで満足している声聞の弟子たちに対して徐々に焦らず教えを説き優れた教えを受け入れることができるようにお導きになり最後に大いなる仏の智慧の教えをお説きになったのである虹

 

 


その教えが自然にわかったのは、長者の息子がのぞみもしないのに、

多くの財宝を得たようなものである¥

 


迦葉たちは、今や一切の真実がわかる「清浄なる眼」を得ることができたOK

「清浄なる眼」とは、我執が全くなくなり、自分の利害得失から離れた眼である。一切衆生を救っても決してその果報を求めない眼である目

続きは次回…

 

追記、大迦葉たちは今、初めてほんとうの教えがわかったのですビックリマーク 私たちも、法華経を受持しながら宝の持ち腐れにならないように、気をつけなければなりません叫び 我良しを捨てて、法華経に生きるチョキ 一緒に歩んで行きましょうあし

 

 

法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、

釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)

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