西洲の菩薩行33 第二十八章 普賢菩薩勧発品 その5(無限の功徳) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様 ..............久遠の仏陀釈尊 ............. の声、それが「法華経」 です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。 妙法蓮華経の第二十八章、普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)をご説明しますひらめき電球

 

 

「法華経」は、現実を力強く生きる経典です本
 
 

◎無限の功徳

普賢菩薩の決心を聴かれた釈迦仏は、それは善いことであると普賢菩薩をおほめになられた。さらに、普賢菩薩が前世から菩提心を発(おこ)してこのお経を守護してくれた努力に対してもおほめの言葉を述べられた。さらに仏は、普賢菩薩の御名(みな)を受持(じゅじ)する者を守護しようとまで言われた。普賢菩薩の御名(みな)を受持する者とは絶対の真理に生きる者であるお祝い

そのような人は必ず自分が護(まも)ろうと仏が約束したのである。さらに「法華経の教えを実行する者は釈迦牟尼仏を見ることができると言った。仏とともにあるという自覚がもてるならば仏自身から親しくこの経典を聴くような心持ちになることができるビックリマーク

このように「法華経の教えを弘める人こそ釈迦牟尼仏を供養する人であり香や花をあげる供養よりもずっと尊い真実の供養なのである。このような人こそ仏がおほめになり、御手(みて)をもって頭を撫でたまい、衣でおおいたもうところの人なのである叫び

 

このような人は、世の中の快楽を貪(むさぼ)ることはせず、法悦の生活をおくることができる。そのため貪り怒り(おろか)さの三毒に悩まされることもなく、嫉妬我慢などに悩まされることもないOK

 

この人は少欲知足(しょうよくちそく)にして能(よ)く普賢の行を修(しゅ)せん」となる。ここに少欲知足が大切であることが説かれている。現代のようにあまりにも物があふれて不自由のない時代こそ少欲知足の哲学を学ぶべきであるチョキ

仏がこの「普賢菩薩勧発品」をお説きになったとき、たくさんの菩薩たちは旋陀羅尼」(せんだらに)を得て大ぜいの人々を感化してゆく力を得ることができ普賢の道をそなえることができた仏がこの経を説くと普賢菩薩を始めとして多くの菩薩や舎利弗(しゃりほつ)などの声聞(しょうもん)の人やさらには天人などありとあらゆる生きとし生ける者が大いなる歓喜(かんぎ)に包まれたのであったキラキラ

以上、「普賢菩薩勧発品」で「法華経」の二十八品を終わるのであるが、「法華経」こそ大乗仏教のなかの諸経の王であり、インド、中国、朝鮮、日本と伝播(でんぱ)してきたが、なかでも日本は法華一乗の国といわれるように聖徳太子がこの「法華経」の注釈を作り、「法華経の精神をもって国を治められて以来一貫して今日まで生きつづけてきたのである本

 

 



         願(ねが)わくは此(こ)の功徳を以(も)って

          普(あまねく)く一切(いっさい)に及(およ)ぼし

          我等(われら)と衆生と皆共(みなとも)に

          仏道を成(じょう)ぜん          合掌


追記、法華経は、何回も何回も自分の心眼を開いて読むべきものであり、ただ他人の解釈のみに頼るべきではない。神霊世界と人生を見る心眼を養い、その心眼で法華経を読むとき、あなたに必ず奇跡が訪れるはずですびっくり 理屈や知識で理解しようとしても、限界があり奇跡は起こりません。私もまだまだですが、これを機に一緒に、法華経を人生の灯にして精進努力して行きましょう。お願い虹


次回は、観普賢菩薩行法経をご説明して行きたい思います。

 

 

法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、

釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)

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