古代中国 英雄伝説7 司馬遷(しばせん) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

「中国4千年の歴史」 というフレーズはよく知られているが、実際に中国史の始まりを定める時は、紀元前1600年頃に成立した殷(いん)王朝からすることが多い。 ここでは春秋、戦国、楚漢戦争(そかんせんそう)、三国と、各時代を代表する英雄を時代ことに英雄たちの勇ましいくロマンティックな生き様をご紹介していきます。

 

 

時代 秦~前漢時代 生没年 前145~前86年 国 前漢 地位 宦官、歴史家

別名 子長など

 

 

☆ 歴史書「史記」 を書き上げた“中国の歴史の父ひらめき電球

 

代々歴史や天文を司る司馬氏の一族にうまれた司馬遷(しばせん)は、少年の頃は農村で耕作などに従事し、10歳の時に国史の編纂(へんさん)や暦の制定にあたる太史寮の長官だった父.司馬談(しばだん)に従って長安の近郊に移り、古文を学んだといわれている。本

 

20歳の時、書物で得た知識を実際に見聞し確かなものとするため、諸国漫遊の旅に出る走る人  古代の王や墓所や、壮大な宮殿の跡、呉越の古戦場や孔子廟(こうしびょう)などを巡ったほか、斉や魯の地形などを見て両国の文化の違いを感じたり、古式ゆかしい儀式などにも参加した。ビックリマーク

 

長安に戻ると皇帝の警備にあたる郎中に出仕し、7代皇帝.武帝の巡行に随行するなどして知見をさらに広げた。 そして父が亡くなると太史寮長官を継ぎ父の遺命を受け継いで修史事業を始めた上差し

 

この時、新暦の「太初暦」 を定めたが、この暦は中国で長く正暦とされるほど完成度の高いものであった。 しかし友人の将軍.李陵が匈奴(きょうど)に降伏したことを弁護したため、武帝の怒りを買い、宮刑(生殖器を剝奪され宦官になること)に処された。あせる

 

死罪を受けるという選択肢もあったが、死ぬと父の遺命である歴史書の編纂が成し遂げられないため、あえて宮刑を選んだといわれている。 そして刑に服しながら、「史記編纂に全力を注いだ叫び

 

4年後、大赦(たいしゃ)によって出獄し、天子の側近である中書令になった。アップ こうして完成した「史記」 は130編にも及び3千年に及ぶ古今の歴史が、「本記」 「」「」「世家」「列伝」 の5つの体系で構成され、さらに歴史に関する自身の評判を加えたものであったビックリマーク

 

歴史を総合的立体的にとられようとしたもので客観性に富んだ優れた史観や名文が高く評価され、司馬遷は「中国の歴史の父」 と呼ばれた。拍手 

 

今我々が古代中国史を知ることができるのは、司馬遷の決死の覚悟と、血の滲むような努力のおかげなのだメラメラ

 

(ゼロからわかる英雄伝説 古代中国編参照)

 

追記、 「史記」とは、司馬遷が著した古代中国の歴史書です本 全130巻からなる大作です上差し 本当に司馬遷の必死の覚悟と血の滲むような努力のおかですね叫び 司馬遷にあっぱれ~です虹

 

 

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