今昔物語31(愛宕寺の鐘 ) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)は、1059話からなる仏教説話が、「今ハ昔」 という 書き出し で始まることに由来する通称である。 作者不詳、平安時代末期の十二世紀初頭に成立し、インド、中国日本の三国に分けて説話が記載されている。内容は仏教関係の話が中心だが、まったく仏教に関係のない話も少なからず含まれる。今回紹介するのは、「愛宕寺の鐘」 の話です。

 

 

 

今は昔。 小野の篁(タカムラ)という人が、愛宕寺を造りました。 鋳物師に寺の鐘を造らせることになりました。 鋳物師が言うには、「この鐘はつく人がなくても時を告げるように造りましょう。 ただ、この鐘を鋳てから土に埋めて三年を要します

 

今日より始めて三年がたった明け方に掘り出すなら人がいなくても時を告げる鐘ができあがるでしょうその時より前、あるいは、その時より後に掘り出したなら人がいなくても時を告げる鐘はできあがらないでしょう」。 そのように言い残して鋳物師は去っていきました。

 

そのようなわけで土に埋められましたが、その後、寺の別當である法師が、二年が過ぎ、三年目を迎えましたが、約束の期日にまだなっていないのにも拘わらず待つことができなくて鐘を掘り出してしまいました。 そうしますと、つく人がいなくても鐘が鳴るということはなく、ごく普通の鐘となってしまいました。

 

 「鋳物師が言うように、三年目の翌朝に掘り出していたなら、人がいなくても時を告げていただろうに。そのような鐘の音を聞いたならさぞかしめでたかったろうに。まったく口惜しい別當だ」 と当時の人は別當を謗りました。  

 

この別當のように思慮が浅く我慢ができない人は必ずこのような失敗をするものですあさはかで約束が守れないからです。 世の人はこの話を聞いて、決して約束したことは守らなければならないと語り伝えたということです。  

 

別當は約束を破りましたその結果つく人がいなくても時を告げる鐘が完成することはありませんでした。 あくまでも仮定の話ですが、約束通り、三年目の翌朝に掘り出していたら、人がいなくても時を告げる鐘は 完成したのでしょうか。これは結果を見ていませんのでわかりません。 

 

もし、三年の翌朝まで待って、人がいなくても時を告げる鐘が完成しなかったと したらどうでしょう。 このような愚かな約束を守ったということで人は別當をこれまた笑いものにしたことでしょ う。 実証されていないもの、実証されていないことに取り組むほどむずかしいもの、むずかしいことはありません。 

 

別當はそのむずかしさに耐えられなかったのです。 数学の世界でも、ある問題に対して、答えは必ず存在するという証明は大変な価値あるものと評価されています。

 

答えがあるということであれば 今その答に至らなくても、そのやり方ではダメということがわかったという価値があるわけですから、別のやり方を考えるということになります。決してムダにはならないわけす。 この別當を安易に責めることはできないような気がするのです

 

(二十一世紀の翻案 抄訳今昔物語 仏教説話二十八話 )から

 

 

追記、今回の愛宕寺の鐘 本  何か鶴の恩返しや、きつね女房など、私との約束事を守ってください!! の日本昔ばなしに似たストーリーですね笑い泣き 約束を破ったばっかりに別れるハメにあせる

法華経にも、凄い約束事が説かれていますが、読誦されている人には怖いですよね~びっくり

 

 

 

 

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